【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】スポーツのない日常(前編)>>後編を読む アメリカの作家ハンター・S…

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
スポーツのない日常(前編)>>後編を読む

 アメリカの作家ハンター・S・トンプソンは、2005年2月に銃で自殺した。その4日前、彼は黒いサインペンで遺書をしたためていた。

 映画化もされた『ラスベガスをやっつけろ』をはじめ、独自の手法によるノンフィクションで知られた彼は、遺書にもタイトルをつけていた。「フットボールシーズンは終わった」と、そこにはあった(このフットボールとはアメリカンフットボールのことだ)。

「ゲームは終わった」と、トンプソンは書いていた。「驚くことは何もなくなった。歩くこともない。楽しいこともない。泳ぐことだってない。俺は67歳。50歳から17年過ぎた。必要だった時間、望んでいた時間より17年余計だった。まったくくだらん」



鹿島アントラーズの本拠地、カシマスタジアムではPCR検査が始まった photo by AFLO

 今、すべての人にとってフットボールシーズンは終わってしまった。新型コロナウイルスの感染爆発により、世界中のスポーツが停止している。これが人々のメンタルヘルスにとって最大のリスクのひとつになっているとは、考えにくいかもしれない。

 フランスの社会学者エミール・デュルケイムが『自殺論』を発表したのは、1897年のことだ。この本は自殺をテーマにした初のまともな社会学的研究であるばかりか、あらゆるテーマのなかでほとんど初のまともな社会学的研究だった。

 この著書でデュルケイムは、人は環境の大きな変化を経験したときに、自ら命を絶つことがあると論じている。そのとき彼の頭にあったのは、離婚や伴侶の死、経済的な困窮などだった。

 だが、新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウン(都市封鎖)は、誰にとっても突然の大きな変化だ。大量の失業を招き、前例がないほど多くの人々を孤立させている。

 しかも、僕たちは危険な季節を迎えている。北半球でもっとも自殺者が多いのは、昔からたいてい5~6月なのだ。

 この点に比べれば、スポーツが停止していることは小さな要因にも思えるが、軽く考えるわけにはいかない。スポーツが消えたことによって、多くのスポーツファンが自分の属する唯一のコミュニティーを失ったのだ。彼らはこの状況をどう乗り切るのだろう。

多くの人にとってスポーツを見ることは、試合そのものを楽しむより、他人と交流するための手段になっている。英ラフバラ大学のボルハ・ガルシア講師(スポーツ・マネジメント論)の研究チームは、ヨーロッパ各国のフットボールのサポーターに、それぞれの日常生活の中でフットボールが持つ意味を尋ねた。

 研究チームはサポーターたちに、試合を見に行ったときに撮った写真を送ってもらった。約1000枚の写真が集まったが、そのうち9割近くは試合を撮ったものではなかった。

「送られてきた写真は、たとえばアウェーの試合に出かけるバスの中や、子どもをスタジアムに連れていくときの細かな準備の様子、ゲーム前のスタンドの盛り上がりなどを撮ったものが多かった」と、ガルシアは言う。

 スタジアムで試合を見たり、友だちと一緒にテレビでスポーツを見るとき、人は個を捨てて、集団に溶け込む。それは、ほとんど本能的とも言える経験だ。

「『独りぼっちの哀れな自分』という思いを忘れさせてくれるなら、どんなものでも精神の解放につながる」と、ロンドンの精神分析医で『フットボールの錯乱』の著書があるクリス・オークリーは言う。

 オークリーによれば、観客席で騒いでいるファンは、抑制を捨てて「管理しうるレベルの狂気」にひたっている。たとえサポートしているチームが敗れても、他人と感情を共有する機会になる。

 同じチームのファンであることの魅力は、特に一部の男性にとっては、言葉さえ必要がない点だろう。サポートしているチームが同じだというだけで、わかり合えるものがある。

 スポーツには、どう考えても気が合いそうにない人たちを結びつける力さえある。冒頭に登場した作家のトンプソンは、1968年のアメリカ大統領選挙期間中のある夜、ニューハンプシャー州をリムジンで旅した。同行者は、トンプソンがもっともつき合いたくない人物である共和党大統領候補のリチャード・ニクソンで、ふたりは後部座席でずっとアメリカンフットボールの話をしていた。

「まったくイカれた旅だった」と、トンプソンはのちに書いている。

「俺の人生のなかでも、もっともイカれた行動に入るだろう。本当にイカれていた。なにしろニクソンも俺も楽しんでいたんだから」

「ニクソンについては、まだいくらでも書けるが……」と、トンプソンは続けた。

「俺の心の中では、あいつを人間として認めていいのかという深刻な疑念が捨て切れない。だがプロフットボールについて、あいつがあらゆる側面を知りつくしていることは認めざるをえない」
(つづく)