「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第9回 三浦清弘・前編 (第1回から読む>>) 平成の頃から、どこかセピア色に映っ…

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第9回 三浦清弘・前編 (第1回から読む>>)
平成の頃から、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号は令和に変わり昭和は遠い過去になろうとしている。しかし、その時代のプロ野球には強烈なキャラの選手たちが大勢いて、ファンを楽しませてくれたことを忘れてはならない。
「昭和プロ野球人」の過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズの9人目は、個性派のなかでも超個性派。当時を知る多くの野球人が"日本で唯一、本物のナックルボールの使い手だった"と証言する三浦清弘さんが自ら語った魔球にまつわるエピソードを記していきたい。

1969年、ナックルボールの使い手だった三浦清弘の投球フォーム(写真=時事フォト)
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三浦清弘さんに会いに行ったのは2009年9月。レッドソックスの[ナックルボーラー]ティム・ウェイクフィールドが、同年のMLBオールスターに42歳で初選出されたことがきっかけだった。旧知の雑誌編集者から「日本でもナックルがすごいピッチャーがいたって、知ってました?」と聞かれ、それが南海(現・ソフトバンク)で活躍した三浦さんだった。
知らなかった僕は俄然、興味を持った。その編集者が[日本人初の大リーガー]村上雅則さん(元・南海ほか)に取材した際、ウェイクフィールドのナックルが話題に上り、「南海時代に6年先輩の三浦さんが投げていました。私が見たなかで、日本人で本当にナックルを使っていたのはあの人ぐらいですよ」と話していたという。
近年では、左腕の前田幸長(元・ロッテほか)がナックルを持ち球にしていた。巨人時代、東京ドームでの登場テーマ曲が大滝詠一の『恋のナックルボール』だったときもあるほど。ただ、その軌道は揺れが少なくフォークボールに近いもので、声高に「ナックルの使い手」とは言い難い。それだけに「本当に使っていた」という村上さんの言葉が強く印象に残った。
あらためて、三浦さんのナックルについてうかがいたい──。僕自身、過去に村上さんに取材していた経緯もあり、編集者を介して電話で話を聞かせてもらった。
「三浦さんのナックルはね、指の関節でつかむんじゃないの。アメリカのピッチャーと同じように、ボールに爪を立てるんです。指が長かったんだね。それですごい変化するもんだから、キャッチャーが捕れなくて。おでこにボールを当てたの、今でも憶えてますよ」
かなり不規則な変化、と推察できる。試合では、東映(現・日本ハム)の張本勲が「ナックルを投げてこい」と打席で要求したという。相手打者も知っていたのなら、当時の球界では有名だったのか。三浦清弘という投手への興味が一気に高まり、ご本人に話を聞きたくなった。
調べてみると、三浦さんは1938年に大分・別府市に生まれ、別府鶴見丘高3年時に夏の甲子園出場。同じ大分で1年先輩、別府緑丘高から西鉄(現・西武)に入団した[鉄腕]稲尾和久と投げ合ったこともある。卒業後の57年に入団した南海では1年目から1軍で登板している。
プロ初勝利を挙げた59年、エースの杉浦忠が4連投4連勝を果たした巨人との日本シリーズにも出場。62年に自己最多17勝を挙げ、65年には防御率1.57でタイトルを獲得。前年から達成された南海のリーグ3連覇に貢献し、2ケタ勝利は計6回、73年に移籍した太平洋(現・西武)で3年間を過ごして引退するまで実働19年、通算553試合登板、132勝──。
これだけ息が長く、[親分]と呼ばれた鶴岡一人監督率いる南海の黄金期を支え、輝かしい実績を残した投手。にも関わらず、名前さえ知らずにいた自分が恥ずかしくなったが、どの文献資料にもナックルに関する記述はない。投手としての特徴も、〈コントロールがいい〉と書かれているぐらいだった。
一方、引退後の三浦さんがコーチ、スカウトを経て、ふぐ料理店『三浦屋』を経営してきたことが判明。早速、大阪の北新地にあるお店に連絡して取材を申し込んだ。村上さんに紹介されたことを真っ先に伝えたからか、電話に出た夫人にそのまま店内での取材を快諾してもらった。
2週間後、開店の午後5時より15分前にお店に到着したが、扉を開けるとすでに目の前の席に2人の男性が座っていて、テーブル上のグラスにはビールが注がれていた。「ああ、わたしが三浦です」と言って、振り向きざまに立ち上がったその人が三浦さんだった。
資料に〈180センチ〉とあったとおり大柄で、白のポロシャツに生成りのジャケットを合わせた清々しい色調のせいか、細身の体がなおさらスマートに見える。ほっそりとして端整な顔立ちはユニフォーム姿の写真で見た印象と変わらず、71歳と高齢であるとは感じられない。眼鏡の奥の眼差しはとても穏やかだった。
挨拶のあと、同席していた背広姿の紳士が照れ笑いを浮かべ、名刺を差し出した。肩書きには〈取締役〉とあり、年恰好は50代半ばのその人の名は西嘉(にし よし)氏。野球関係者でもマスコミでもないようだが村上さんともお知り合いだそうで、三浦さんは親しげに「西さん」と呼んでいる。
西氏が右側のカウンター席に移動し、僕はテーブルで三浦さんに面と向かった。隣接する壁には現役時代のマウンドをとらえた写真が掲げられ、投球直後、ブレたボールの上、なぜか蝶をかたどったシールのようなものが貼ってある。「今日は、どういう話かな?」と聞かれ、僕は「本当に使っていた」ナックルの話を切り出した。
「本当にナックルを使っていたピッチャー、僕のほかにおらんね、聞いたことない。外人なら、阪神のバッキーが投げとったけど、あれは握り方が僕のとは違ったと思う」
すかさず、持参した硬式球を手渡す。三浦さんは表情も変えずに無言で受け取り、右手の人差し指と中指、そして薬指の関節にボールを押し付けると、「普通、ナックルいうたら、こうするんです。僕のヤツは、縫い目に爪をかけるんです」と教えてくれた。しゃがれた声と柔らかな口調に呼応するように、薬指から順番にゆっくりと、3本の指の先が縫い目に立てられた。指は第二関節までが長く、掌(てのひら)の大きさに目を奪われる。

