連載「Voice――今、伝えたいこと」、壮絶な10代を生きた金メダリストの言葉 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽し…

連載「Voice――今、伝えたいこと」、壮絶な10代を生きた金メダリストの言葉

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第7回はバルセロナ五輪競泳金メダリストの岩崎恭子さんが登場。14歳で世界一に立ち、一躍、国民的ヒロインに。しかし、栄光の後で、人知れない苦悩も味わっていた。当時の経験から、全国高校総体などが中止となった中高生へ、エールを届けた。

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 14歳で金メダリストになった天才スイマーは今、思っている。

「いろんな制限がずっと続いてストレスが溜まることもあるけど、この経験は今の私たちに必要なことだったんじゃないかとも思っています。もちろん、つらいのはつらいけど、経験するから分かることもある。なんでも『コロナのせいで』と後ろ向きに考えるのではなく『コロナのおかげ』で見えること、できることがある。ちょっとした考え方で前向きにもなれるんじゃないかって」

 努めて前向きに、岩崎さんは先が見えない日々を生きている。

 確かに「コロナのおかげ」で社会は変わり始めた。「会議」「飲み会」「帰省」。そんな言葉の前に「オンライン」という単語が一つ付けば、かつての非現実が現実になった。どんなピンチも考え方一つでプラスにする。アスリートらしい考え方だろう。

 半面、アスリートだから悲しく思うこともある。大きな影響を受けたスポーツ界。特に、中高生世代は全国中学校体育大会、全国高校総体が中止になった。「つらい思いをしている子がたくさんいることは、本当に心が痛いです」と言い、思いを馳せた。

「ただ、今までやってきたことは全く無駄じゃない。なくなっちゃったと思いつめないで、競技を続けていけば、このつらい時期を乗り越えたことはプラスになる。もし競技をやめたとしてもスポーツで培ってきたことを否定する必要はない。今しかないこの時を乗り越えようと思うのと『ああ、ダメだ』と思いながら過ごすのでは、その後の人生がきっと違うと思うから。応援したい」

 願いを込めた言葉でエールを届けた岩崎さん。

 10代の少年少女に思いが強くなるのは、理由がある。自身にとって、競技人生で最も輝いた時とも重なるからだ。1992年。スペインの日差しに照らされ、ゴーグル焼けの痕が残る目元に浮かべた涙は、人々の記憶にもはっきりと残っている。

「今まで生きてきた中で、一番幸せです」

 バルセロナ五輪、女子平泳ぎ200メートル決勝。当時、中学2年生の少女が競泳史上最年少金メダルという快挙で世界を驚かせた。優勝した後のテレビインタビューで発した言葉は、のちに日本のスポーツ史上最も有名な名台詞の一つとなった。

「まさか、自分が獲れるなんて思ってもいなかった。金メダルを獲るまでは、ただ目の前のことを一生懸命にやっていただけなんです。練習はもちろん大変。でも、大変じゃないことなんてないと思っていたから」

 しかし、栄光の後に待っていた、人知れない10代の壮絶な苦悩。その体験は、今を生きる同年代の少年少女に響くものがある。

「金メダルなんて獲らなければ良かった」と思った日

 静岡・沼津に生まれた3姉妹の次女は、5歳から地元のスイミングスクールで水泳を始めた。

「周りよりも速く泳げることが楽しくて」

 天賦の才を持った小さなスイマーは、すぐにプールの虜になった。多感な小学生から中学生にかけ、友達がしているような遊びの時間もすべて犠牲にして、練習に捧げた。キツイ時は1日、2日くらい「イヤだな」と幼心に思うこともある。「でも、練習をやめてまでそちら側に行きたいとは思えなかった」。だから、プールに毎日足が向いた。水泳があるから、自分が自分でいられた。

「楽しい」の延長線にオリンピックがあった。小6で平泳ぎの100メートル短水路学童日本記録を樹立し、中1で全日本中学大会100、200メートル2冠を達成。同じ年の日本選手権200メートル4位に食い込むと、翌年4月、バルセロナ五輪の選考会を兼ねた日本選手権で100、200メートルともに2位に入り、出場権を獲得した。そして、夏に迎えた五輪で、少女は歴史に名を刻むことになった。

 7月27日。「決勝に残ること」が目標だったはずが、表彰台の真ん中で君が代を聞いていた。

 200メートル予選で一気に自己記録を3秒30、当時の日本記録を2秒以上更新する日本記録を出し、全体2位で決勝進出。そして、決勝では大会前の持ちタイムで6秒の差があった世界記録保持者アニタ・ノール(米国)をゴール寸前で逆転し、世界を驚かせた。

 その快挙は、あの名台詞とともに、一気に日本中を駆け巡った。

 ただ、14歳にして付いた「五輪金メダリスト」の肩書きが、人生を大きく変えた。帰国するや、空港に多くの報道陣が待ち構え、日本中がフィーバーに沸いた。街を歩くと、どこに行っても視線を感じた。その“目”は好意的なものばかりではない。「14年しか生きていなくて何が分かる」。心ない中傷まで投げつけられた。まだ世間を知らない中学生にとって、心の重りになった。

