PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第29回スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。こ…
PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第29回
スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。
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男子体操の内村航平は、19歳の時に2008年北京五輪に出場した。初めての五輪で、団体4種目に出場して銀メダル獲得に貢献。個人総合では、日本人トップの4位で予選を通過すると、あん馬で2度落下して24選手中最低の13.275点にとどまりながらも、残り4種目で順位を上げて2位になる底力を発揮した。日本人としては、84年ロサンゼルス五輪金メダルの具志堅幸司以来となる、メダル獲得だった。

ロンドン五輪体操の男子個人総合で、金メダルに輝いた内村航平
その後、内村は世界選手権で3連覇を達成。すべて完勝で、とくに11年は2位のフィリップ・ボイ(ドイツ)に3.101点の大差をつける勝利だった。そして12年ロンドン五輪は、世界中から「金メダル確実」と目される、充実しきった状態で迎えたのである。
だが、その滑り出しは不安定だった。
日本は04年アテネ五輪での優勝以降、北京五輪と4回の世界選手権で中国に勝てず、苦杯をなめてきた。目標は、団体優勝の奪還。そのためにも、予選では勢いをつけなくてはいけなかったが、日本チームは最初の鉄棒でミスを連発した。
1番手の田中和仁は右手が外れて演技を中断すると、3番手の内村も離れ技のコールマンで落下。さらに4番目の田中佑典も離れ技でバーをつかめず落下してしまい、得点は15.000点の内村が最高で、ほかの3人は14点台前半という悪い流れに。さらに3種目目のあん馬でも、田中和仁が2度落下し、内村も旋回で落下して着地でもミスと、負の連鎖がつづいた。
その結果、団体は5位での通過。予選の個人成績で決まる個人総合も、内村の通過順位は9位で、上位8人が出場できる種目別決勝進出も、平行棒の田中兄弟とゆかの内村のみという思わぬ結果になった。
公式練習の鉄棒でも落下していた内村は、予選終了後にこんなことを話していた。
「(公式練習の時は)『自分が4年間積み上げてきて五輪のために仕上げてきたものを見せてやろう』という気持ちを抑えられなかったんです。予選も調子はすごくよかったけれども、よすぎたのもミスの原因だったのかなと思います。それをコントロールできなかった部分があり、いちばん動ける状態に持っていくのが難しくなってしまいました」
さらに、日本は団体決勝もアクシデントに見舞われた。
いつものように上位通過ではなく5位通過のため、ゆかではなくつり輪からのスタートで、3人とも15点台の安定した滑り出し。次の跳馬も、加藤凌平が16.041点で内村は15.900点と波に乗ったかに見えたが、3人目の山室光史がミスで前のめりに潰れる着地になり、左足甲を骨折して演技ができなくなったのだ。
それでも、平行棒と鉄棒は全員が力を発揮して持ちこたえたが、ゆかでは田中和仁が着地でよろけて手を着き、13.733点に。最後のあん馬では田中和仁が山室の代役として1番手で出たが、落下してしまい、13.433点と追い込まれた。次の加藤はしっかり持ちこたえて14.766点を獲得し、最後は内村の演技。この時、地元イギリスのメダルが確定して観客席は騒然となっていた。
内村は、終末技の倒立で手を滑らせてそのまま着地に入るミス。その結果、掲示板で日本は4位と表示された。
だが、その後日本チームが質問書を審判団に提出。内村の終末技の難易度が認められ、中国に次ぐ銀メダル獲得となった。この時の状況を、内村はこう話す。
「いい演技をしようと思うあまり、型にハメようとしすぎたのかもしれません。最後のあん馬はイギリスのメダル獲得が決まった時で、場内はものすごい声援でした。最初は気にしなかったけど、嫌でも耳に入ってきますからね......。それにやられたというのと、あとは予選のミスを気にしすぎたのかな、ということもあります。
(団体決勝の演技終了後に)最初に4位と表示された時は何も言えなくて、今まで自分は何をやってきたんだろう......って、ずっと考えていました。だから、そのあとで2位に変更された時も、『わっ!メダルを獲ったぞ!』という気持ちにはなれませんでしたね」