ナックルボールの握りを実演してくれた取材当時の三浦清弘さん
「これでブワーッとほうるんです。最後、手を伸ばさんと引っ掛けたら、爪が全部、剥(は)げてまう。僕も剥いだことあります。で、当時、杉浦さんがうちのエースのときや。『これをぜひ教えてくれ』っちゅうわけです。ナックルを。だけどね、僕は『スギさん、覚えんほうがいいよ。爪剥ぐよ』っつった。あの人は下からやけん、どうしてもほうるときに手を伸ばせんようになる」
「下から」、つまりアンダースローの投手には向いていない、ということのようだ。
「それでも『絶対、そんなことないから』っつって。ゲームでほうるの、楽しみにしとったんです。で、ほうったら一発で爪剥いだ。それでしばらく休んだんですよ。だから、ちょっと人には真似できひん、僕のナックルは」
エースが投げたがったボール。それほど、三浦さんのナックルは魅力があったのだろう。おのずと原点が知りたくなる。最初は何か参考にしたものはあったのだろうか。
「いや、自分で覚えたんです。僕はねぇ、言うちゃいかんけど、プロでもコーチに教わったことない。教わるんやけど合わないんですね。そのときは『はい』って聞くけど、全然、合わない。だから、ナックルも自分でね、いろいろ遊びながら、こうしたらいいやろう、ああしたらいいやろうって。やり出したのは、小学5〜6年のときやな」
カウンターの西氏も僕も「ええっ?」と声を上げた。が、三浦さんはいたって平然としている。小学生でナックルとは......、驚きのあまり次の言葉が出てこない。
「軟式でもほうれるのよ。ちょっと爪立てたらだいぶ違うんやろうなと。ただ、そのときはナックルなんか名前も知らない。当時、ナックルほうるのはアメリカにしかおらんかったろうけど、あの頃はそういう連中のことも一切知らんわけやから。あとから、これはナックルいうんやな、とわかって、ちゃんと覚えたのは高校生のとき。だから誰に教わったんでもない」
まったく意外な話だった。変化球のなかでも極めて特殊なナックルゆえ、当然、手本や見本があるはずと想定していた。ところが、三浦さんのそれは正真正銘のオリジナルで、まして、原点は子供の頃にまでさかのぼる。のっけから圧倒されてしまった。
西氏が身を乗り出して「甲子園に出たときもナックルほうっとったんですか?」と尋ねた。
「あんまり憶えないなぁ。キャッチャーも同級生やけど、かわいそうやし。オレのナックルは変化がすごくて捕れんから、ほったとしてもパスボールばっかりになる。南海でも、ウチの連中とキャッチボールするときに、『三浦さん、そんなすごいんやったらほってみい』言われて、ほうるやろ? まぁ〜皆、顔に当てて。眉間切ったり、額に当てたり」
チームメイトに当てた話。とっさに、村上さんに聞いた思い出話が浮上した。おでこに当てたのは捕手の柴田猛だったと言っていた。
「あぁ、柴田もそうやけど、キャッチャーなら野村克也という人がもうナックル嫌うわけ。自分で捕れんから。ふふ。ほんでブルペンで真っすぐ、シュート、スライダーとほうって、最後、『ナックル行くぞー』言うたら、野村さん、『おっ、交代』って、若いキャッチャーに捕らせる。
確か、村上も当たっとるはずよ。その印象があるから、あんたに僕を紹介したと思うんだ。あいつがね、衛星放送で大リーグの解説しとるとき、『日本でもすごいナックルほうるピッチャーがおった』と言うたことがある。名前は出さんかったけど」
「いや、言うてたわよ。三浦って言うてた。もうだいぶ前よ。あっ、ごめんなさいね」
いつの間にか、傍らに和服姿の夫人が立って見守っていた。三浦さんが「そうか」と答えると、夫人は「ちゃんと実のある話をしてくださいよ」と言って、奥の座敷のほうへ向かった。「大リーグ」の話が出たところで、ウェイクフィールドのナックルについて聞いてみる。
「僕のはあんな遅いボールじゃない。そのかわり、彼はコントロールがええわね。僕のヤツは自分でもどこいくかわからんけど、ビュビューッといく。みんな、ナックルいうたら、遅い、思うとるでしょ? 結構、速かったんです。そら、キャッチャー捕れんよ。だから、その大リーグのピッチャーのナックルやったら、野村さんもほうらすでしょうね」
同じナックルでも、スピードとコントロールに違いがあるとは意外だった。そのなかで、速くて制御が難しかった三浦さんのナックルは、試合ではあまり使えなかったのだろうか。
(後編につづく)