 当時の日々を「異常だった」と今、振り返る。

「とにかく、人からの注目度が変わりすぎてしまった。それに対してストレスも感じた。『私は私、分かってくれる人は分かってくれる』と思おうとしたけど、私のことをまるで知らないような人からも色々と言われることがあって。それを必要ないものとして捉えるのに時間がかかってしまった。『なんで私がこんな思いしなきゃいけないの』と家族に当たるようなこともありました」

 自分を守るため、心を閉ざした。そして、いつしか思うようになった。

「金メダルなんて、獲らなければ良かった」

 もちろん、口に出すことなんてできない。金メダルを獲りたい選手が世界にどれだけいるか、それくらいは理解している。だから、余計に苦しかった。そんな日々が中3から高1が終わるまで2年間続いた。そして、その期間は今もほとんど記憶がないという。極度に強いストレスにより過去を思い出せなくなる「解離性健忘症」と言われるもの。それほど、心を覆っていた闇は深かった。

 光が差したのは高2で訪れた米国。13歳の時に日本代表として初めて行った海外合宿の地サンタクララのプールで再び泳いだ。その時に包まれた匂い、水の感触。すべてが懐かしくて、心が軽くなった。もう一度、あの時みたいに泳げばいいんだ、と――。

 文字通り、水を得たスイマーは再び、競技と純粋に向き合うことができた。かつてのように練習に取り組む日々。そして、翌春の日本選手権では100、200メートルともに五輪出場権を掴み、18歳で2度目となる夢舞台をアトランタで迎えることができた。

 これが、金メダリストの競技人生にとって特別なものになる。

中高生に贈る言葉「やってきたことを否定しないで。絶対無駄じゃない」

 100メートル予選落ち、200メートル10位。

 数字だけ見れば、4年前より見劣りしているのは事実。しかし、結果より大切なものがあった。「私にとって14歳までの水泳と14歳からの水泳は全く別物」。その上で「苦しい思いをしたから、得られたものがアトランタだと思っている」と思いを込めた。

「14歳までは本当に無邪気で、好きなものがあり、目の前のことを一生懸命できるのは最高のこと。でも、それは14歳くらいだから良かったんです。18歳になり、物事を考えてやらないといけない年齢になると、もう無邪気になんてできなくなってくる。五輪のメダリストとしての心の成長が、私はまだちょっと追いついていなくて、その分、葛藤したこともあった。でも結局、私は心底、水泳が嫌いにはなれなかったんです。

 だから、どんな状況でも続けることに意味があると思っていた。すると、心に余裕がなかった時に聞こえなかった声も耳に入ってくるようになった。周りから『乗り越えられない試練はない』と言われ、当たり前のことかもしれないけど、人の気持ちも理解できるようになった。そんな風に変われたのは、すべてバルセロナがあったから。過程の大切さを学び、それが私にしかできない経験だったと思うようになれたんです」

 無邪気なまま、14歳のバルセロナで頂点に立ち、苦しみ、大人になった18歳のアトランタで完全燃焼し、引退したのは20歳の時。まだ4年後を狙える年齢ではあったが、酸いも甘いも味わった競技人生に後悔はなかった。

 そして、41歳になった今、自身の競技人生から学んだことについて「“回復力”だったかな。つらい思いも、うれしい思いもするし、その中で体の回復も、心の回復もスポーツをしていたから学べた」と言い、振り返る。

「競技をしていた時も、競技を終えた時も、どんなに楽しく生きられない日々だって、すべて意味のあるものと思って生きようとしていた。それは今、この年になって生活しながらも思っている。この状況で最後の大会を迎えられず、競技をやめなければいけない中高生もいる。だけど、やってきたことが決して無駄ではないという思いを持ってもらえたらいいなと、心から思うんです」

 14歳で五輪金メダルを獲った元トップ選手と、“最後の夏”が絶たれてしまった中高生たち。隔てる壁は厚いように思えるが、10代という多感な時期に傷つきながら、前を向こうとしてきた過程は同じだ。

 だからこそ、岩崎さんはインタビューの最中、競技人生を振り返ってもらう中で、自身の体験を話しているうちに「今の子どもたちにも……」と繰り返して口にし、寄り添うように何度もエールを送った。

「大人の私が『分かってあげられない』と言ってしまえば、それまでなんですけど……。無理をしないで、吐き出せるものは吐き出してほしい。もちろん、吐き出せる子はいるけど、そうじゃない子もいる。だからこそ、周りの大人、指導者も声をかけて、一緒に乗り越えていくことが必要だと思います」

 そして、続ける。

「私は努力をしてきたから、その分、素晴らしい経験ができたと、自信を持って言える。今、まずは自分がやってきたことを振り返って、自信を持ってほしい。やってきたことは事実だし、絶対無駄じゃない。やってきたことを否定しないで。今を乗り越えるしかないと思ってもらえたらなと思うんです」

 自分を否定してしまうことは簡単だ。でも、自分と向き合うことで気づくことがある。苦しい時も練習に手を抜かなかったこと。仲間が苦しい時は手を差し伸べてあげたこと。そう過ごす中で「チームメート」が「一生の友達」になっていたこと。大切なことは、大会の結果だけじゃない。一つ一つの小さな気づきを集めれば、2年前よりずっと自分が大きくなっていた証しになるはずだ。

 二度とない「今」に何を思い、どう生きるか。壮絶な10代を乗り越えた岩崎さんは「すべてに無駄なことなんてない」と言う。

 未来を変えるのは、キミたち自身だ。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)