コロナショックの続く5月16日、ブンデスリーガが再開した。無観客で再開された試合を観た結論を言おう。「スタジアムに観客がまったくいないプロサッカーの試合を、もう2度と見たくない」 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐべく、DFL(ドイツサッ…

 コロナショックの続く5月16日、ブンデスリーガが再開した。無観客で再開された試合を観た結論を言おう。

「スタジアムに観客がまったくいないプロサッカーの試合を、もう2度と見たくない」

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐべく、DFL(ドイツサッカー機構)は再開後の各試合について「撮影できるフォトグラファーは3人まで」とルールを設けた。その3枠に入ることができなかったフォトグラファーである筆者は、今季の残り試合を撮影できなくなった。だが、サッカーを撮影することが私の生業だ。スタジアムに入れないなか、どうやって撮影しようか?

 そこで、ベルリンに住む友人のアパートを訪れた。に行き、ビール片手にソファーで試合をテレビ観戦するフォルトゥナ・デュッセルドルフ贔屓のフィル・ナディダイ氏とその友人(ヘルタ・ベルリン推し)、そして彼らを楽しそう眺めるナディダイ氏のフィアンセの3人を撮影することにしたのだ。



再開したブンデスの試合を居間でテレビ観戦中のベルリンのサッカーファン

 16日にはブンデスリーガの計6試合が開催され、チャンスやゴールシーンがあった会場に画面が自動的に切り替わるチャンネルがつけられていた。試合中、ナディダイ氏は「僕は生粋のフォルトゥナサポーターだ。そしてそれ以前にサッカーファンなので、サッカーがまた見られるだけで幸せだ」と上機嫌だった。

 一緒に試合を見ていて、まず気づいたのが、プレーする選手たちの声が、まるでピンマイクで拾ったかのように鮮明に聞こえてくることだ。

 シャルケのジーン・クレア・トディボが、ドルトムントのアーリング・ブラウト・ハーランドに向かって吐き捨てたトラッシュトーキング(汚い罵り)がはっきり聞こえた。

 実際、アウグスブルク対ヴォルフスブルクを撮影したベルント・フェリ氏が、「ハーフタイムにテレビ局のデイレクターから、『あなたのリモートカメラのシャッター音をマイクが拾ってしまっているので、マイクから少し離して置いてくれないか』と頼まれた」と言うように、マイクはスタジアム内の小さな音も拾っていた。

 その一方、ドルトムントのマッツ・フンメルスは「声援がないのでチームメイトに指示が届きやすい」と述べていた。

 どこのスタジアムも、それくらい静寂に包まれていた。テレビ越しに見ていても、無観客試合ではファンのリアクションが皆無なので、試合にまったく入り込めない。

 スタジアムで撮影する際、私は音に対して敏感に反応するように心がけている。自分の見えないところで”何か”が起きていることを、観客のリアクションで気づかされることも多いからだ。

 そうしたスタジアム独特の雰囲気を伝えるためだろう、中継局「スカイ・スポーツ」のチャンネルでは、副音声でスタンドから生じる音を聞くことができる。しかし今回、それを付ける気にはならなかった。スタジアムに観客がまったくいないという事実は、どうやっても変わらないからだ。

 サッカーファンのナディダイ氏はドルトムント対シャルケのルールダービーをテレビ観戦しながら、同様のことを感じていた。

「ダービーを盛り上げるのはファンの存在だ。スタジアムを包む雰囲気こそサッカーの醍醐味であり、それがないと”ただの試合”に成り下がる。期待していたブンデスリーガ再開は”豪快な花火”ではなく、”火花”で始まった」

 無観客という特殊な条件は、選手にも影響を与えた。ジャーナリストのムサ・オクォンガ氏はこう語る。

「前半は、選手たちが抑え気味にプレーしている姿が目にとまった。やはり、コロナウイルスの感染が頭をよぎっていたと思う。しかし、後半は異様な環境にも慣れてきたのだろう。皆、いつもどおり熱のこもったプレーをするようになった」

 DFLは試合前、選手、審判、スタッフがなるべく接触行為をしないように働きかけていた。たとえば、ゴール後のセレブレーションを肘や足で行なうということだ。しかし、ホッフェンハイム戦でヘルタ・ベルリンが3点目を決めると、選手たちは普段と同じように重なり合って祝っていた。やはり本能は制御できないのだろう。

 なかには、義務であるマスク着用を怠っている監督もいた。DFLが試合前に提示した義務行為は”ルール”でなはなく、”推奨”だったということだ。

 無観客で行なわれた各会場の模様が自動的に切り替わるチャンネルをテレビ観戦していた筆者の友人たちは、ヘルタ・ベルリンが得点を決めると、ハイタッチと声援で喜びを分かち合った。彼らの様子は、コロナ以前のサッカーファンと何も変わらないものだった。

 だが一緒に見ていた私は、どうにも腑に落ちなかった。コロナ以前の試合と比べ、明らかに盛り上がりに欠けるからだ。

 5月16日の全6試合をテレビ越しに見終えて、残ったのは焦燥感だった。自分がスタジアムにいたら、撮っていたはずであろう写真を撮ることができない。ひたすら試合のハイライトを流すテレビを、ただ眺めているだけだった。

 試合後、スタンドから聞こえる津波のように何層にも重なる拍手の音ではなく、乾いた音にエコーを効かせて中継は終わった。

 サッカーファンにとって、今回のブンデスリーガ再開は嬉しかっただろう。しかし、これが本当にプロサッカーの試合なのだろうか。そう聞かれたら、私は即座に否定する。プロサッカーはエンターテインメントであり、プロサッカー選手はエンターテイナーだ。「楽しませる対象=観客」がスタジアムにいなければ、ただサッカーのうまい人間が集まって、ひたすらボールを蹴り、走っているだけだ。そこには、見る者の心を動かす感情が極端に薄められている。

 これから数カ月、これが日常になると思うと、悲しい感情がふつふつとこみ上げてきた。