日本ラグビー界の「鉄人」こと42歳のLO(ロック)大野均(東芝ブレイブルーパス)が引退を決意した。今年1月には39歳(当時38歳)のLOトンプソン ルーク(元・近鉄ライナーズ)も現役を引退。わずか4カ月の間に、ラグビー日本代表を支えて…

 日本ラグビー界の「鉄人」こと42歳のLO(ロック)大野均(東芝ブレイブルーパス)が引退を決意した。今年1月には39歳(当時38歳)のLOトンプソン ルーク(元・近鉄ライナーズ)も現役を引退。わずか4カ月の間に、ラグビー日本代表を支えてきた「LOコンビ」が続けてユニフォームを脱いだ。



日本代表を支え続けた大野均とトンプソン ルーク

 ふたりは2007年、2011年、2015年のラグビーワールドカップに揃って出場。国際試合に出場した回数は、トンプソンが71キャップ、大野が歴代最多の98キャップを数える。ともに出場した試合は50を超え、一緒に先発した試合は30ほど。お互いに「トモ」「キンちゃん」と呼び合う盟友だ。

 トンプソンとともに出場して一番記憶に残っている日本代表の試合を訊くと、大野は真っ先に「2007年W杯フランス大会のフィジー代表戦」を挙げた。これは、大野の体重が1試合で4kgも減ったという逸話がある。

「(トモとの思い出は)いっぱいあります。最初にワールドカップで試合したフィジー代表戦は(31−35で)勝てなかったが、すごく覚えています」

 大野は2004年に初キャップを獲得。それに対し、トンプソンは2007年に3年居住の条件をクリアしてついに日本代表入りを果たした。そしてふたりは、初めてW杯の舞台に立つ。

 ニュージーランド代表のレジェンドWTB(ウイング)だったジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)に率いられた日本代表は、今大会で目標とする「W杯2勝」を実現させるため、現実的な戦略として2チーム制を敷いた。予選プール初戦のオーストラリア代表戦は若手中心の2軍チームで臨み、続くフィジー代表戦には主力メンバーで挑んだ。

 フィジー代表戦に出場したふたりは、当時29歳と26歳。ともにハードワークを信条とし、日本代表のFW陣を支えた。4番の大野はボールを持たない場面でも常に全力プレーを見せ、5番のトンプソンも後半に2トライを挙げるなど、ともに輝きを放っていた。

 CTB(センター)大西将太郎のプレースキックも好調で、前半9−10という接戦で折り返す。スタンドの観客も盛り上がり、「ジャポン、ジャポン」とフランスのファンも味方につけた。しかし、最後は逆転できずに万事休す……。日本代表にとってW杯16年ぶりの勝利は叶わなかった。

「勝てなくて残念だった。(この試合のトライは)自分のトライではなく、チームのトライだった」

 当時まだルーク・トンプソンの名前だった「青い目の侍」の言葉は印象的だった。

 その後もふたりは、トップリーグではライバル関係、日本代表ではチームメイトとして切磋琢磨し続けた。

「(トンプソンは)本当にハードワークのお手本です。日本代表では彼のプレーに引っ張られて戦えたし、お互いに刺激し合ってこられた。いい人間に出会えたと思います」

 ふたりは桜のジャージーを背負い続け、2015年W杯では南アフリカ代表からの大金星を含む3勝に貢献。大野は37歳になったが、2019年の自国開催も視野に入れていた。

 一方、34歳のトンプソンは代表引退を表明。

「新しい歴史を作ることができた。今日で僕は代表引退です。ちょっと寂しいですけど、僕の最後のテストマッチでした。キンちゃんは4年後もたぶん大丈夫だけど(笑)、僕はおじいちゃんだから無理」

 その後、大野は2016年にサンウルブズでスーパーラグビーを経験するなど、変わらずいぶし銀の活躍を続けた。キャップ数は98まで伸び、2017年6月に行なわれるアイルランド代表との連戦で、前人未踏の100キャップを達成すると思われた。

 しかし、大野は負傷によって突如、代表を去ることになる。

 その時、日本代表のSOSに答えたのが、トンプソンだった。

「キンちゃんの代わりにがんばる!」と意気込んだトンプソンは、アイルランド代表との2試合目ですばらしいパフォーマンスを見せ、大野も「すごかった!」と絶賛するほどだった。

 試合後、トンプソンは「日本代表は今回かぎり」と語った。日本代表の活動に戻れば、3人の子どもを置いて長期間、家を留守にしなければならないからだ。しかし、妻・メリッサの「本当は日本代表のジャージーが着たいのでしょ?」との後押しもあり、トンプソンは2019年に再復帰を果たした。

「キンちゃんがいないのは寂しいが、38歳だからラストチャンス」

 トンプソンは最終メンバー31名に選ばれ、史上最多となる4度目のW杯出場を果たす。そして、試合では誰よりも身体を張り、FWの中軸として日本代表のベスト8進出に大きく貢献した。

 準々決勝の南アフリカ代表戦の前日、大野はトンプソンのもとを訪れた。この試合に負ければ、日本代表として本当にラストゲームとなるトンプソンを激励したかったのだ。

「個人的に会いたくて、ホテルに行きました。(トモは)いい顔していましたね。ワインを差し入れしました。一緒には飲んでいませんよ(笑)」

 W杯を終えたトンプソンは、近鉄ライナーズのトップチャレンジ(2部)優勝に貢献。そして1月19日、トンプソン最後の試合が東京・秩父宮ラグビー場で行なわれた。

「トモの最後の試合なので、見たいなと思って」

 スタンドには、プライベートでやって来た大野の姿があった。

 トンプソンは、最後の最後まで身体を張ってボールを追い続けた。大野はそんな盟友の姿を見て、「人間性がプレースタイルに出ていた」と目を細め、さらにこう語った。

「トモは昨年のワールドカップで、あれだけのパフォーマンスを見せてくれた。日本ラグビーを盛り上げてくれた功労者でもある。そんなトモと何試合もテストマッチを戦うことができたのは、一生の誇りです。トップリーグではライバルとしてグラウンドで目が合ったら、『ニヤッ』と笑ってきたりした。そういう時間、楽しかったですね」

 大野とトンプソンは、10年以上にわたって日本代表で身体を張り続けた。引退したあとも、きっと日本ラグビーに力を貸してくれるだろう。新型コロナウィルスの感染拡大が収まったら、ふたり揃った引退試合を見たいと願うラグビーファンも多いはずだ。記者も、そのひとりである。