2003年ドラフトで横浜入りした森大輔さんは新型コロナ禍で高校野球のコーチデビューがお預けに 元横浜(現DeNA)の森大輔氏は、新型コロナウイルスの影響で高校野球指導者の本格デビューがお預けとなっている。18年12月に高校生や大学生を指導す…

2003年ドラフトで横浜入りした森大輔さんは新型コロナ禍で高校野球のコーチデビューがお預けに

 元横浜(現DeNA)の森大輔氏は、新型コロナウイルスの影響で高校野球指導者の本格デビューがお預けとなっている。18年12月に高校生や大学生を指導するために必要な学生野球資格を取得。医療機器メーカー「白寿生科学研究所」で働く傍ら、今年4月から七尾東雲高(母校の七尾工と七尾商、七尾農を移行)でコーチとして本格的に活動する予定だったが、5月末までチーム活動は見通せていない。まさかのスタートとなったが、「高校野球もプロ野球も早く始まってほしい。少しでも野球界に恩返しをできたら」と闘志を燃やしている。

 七尾工3年夏の石川県大会で23奪三振のノーヒットノーランを記録し、「能登のドクターK」と注目を浴びた。一昨年冬に学生野球資格を取得し、石川・羽咋工高の臨時コーチとして活動。今春から七尾工時代の恩師・門木監督が率いる七尾東雲高でコーチとして本格的に活動をスタートさせようとしたところでの新型コロナウイルスが直撃した。

「4月から高校生を見られたらいいなと思っていたんです。高校時代の監督である門木先生に誘っていただいて。まずは週1、2回のペースで高校へ行こうかと思っていたんですが……。ただ、こればかりは仕方ないですね」

 現役時代は故障との闘いだった。社会人野球・三菱ふそう川崎(現在は解散)の3年目の2003年2月。「松坂さんがキャンプで365球を投げ込んだことに影響されて投げ込んだら、投球フォームを崩してしまった」と左肘を痛めた。2003年ドラフト会議で自由獲得枠で入団した横浜では投球障害・イップスに苦しみ、プロ生活はわずか3年。1軍登板なしで戦力外通告を受けた。

「いつも自分との闘いになっていました。投げる前に不安になっていた。死球を当てたらとか、カウントを崩したらとか。打者と勝負してないんですよ。それは打者に打たれるのは当然ですよね。本当に何もできなかった」

 プロ野球選手として全うできなかった。不甲斐ない思いがあるからこそ、同じイップスに苦しむ選手を生みたくない。指導者として燃えるような情熱がある。

イップス克服法は「最低限、自分が出来ることは何か。とにかく自分に自信を持つこと」

「必ずイップスは治る。(イップスに陥った選手には)軽症、重症があると思うんですけど、何かのきっかけに治ると思っています。自分は(15年に)始球式をやらせてもらった時も(当時西武の秋山に死球を当てるか)怖かったですから完全には治ってないと思いますが、イップスを治した人は何人もいる。少なくとも自分が経験したことを周りに話すことはできる」

「治し方ですか? これが正解というのはないです。少なくとも言えるのは自分で出来ることに自信を持つことだと思います。いい選手であればあるほど難しいと思うんですが、あれが出来てない、これが出来てないと考えないこと。最低限、自分が出来ることは何か。とにかく自分に自信を持ってやることかなと思います」

 新型コロナウイルスの影響で多くの高校球児は自主練習となっている。肩肘に痛みを抱えたり、イップスに苦しんている選手にはプラスに働く可能性があるという。

「いい意味で悩んでいる選手には間が空くのはいいのかもしれません。気持ちをリセットできる時期。高校3年生は予選が出来るかわからないですけど、野球ができることに希望を待っていてほしいです」

 ルートインBCリーグ石川を退団した11年に「白寿生科学研究所」に就職し、営業マンに転身。15年8月に七尾市内にオープンしたハクジュプラザ七尾店で店長を務めている。新型コロナウイルスの影響で3月16日から休業となっていたが、18日から営業再開となった。

「野球をずっとやってきたから最初はお客様との会話も全然出来ませんでした。でも、研修中にある男性から『会話はキャッチボールと一緒だよ』とアドバイスをいただいた。こちらが言葉を投げかければ必ず返ってくる。コーチも同じだと思います。頑張っているけど、結果が出なくて、悩みを抱えている選手もいる。こういう場面ではどういう言葉をかけたら、選手の成長につながるか。いろいろなことを考えています」

「田舎に帰ってくると、野球人口がどんどん少なくなっているなと感じます。少しでも野球人口を増やしたい。野球からたくさんのことを教えてもらったと思うので、次は自分の番。少しでも恩返しできたらと思います」

 次の野球を愛する選手を育てるため、森氏の第二の挑戦は続いていく。(小谷真弥 / Masaya Kotani)