じつは、この決勝で内村が演じた6種目の合計得点は92.048点。予選の個人総合で1位通過のダネル・レイバ(アメリカ)の得点より0.783点高かった。それでも、いつもの内村ならピタリと決める着地を、しっかり止められない種目が多かった。
「ポディウム(公式練習)や予選の失敗から、どう修正しようかすごく考えました。いつもは自然に(調子は)合っていくものだけど、今回は合わせなければ......と意識して調整をしました。苦しいというよりも、練習でできていたいい動きが試合で出ないのは初めての経験だったので、ちょっと不思議に思ったし、着地もなかなか止まらないので、自分にイライラしていました」
それでも2日後の個人総合決勝では、気持ちを落ち着けて臨んだ。
「さすがに五輪だなと思いましたね。今まで以上のものを自分に期待していたので、そこがよくなかったとわかりました。だから、個人総合へ向けてはそんなに悩んだりしなかったし、気持ちも落ちてはいませんでした。今までのミスを挽回しようということだけだったし、そんなに結果にもこだわっていなくて、自分の演技をすればいいとだけ思えた。そこでようやくいつもどおりの気持ちで臨めたのかなと思います」
5月のNHK杯で、観客席に向かって「どんどん期待してください。倍にして返します」と、平然とした表情で口にした時の自信が内村に戻っていた。
予選9位の内村は、慣れているゆかからではなく、予選と団体決勝でミスをしたあん馬からのスタート。「ここさえ乗り切れば波に乗れる」。そんない思いを秘めて演技に臨んだ。少しバランスを崩しかける場面もあったが、しっかり耐え、15.066点を出す好発進になった。
次のつり輪では着地でわずかに前へ跳んだが、全選手中2位の15.333点を出す安定感を見せ、3種目目の跳馬ではDスコア(難易度)6.6のシューフェルト(伸身ユルチェンコ2回半捻り)で、着地をピタリと決める会心の演技。ガッツポーズを決めた内村の得点は16.266点、3種目合計は46.665点になり、2位に0.432点差をつけてトップに立った。
だが、そのあとの2種目は、Dスコアを予選や団体決勝よりも落とす構成にした(平行棒を6.5から6.4、鉄棒7.2から6.9)。これはコーチからの提案だった。
「これまではどんな時でも構成を変えずにやってきたので、正直、自分らしくないと思って迷いました。でも、団体戦でケガをした(山室)光史が試合の翌日に帰国する予定だったので、勝ちにいく内容にして確実に金メダルを獲りにいこう。光史のためにも、いいところを見せて送り出そう。そう思って(構成の変更を)決めました」
内村は、平行棒の着地で少し動いたものの、15.325点を獲得。そして離れ技のコールマンを演技から抜いた鉄棒では、着地をしっかりと止めて15.600点。合計を77.590点にし、75点台で並ぶ2位以下に1.6点以上の大差をつけて優勝をほぼ確実にした。
最後のゆかでは途中で両手をつき、最後の着地も少し動いて申し訳なさそうな表情も見せた内村。それでも、2位のマルセル・ニューエン(ドイツ)に1.659点差をつける92.690点で、世界選手権3連覇の実力を見せつけた。
「世界選手権とは違い、自分だけで獲ったわけではない、という感じがしました。最初はあまりよくない流れになったけれども、周りの人たちがすごく応援してくれて、その人たちのためにもしっかりやらなくてはいけないという気持ちだった。だから余計に自分だけのメダルではないと感じました」
内村は、種目別ゆかでは、15.933点を出した鄒凱(中国)に0.133点差をつけられる2位。だが、「彼の演技を見たら妥当な結果。最後でやっと納得する演技をできたので、満足感でいっぱいでした」と笑顔を見せた。
オールラウンダーの内村は、ロンドン五輪では種目別に1種目しか出場できなかったが、スペシャリストと戦いたいというその後の夢に向けて、こんな意欲も口にしていた。
「個人総合も狙って、種目別もいろんな種目に出るのはかなり難しいから、もう少し考えないとダメだとは思います。でも、去年(11年)の世界選手権では跳馬以外の5種目で決勝に残ったので、やれば絶対にできるはずだし、難しいからこそやってみたい気持ちはありますね」
ロンドン五輪では苦しい場面の多かった内村だが、こう言って明るく笑った。
「やっぱりいましたね、ロンドンには魔物が。そうとしか考えられませんよ」
その表情には、「魔物はいたが、ねじ伏せてやった」とでも言いたげな満足感が漂っていた。