最下位常連だった暗黒時代から、どうやって抜け出すことができたのか。 横浜DeNAベイスターズは1998年の日本一を最後に、セ・リーグではもっとも長く優勝から遠ざかっている。00~15年まで最下位10度、Bクラス12度と、悲惨な状況だった。…

 最下位常連だった暗黒時代から、どうやって抜け出すことができたのか。

 横浜DeNAベイスターズは1998年の日本一を最後に、セ・リーグではもっとも長く優勝から遠ざかっている。00~15年まで最下位10度、Bクラス12度と、悲惨な状況だった。ラミレス監督が就任した16年から3位、3位、4位、2位と優勝争いができるまでに復調した。

 補強はFAなどに頼らない球団方針だけに、ドラフトの成否がチーム成績に大きく影響する。2000年代のドラフトの歴史を振り返り、「神ドラフト年」「残念ドラフト年」を探ってみた。

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ソフトバンクのドラフトの歴史を振り返る!「神ドラフト」「残念ドラフト」はいつ? https://cocokara-next.com/athlete_celeb/hawks-draft-history/

神ドラフト=2014年

 

1 山崎康晃(亜大)投手
2 石田健大(法大)投手
3 倉本寿彦(日本新薬)内野手
4 福地元春(三菱日立パワーシステムズ横浜)投手
5 山下幸輝(国学院大)内野手
6 百瀬大騎(松本第一)内野手
7 飯塚悟史(日本文理)投手

【育成】
1 亀井塔生(日星)捕手

 14年ドラフトは1位入札した有原航平(早大)を抽選で外し、「外れ1位」で指名した山﨑が大当たり。入団1年目から異例の抑えに抜てきされると37セーブを挙げ、不動の守護神へと成長。19年にはプロ野球史上最速で150セーブに到達し、侍ジャパンでもストッパーとしてプレミア12初優勝に貢献した。固定が難しい抑えのポジションを若くして任せられただけでも球団としてもお釣りがくるほどの成功年だが、加えて2位石田、3位倉本も主力となって3人が期待以上の働きぶり。7位飯塚も伸び盛りで今後が楽しみな存在だ。

 ほかには02年も当たり年だった。村田修一、吉村裕基がクリーンアップとなり、加藤武治はリリーフでフル回転。武山真吾、木村昇吾は他球団でも活躍した。

◆残念ドラフト=2001年

1 秦裕二(智弁学園)投手
3 小田嶋正邦(東海大)捕手
4 岡本直也(岡山理大付)投手
5 田崎昌弘(JR九州)投手
6 千葉英貴(日大三)投手

 01年はドラフト1巡目で寺原隼人(日南学園)を抽選で外し、秦を指名。高卒1年目でプロ初勝利を挙げたものの通算9勝に終わった。チーム関係者が「狙っていた選手がことごとく先を越された」という言葉通り、目立って活躍できた選手はいなかった。翌02年に最下位へ沈んで暗黒時代に突入する、節目の年でもあった。

 ほかにも外れ年は多い。03年は自由枠の森大輔が1軍登板なし、吉川輝昭、牛田成樹も短命に終わった。07年は即戦力で期待された小林太志、桑原謙太朗が伸びず、高校1巡目の田中健二朗も芽が出るまで苦労した。

【総評】
 00年代は残念なドラフトが多かったが、潮目が変わったのは、11年オフの親会社変更(TBS→DeNA)だろう。新監督に中畑清氏を迎え、意識改革し、負け犬体質を一掃。伸び悩んでいた筒香、梶谷ら野手陣を開花させた。

 上位進出への課題は投手陣だったが、ドラフト戦略も見直され、14年山﨑から続けて1位指名した大学生投手が驚異的な当たりっぷり。15年今永、16年浜口、17年東、18年上茶谷がそろって1年目から活躍し、投手層が一気に底上げされた。ウイークポイントを埋めるドラ1が安定して戦力になり、チームの立て直しが成功した典型だろう。

 17年にはシーズン3位からCSを勝ち上がって日本シリーズに進出。球団改革と近年のドラフト成功で戦力が整いつつあり、98年以来の優勝を見据えている。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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