「日本人女性で最初のサーファーは一体誰か」
その問いに対する明確な答えは未だ誰も持っていない。しかしここに残された写真は少なからず、その素朴な問いを解くヒントになりうるのではないだろうか。

夏が終わり秋風が吹く季節になると

60年代初頭、サーファーは社会からはあまり好意を持たれてはいなかった。世間から見れば、「ちょっぴりいかれた奴ら」のように見えていたのだ。
夏が終わり秋風が吹く季節になると、一般的には海の季節も終わりだと思われている。しかしサーファーである僕らにとっては、秋風が吹く季節こそが待ちに待っていた季節の始まりなのだ。というのも、その時期になると台風が作り出す良い波に遭遇できるからだ。
早朝、一斉に一秒の遅れもなく出勤が始まる光景。毎朝同じ顔ぶれが江ノ電の駅へと向かう。しかし僕らは違った。彼らとは正反対の方角である海へと向かって、サーフボードを抱えて歩いて行くのだ。
この時ばかりは、少しだけ社会性の無さを感じてこそばゆい思いがする。しかし、サーファーとしての自分の選択に迷いはなかった。

不思議な満足感


茅ヶ崎のサーフクラブ「バーバリアン」所属の杉山裕子。日本サーフィン連盟(NSA)が組織されて初の大会「第1回全日本サーフィン大会」100名余の参加者の紅一点として話題となった。

早朝の海面は風の影響を受けずクリーンで、普段のウネリとは違い格段に凛々しい。今では考えられない、人が少ないストレスフリーの環境だ。
きつい流れを超えて割れる波に幾度となく戻されながら、やっとの思いで沖に出る。ある時、ボードにまたがり気を静めて波を待っている自分に、自信のような感覚が芽生えたのである。
遠く南の太平洋上から届いたばかりの波にむしゃぶりつく。岸まで乗り、再び沖に向かう。こんな繰り返しが心地よかった。
サーフィンという行為が何も生産しないということに気づくまでにだいぶ時間を要した。しかしこの不思議な満足感は十分刺激的だった。高度経済成長期の真っ只中にあって、社会の流れからは間違いなく外れていたとも思う。

カウンターカルチャーの最前線


花飾りのついたスイミングキャップを被るレディースサーファー。

そんな社会の流れの中にあって、「女性がサーフィンなんて」と揶揄するような世間の目は間違いなくあっただろう。トップスとボトムが分かれたセパレートと呼ばれる水着をいち早くファッションに取り入れたのも彼女たちだった。
ボーイフレンドの後を追い、15キロを優に超える重いボードでサーフィンをする。今思えば彼女たちは、僕ら男子よりもよっぽどカウンターカルチャーの最前線に立っていた。
60年代初頭といえば、戦後のひもじい思いを一気に取り戻すべく、物質文明まっしぐらの時代であった。サーフボードを見よう見まねで作り、トランクスを母親に作ってもらった。仏壇のろうそくでワックスの代用をしたり、散々遊んだ後に砂浜にボードを埋めて手ぶらで帰り、翌朝再び掘り起こしてサーフィンに興じる。そんな僕らの青春のパワーは、彼女たちの解放的アプローチのパワーの足元にも及ばなかったのかもしれない。