東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第9回 陸上短距離:サニブラウン・ハキーム 
ロンドン世界陸上・男子200m準決勝(2017年)

 アスリートの「覚醒の時」——。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく——。

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2017年ロンドン世界陸上の200mで、決勝に進出したサニブラウン

 2017年8月9日。ロンドンは朝から冷たい雨が降っていたが、陸上の世界選手権が開催されていたロンドン・スタジアムは熱気に満ちていた。会場をヒートアップさせたのは、男子5000m予選に登場した地元の英雄であるモハメド・ファラー(英国)と、男子200m準決勝に出場した当時18歳のサニブラウン・ハキームだった。

 その日は日本チームによる「中間総括」の囲み取材があり、当時の男子100m日本記録保持者であった伊東浩司強化委員長は、もっとも印象に残ったパフォーマンスとしてサニブラウンの男子100m予選(2組)を挙げた。

 同レースでサニブラウンは、世界歴代2位タイの9秒69のタイムを持つヨハン・ブレーク(ジャマイカ)に先着し、自己ベストタイの10秒05でトップ通過を果たした。陸上短距離種目が予選、準決勝、決勝の3ラウンド制になってから、日本人選手の予選トップ通過は初の快挙だった。

 しかし男子100mの準決勝2組では、スタートの3、4歩目で大きく体勢を崩し、完全に出遅れて10秒28の7着。ミックスゾーンに現れたサニブラウンは、「盛大にやらかしましたね」と、悔しさを吹き飛ばすように笑っていたのが印象的だった。

 伊東強化委員長は、「中間総括」の囲み取材の中で「(サニブラウンの男子100m予選は)世界全体の中でも評価できる価値があるもの。(決勝進出の)期待が現実に変わろうとした」と話したが、約5時間後、我々はその”現実”を目の当たりにすることになった。

 男子200m準決勝で、世界の陸上ファンが日本の若き才能を見極めようとしていた。

 2日前の男子200m予選は、本人も「前半が思っていたより出なかった」と振り返ったように、後半に追い上げての2着通過だった。その反省から、準決勝2組で一番アウトの9レーンに入ったサニブラウンは序盤から飛ばし、持ち味の後半でも強さを発揮。男子100mで4位に入ったブレークを蹴落として、20秒43の2着でファイナル進出を決めた。

 サニブラウンはマイペースな性格で、あまり感情を表に出すタイプではないが、このレース後はさすがに高揚しているように見えた。一度は記者の前に姿を現すも、「ちょっと着てきていいですか?」とベンチコートを羽織り、笑みを浮かべて戻ってきた。

「ラッキーという感じですね。後半は誰も来なかったので、『そのままいけるかな』と思いながら走りました。今日は最初の100mを集中して、いい具合で出られたので、そこがよかったのかなと思います」

 日本人選手が世界選手権の男子200m決勝に進出するのは、2003年パリ大会で銅メダルを獲得した末績慎吾以来14年ぶりの快挙。しかし、それ以上に世界を驚かせたものがあった。それは、”またしても”ウサイン・ボルト(ジャマイカ)を超えたことだ。

 サニブラウンは2015年の世界ユース選手権で、ボルトが持っていた男子200mの大会記録(20秒40)を上回る20秒34を出すなど、100mと200mで「スプリント2冠」を達成。そしてロンドン世界選手権では18歳156日でファイナル進出を決め、ボルトの18歳355日を抜き、男子200mの最年少決勝進出記録を塗り替えた。

 決勝は20秒63で7位に終わったが、当時のボルトも決勝で最下位(8位)と世界の厳しさを味わっている。それでもサニブラウンは、「緊張は全然していなかったです。むしろ、世界のファイナルだったのでとことん楽しんでやろうと思ってやっていました。ただ、勝負できないとおもしろくない。悔しいですね」と満足していなかった。

 ボルトの”ラストラン”になった世界選手権で、ボルトを超えたサニブラウン。ミックスゾーンで他国のメディアから「彼はどんなことを話していたのか」と聞かれるくらい、サニブラウンは世界中の注目を集めていた。”日本のエース”ではなく、”世界のスーパースター”になるのかもしれない。筆者はそう強く感じたことを覚えている。

 サニブラウンはロンドン世界選手権を終えた後、すぐに米国フロリダ大に進学。2018年シーズンは故障でほとんどレースに出ることができなかったが、2019年シーズンに再び輝きを放つ。6月の全米大学選手権では、100mで9秒97の日本記録を樹立し、200mでも20秒08(日本歴代2位)をマーク。同月に行なわれた日本選手権では両種目で圧勝した。

 ドーハ世界選手権は、男子100m準決勝でスタート音が聞こえないというアクシデントもあり、決勝進出を逃した。それでも、アンカーを務めた男子4×100mリレーでは3位でゴールに駆け込み、銅メダル獲得に貢献した。

 かねてから「最終的な目標は世界記録」と豪語するサニブラウンは、昨年11月にボルトが愛用していたプーマとスポンサー契約を結んだ。来夏に開催予定の東京五輪を、プロ選手として迎えることになる。