東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第3回 バスケットボール・渡邊雄太ジョージ・ワシントン大学でのホー…
東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第3回 バスケットボール・渡邊雄太
ジョージ・ワシントン大学でのホーム最終戦(2018年)
アスリートの「覚醒の時」——。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく——。
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ジョージ・ワシントン大学で大きく成長した渡邊
日本人史上2人目のNBAプレイヤー・渡邊雄太は、2018年までの4年間、全米大学体育協会(NCAA)1部のジョージ・ワシントン大学で腕を磨いた。渡邊曰く、カレッジ時代を振り返っての”最高の思い出”は3つあるという。
ひとつ目は2年時のシーズン中、当時全米ランキング7位だったバージニア大学を地元コートで破ったゲーム。ふたつ目は同シーズンの締めくくりに、マディソン・スクウェア・ガーデンで行なわれたナショナル・インビテーション・トーナメントの準決勝と決勝を勝利し、優勝を飾ったこと。
そして最後のひとつが、両親が見ている前で自己最多の31得点を挙げた、4年時のホーム最終戦だった。
筆者は渡邊が在学中、ジョージ・ワシントン大学のホームゲームに通い詰めた。日本人離れした渡邊の素質と能力に魅せられただけでなく、真摯な人柄と情熱に惹きつけられたからだ。
その取材歴の中でも、2018年2月28日に開催されたフォーダム大学との”シニアナイト”は、その場に居合わせた誰もが忘れられないだろう劇的なものだった。振り返れば、渡邊が大きな壁を越えたことを証明するような一戦だったように思える。
“シニアナイト”は、アメリカの学生スポーツにおける恒例イベントだ。シーズン最後のホームゲームで、卒業間近の最上級生の家族が会場に招かれ、功績を讃えられる。いかにもファミリーを大事にするアメリカらしいセレモニーが展開され、その後に開幕するカンファレンストーナメントへの景気づけにもなる。
誰よりも家族を尊敬する渡邊も、父・英幸さん、母・久美さんを招待した。試合前、両親が背番号12のユニフォームが収められた額を受け取り、笑顔で記念撮影していた姿が筆者の記憶にも残っている。
練習や試合を行なったコート、勉強部屋も含め、とてつもなく長い時間をホームアリーナで過ごした渡邊にとって、このセレモニーがどれだけ感慨深いものだったかは容易に想像できる。しかしゲームが始まると、エモーショナルなセレモニーはプロローグに過ぎなかったことに気づかされた。
この日の渡邊はいつになく積極的で、序盤から順調に得点を積み重ねていった。シュートタッチが抜群によく、ミドルレンジのジャプシュート、3ポイントシュート、ダンクなどを次々に成功。前半だけで19得点をマークし、フォーダム大学をほぼ独力で圧倒した。
「『今日はシニアナイトだ』とか、『親が日本から見に来てくれた』といったことを考えちゃうと自分のプレーに影響すると思ったので、シュートを狙うことだけを考えて、『とにかく攻め気でいこう』と思っていました。その結果、いいプレーができたのでよかったです」
試合後にそう述べたとおり、背番号12からは無用な緊張や、チームメイトへの遠慮、気遣いがまったく感じられなかった。
カレッジ時代の渡邊は、この日のように攻め気を前面に出し続けたわけではない。視野の広さを生かしたプレーが渡邊の長所であり、だからこそ常にチームメイトから愛される存在だったのだろう。
ただ、その献身さに物足りなさを感じることもあった。特に4年時はチームのベストプレーヤーだったため、「もっと強引に攻めてもいいのでは」と感じたことも1度や2度ではない。そんな渡邊が、卒業目前の”シニアナイト”で果敢なアタックを繰り返したのだ。
最上級生として迎えた2017-18シーズンは、渡邊にとって簡単なシーズンではなかった。個人の実力は攻守両面でハイレベルだったが、リーダーシップの確立に苦心した。熱い姿勢と闘志が同僚たちに響かなかった時期があり、その影響もあって、このシーズンのジョージ・ワシントン大学は15勝18敗(アトランティック10カンファレンス14チーム中10位)という成績に終わっている。
中でも2018年2月3日、ステフィン・カリー(ゴールデンステート・ウォリアーズ)の母校であるデビッドソン大学と対戦した際の”怒りの涙”は象徴的だった。
覇気に欠けたチームは、地元で29点差をつけられての大敗。その試合後、渡邊は「小学生レベルでもやってはいけないミスが出ている」「試合が終わってこんな(悔しい)気持ちになっているのは初めて」「みんなが考え直さないといけない」と、目を真っ赤にして声を荒げた。ホームアリーナの通路で涙を浮かべる渡邊に”孤独”を感じた。
しかし――。もがき、苦しんだシーズンの中で自分なりの答えを見つけ、渡邊は逞しく成長していった。大敗したデビッドソン大学との試合以降、エースの渡邊に鼓舞され、見違えるようにハードにプレーするようになったジョージ・ワシントン大は9戦で6勝。もっとも厳しい時期を乗り越え、自信をつけた渡邊もそれまで以上に積極的に攻めるようになった。
渡邊はシーズン終了までの20戦すべてでふた桁得点を挙げ、最後の10戦では平均19.7得点、5.9リバウンドという堂々たる数字。得意のディフェンスも健在で、目標のひとつに掲げていたアトランティック10カンファレンスの「ディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ジ・イヤー」も受賞した。
そんなシーズンを最高の形で締めくくった”シニアナイト”。渡邊は後半に入っても攻め続け、フィールドゴールを11/17、フリースローを7/7と高確率で決めて得点を重ねていった。そして、最終クォーターも残り3分を切り、チームが大量リードした状況でフリースローラインに立った渡邊は、シュートを放ちながら堪えきれずに涙を流した。
2本のフリースローを決め、カレッジキャリア最多の31得点に到達。試合終了間際に交代を告げられた際には、場内のファンから「Yuta! Yuta!」の大コールを浴びてまた涙が溢れた。苦しむ中で努力を続け、ついに自分の力を出しきれたという思いがあったからこそ、感情の昂りを抑えきれなかったのだろう。1カ月半前の悔し泣きとは違う、やり遂げたものだけが流せる美しい涙だった。
「この体育館で僕がプレーしているところを、親に見てもらいたいという思いが常にありました。試合前の入場では親と一緒にコートを歩き、写真を撮ったりしたいと思っていたんです。今日の試合は満足してくれたんじゃないかな」
ひとしきり泣いた渡邊は、ゲームを終えると家族思いの青年に戻り、会見では晴れやかな笑顔でそう述べた。誇らしげな両親とともにアリーナを去っていった姿を、つい先日のことのように思い出す。
このホーム最終戦から約8カ月後の2018年10月27日。メンフィス・グリズリーズの一員になった渡邊はフェニックス・サンズ戦に出場し、2003年の田臥勇太以来、日本人選手として14年ぶりにNBAのコートに立った。
NBAでのさらなる苦闘と、成長の過程はまた別の物語である。しかし、幼虫がサナギになるために必要だったジョージ・ワシントン大学での4年間は、渡邊の中で眩い輝きを放っているはずだ。そして、”シニアナイト”で浴びた最後の喝采と、万感の涙は、バスケットボールキャリアの大事な通過点として記憶され続けるに違いない。