リーガに挑んだ日本人(8) 2010年2月、リーガ・エスパニョーラ。日本が世界に誇るレフティー、中村俊輔(横浜FC)でさえも撤退を余儀なくされていた。その次のシーズン、Jリーグで無双だった左利きMFが果敢に足を踏み入れている。入団したクラブ…

リーガに挑んだ日本人(8)

 2010年2月、リーガ・エスパニョーラ。日本が世界に誇るレフティー、中村俊輔(横浜FC)でさえも撤退を余儀なくされていた。その次のシーズン、Jリーグで無双だった左利きMFが果敢に足を踏み入れている。入団したクラブは、かつて大久保嘉人(東京ヴェルディ)が在籍したマジョルカだった。

「スペインに行く前は、正直、"中村さんみたいな人でも苦しみ抜いたスペインって、どんなもんや"とビビっていました」

 家長昭博(川崎フロンターレ)は、入団当時の心境を明かしている。

 彼の過ごしたスペイン時代とは、何だったのだろうか?



2011年から約1年間、マジョルカでプレーした家長昭博

 2010年12月、セレッソ大阪の家長は当時リーガ1部のマジョルカと契約を結んでいる。登録の関係でデビューは2月にずれ込んだが、試合ごとに評価を上げていった。4月のセビージャ戦では初得点を記録し、同月のヘタフェ戦でもゴールを決めた。

「最初はパスが回ってきませんでしたよ。でも、いい動きをしてパスを引き出すと、周りが認めてくれる。その積み重ねですね」

 家長は悪くない感触を得る一方、同時にこうも語っていた。

「マジョルカだけを見ても、技術がある選手なんてごまんといます。ボールのスピード、ゲームスピード、人の強さ。リーガは何から何まで違いますね。基本的にどんな状況でもパスをつなげるし、無駄なクリアがない。だから守備をしているとしんどいですよ。ちゃんと追わな、ボールを取れへんから。Jリーグなら、寄せるだけで取れることもあるんですけどね。こっちの当たりはめちゃ強い! 日本ではあまり当たり負けしませんでしたが、スペインでは同じ体勢なら負けます。当たらなくてもいいポジションをとることが、大事なんやと痛感しました」

 練習、試合を重ねることで、家長は着実な成長を示していた。14試合出場2得点。それが1年目の成績だが、悲観する数字ではない。大久保のように華やかな印象が残らなかったのは、終盤の1部残留争いで出場時間を減らし、最終節も出場がなかったからだろう。

「チャンスを作り出すセンスは天性のもの」

 現役時代はバルサなどで活躍したテクニシャン、ミカエル・ラウドルップ監督が高い評価を与えるほどだった。

 2年目の2011-12シーズンは勝負と目されていた。

「1年目のプレービデオを見て、あかんところを徹底的に分析しました」

 そう語る家長は準備万端だった。

「ひとつは、トレーナーから『走り出しの一歩目の歩幅が大きい』と指摘されて、体の使い方や足さばきを改良し、歩幅を調整しました。もうひとつはターン。自分は右にターンするとき、もたつく癖があった。なので、体の倒し方を工夫しました。走り出しの加速が改善され、ターンのステップも合ってきて、やれるんちゃうか、と」

 家長は、スペイン挑戦と真摯に向き合っていた。

 ところが、その立場は急転する。開幕直後、ラウドルップ監督がフロントと衝突し、解任の憂き目にあうのだ。新監督ホアキン・カパロスは、日本人MFをはなから構想に入れていなかった。

 家長は12月まで、出場はわずか4試合。そのうちの2試合は開幕直後のラウドルップ時代だった。得点は0だ。

「移籍先探しが難航している」

 当時の現地メディアは、放出の筆頭候補として家長の名前を挙げていた。

 2012年2月、家長は韓国のKリーグ、蔚山現代に期限付きで移籍している。そこで目立った活躍は見せていない。その後、2012年7月には古巣であるガンバ大阪に、同じく期限付き移籍。J2降格を経験するなど、低迷は続く。2013年の前半はJ2でプレーしていた。

 2013年7月には、2部に降格していたマジョルカに戻り、半年在籍した。しかし、リーグ戦は7試合出場にとどまった。これで契約は満了になる。

 そして2014年1月、家長は大宮アルディージャへの完全移籍を選び、スペイン挑戦は静かに幕を閉じた。

「大久保(嘉人)さんは、スペインに来る前のひとつの物差しでしたね」

 家長はスペインでそう語っていた。

「大久保さんは劇的なゴールを決めて、活躍もしていたので、"日本人がやれないことはない"というのはわかっていました。だったら、何を苦労して大変やったのか、と。自分なりにリサーチして、『コミュニケーションの部分だ』というのが結論でした。だから、2年目でスペイン語を勉強していて、まだまだ足りないところですが、もっと上達したいですね」

 彼は傾向と対策を汲んでリーガに挑み、サッカーセンスも申し分もなかった。しかし、ひとりの監督の考え方次第で運命は変転した。そうなると、やはりハンデの方が大きくなってしまうのだ。

 Jリーグに戻ってからの家長は、以前にも増して重量感のあるドリブルを見せるようになった。なにより、勝負どころで強さを発揮した。2018年、川崎フロンターレの戴冠に貢献し、リーグ終盤、優勝が懸かった試合でのゴールは圧巻だった。MVP受賞は、スペインでの苦心惨憺が咲かせた花だったのかもしれない。