最大のライバルであるロジャー・フェデラー(スイス)やラファエル・ナダル(スペイン)とは違い、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)は戦争で引き裂かれたセルビアで育った。ジョコビッチ一家はパンや牛乳を得るために列に並ばなければならなかった。ジョコビ…

最大のライバルであるロジャー・フェデラー(スイス)やラファエル・ナダル(スペイン)とは違い、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)は戦争で引き裂かれたセルビアで育った。ジョコビッチ一家はパンや牛乳を得るために列に並ばなければならなかった。ジョコビッチの母が語った一家の苦闘を、ウェブメディアEssentially Sportsが伝えている。一家は次の食事のあてさえない時もあったが、すべての望みをジョコビッチがプロテニス選手になることに賭けていた。しかし、ジョコビッチが若手選手だった頃に、彼に投資しようとしてくれるスポンサーは全く見つからなかった。

ジョコビッチがジュニアの大会でプレーしている頃、一家にはそのための費用を支払うお金はなかった。「毎朝起きても、パンを買うお金がないんです。セルビアでは何のサポートもありませんでした。幾晩も眠れぬ夜を過ごしました。心配で病気になりそうでした」とジョコビッチの母ディヤナさんは語った。

「他に選択肢はありませんでした。夫はスポンサーを探して、何千もの会社を回りました。ビジネスをしている人々と話し、ノバクに投資しないか尋ねましたが、誰も聞こうとしませんでした。残念なことです…(投資をしていれば)多分、彼らは何億というお金を稼げていたでしょうに」

当時、ジョコビッチの両親はスポンサーを見つけるために懇願しなければならなかったが、今の彼はテニス選手の中で賞金獲得高トップだ。彼は2016年にテニス史上初めて生涯獲得賞金1億ドル(約107億円)を突破した。

息子にテニスを続けさせるため、彼の父は非合法な活動をしている人々からお金を借りなければならなかった。しかしその利子は膨れ上がり、ますます一家を圧迫した。

「夫は非合法のビジネスをしている人々からお金を借りました。もちろん、高額な利子で。もう悪循環でした。借金を返すためにまた借金をし、何度も、何度も…。そして、金貸したちは私たちがどれほどお金を必要としているかを見ると、さらに利子を上げていきました」

両親はセルビアのコパオニクで働いていたが、二人の給料は家賃にも足りなかった。父が息子の大会に付き添っていく間、母は家に留まった。一家全員の旅費はとても払えなかった。

しかし、ジョコビッチは成功への固い意志と夢を叶える揺るぎない心を持っており、彼のバックハンド・リターンとフォアのパッシングショットがテニスを変えるまでに至ったのだ。

※為替レートは2020年5月13日時点

(テニスデイリー編集部)

※写真は2015年「ATP1000ローマ」優勝を祝うジョコビッチと両親

(Photo by Ian Walton/Getty Images)