追憶の欧州スタジアム紀行(7)
アテネオリンピックスタジアム(アテネ)

 アテネ五輪スタジアムでチャンピオンズリーグ(CL)決勝は過去に3回行なわれている。正確にはチャンピオンズカップの1回(1982-32シーズン、ハンブルガー1-0ユベントス)を含むが、2回のCL決勝を筆者はいずれも現地観戦している。

 そもそも、最初に出かけたCL決勝戦が、このアテネ五輪スタジアムだった。



2007年、チャンピオンズリーグ決勝が行なわれたアテネ五輪スタジアム

 1993-94シーズン決勝、バルセロナ対ミラン。1994年5月18日、水曜日のことだった。下馬評で圧倒的優位に立っていたのはヨハン・クライフ監督率いるバルサ。試合前に配布されたプレスリリースに掲載されていた、識者100人の予想によれば、そのうち85人がバルサを推していた。

 バルサがそのシーズンの優勝を決めたのは、CL決勝戦のわずか4日前(5月14日、土曜日)。デポルティーボ・ラ・コルーニャを最終節で逆転する劇的な優勝だった。試合が終わったのは22時30分。優勝祝賀会は大いに盛り上がり、選手たちは朝方までどんちゃん騒ぎを繰り広げた。月曜日の夕方に集合した選手たちは、翌火曜日、アテネに向け出発。水曜日の試合に臨んだ。

 ミランはその前の週にリーグ優勝を決めていた。一週間前からアテネに乗り込み、コンディションを万端に整えていた。その差は歴然だった。試合は開始早々から、ミランの一方的なペースで進んだ。4-0。ミランが大方の予想を覆し、CL優勝を飾った。CL史上、最も点差が開いた決勝戦となった。

 筆者はバルサのリーグ戦優勝の瞬間にも立ち会っていたので、バルササポーターと同じルートで、アテネ入りしていた。

 CL決勝はサポーターにとっても夢舞台だ。しかも舞台はアテネ。欧州屈指の観光名所である。急遽、チャーター便でやってきたバルササポーターはもちろん、ミランサポーターも、決勝戦を控えて旅情を満喫していた。

 一番の人気はエーゲ海クルーズ。エーゲ海には両軍サポーターを乗せたバルサ船、ミラン船があちこちに浮かんでいた。海上ですれ違えば、両軍サポーターは、お互い手を振り、エールを送るように親睦を深めていた。シーズン最終戦を、このアテネの地で迎えることができた喜びを、お互いが噛みしめている様子だった。

 筆者がそれまでCL決勝に抱いてきたイメージは、もっと殺気に満ちた雰囲気だった。両軍サポーターは現地で闘争本能を剥き出しにしていると思いきや、優雅に観戦旅行を楽しんでいた。その姿に、逆にCL決勝の価値の重みを見た気がした。サポーター冥利に尽きる観戦旅行とは、このことを指すとは、初めてCL決勝を観戦に出かけたアテネで思ったことだ。

 それだけに、バルササポーターにとって0-4の敗戦は残酷だった。後半2分、デヤン・サビチェビッチのループシュートが決まり0-3になると、バルササポーターの3分の1はスタンドを後にした。さらに後半13分、マルセル・デサイーのゴールが決まり、0-4となると、もう3分の1がスタンドを後にした。試合が終わる頃には、バルササポーターは誰もいなくなっていた。

 その2年後(1995-96シーズン)は、アテネを、CL準決勝第2戦を観戦するために訪れた。1994-95シーズン、ミランの連覇を止め22シーズンぶりの優勝を飾ったアヤックスとパナシナイコスの一戦だ。アヤックスホームの第1戦は0-1。パナシナイコスが先勝していた。

 アテネの様子は2年前とはまるで違っていた。スタンドには異様なほど殺気が漲り、パナシナイコスのチームカラーである深緑グリーンがスタンドを埋め尽くす騒然とした光景に、薄気味悪さを覚えた記憶がある。

 特別な場所で行なわれる1発勝負の決勝と、ホーム&アウェー戦の準決勝との違いを見た気がした。結果は0-3でアヤックス。パナシナイコスのサポーターは敗色が濃厚になっても、2年前のバルサのように、スタンドを後にしようとしなかった。スタンドの各所で爆裂音がとどろき、さらには火の粉も上がった。

 怒りを露わに抵抗するファンがいた一方で、試合を終えロッカールームに引き上げようとする両軍選手に向けて、万雷の拍手も湧いた。隣に座っていた地元記者も、試合中は守備的サッカーに追い込まれたパナシナイコスに怒りを爆発させていたが、最後はファンと一緒になって手拍子を送り、健闘を讃えていた。

 怒る者より、拍手を送る者の方が多かったぐらいだ。サポーターは負ければ、怒り悲しむものと、当時から概念として植え付けられていた、日本在住者である筆者には、このパナシナイコスサポーターの姿は、とりわけ新鮮だった。人間としてナチュラルな姿は、どちらかと言えばこちらになる。「ノーサイド」になれる人もいれば、なれない人もいる。アテネ五輪スタジアムには、その両方が混在していた。

 スタジアムの開場は1982年9月。決して古くなかった。アヤックス戦が行なわれた96年5月でさえ、14年経っていなかった。しかし同スタジアムは、2004年アテネ五輪開催に向けリノベイトされた。

 完成したスタジアムは、まるで新築スタジアムのように斬新な形状になっていた。2006-07シーズンには、さっそくCL決勝(ミラン対リバプール)の舞台になっている。

 だがその前に、2004年のアテネ五輪にも触れたくなる。筆者にはいい五輪だったとの認識が強くあるからだ。観戦者にとってありがたいコンパクト五輪だったからである。

 五輪スタジアムは、周囲に競泳会場や体操会場、自転車会場など様々な施設が集まるスポーツコンプレックスの一角にある。最寄り駅から徒歩数分。周囲は公園風の楽しげな、1日いても飽きない造りなっているところがよかった。その他の施設も概ね近距離にあったので、1日に複数の競技、種目を観戦することが可能だったのだ。筆者には1日で最大5会場を渡り歩いた記憶がある。同じ日に3度も、日本人選手の金メダル獲得の瞬間に立ち会うことができた。

 アテネ五輪スタジアムの上階からは、パルテノン神殿を拝むことができる。CL決勝の開始を告げる笛が鳴る現地時間21時45分は、ちょうど日没のタイミングで、パルテノン神殿が立つアクロポリス一帯は、強い西日を浴びていた。

 CL決勝の会場は来年以降、サンクトペテルブルグ(2020-21)、ミュンヘン(2021-22)、ロンドン(2022-23)と続くが、そろそろまたアテネの番ではないかと期待している。観戦+観光。決勝の候補地のなかでアテネは、CLの真髄を最も満喫できる場所ではないだろうか。その日が待ち遠しい限り。オススメしたい。