【“ドイツS級コーチ”鈴木良平の指導論|第2回】ボルシアMGのU-9指導で見た“休む暇がない”トレーニング ブンデスリーガで当時1部のアルミニア・ビーレフェルトでの指導歴を持つ鈴木良平は、数年前にボルシア・メンヘングラードバッハ(MG)と1…

【“ドイツS級コーチ”鈴木良平の指導論|第2回】ボルシアMGのU-9指導で見た“休む暇がない”トレーニング

 ブンデスリーガで当時1部のアルミニア・ビーレフェルトでの指導歴を持つ鈴木良平は、数年前にボルシア・メンヘングラードバッハ(MG)と1FCケルンでU-9(9歳以下)のトレーニングを見る機会を得た。1974年に自国で開催された西ドイツ(当時)ワールドカップの優勝メンバーだったライナー・ボンホフとヴォルフガング・オベラートに連絡すると快く迎え入れてくれた。前者は現在ボルシアMGの副会長、後者はクラブを象徴するレジェンドである。

 鈴木が特に感心したのは、ボルシアMGに設置されたトレーニンググラウンドだった。フットサル場ほどの広さでハンドボール程度のゴールが埋め込まれ、周りはすべて塀で囲まれ高さ約3メートルのネットが被せられている。これが何を意味するかと言えば、ゲームが一切途切れないということだ。ボールはどこへ飛んでも跳ね返り、スローインやコーナーキック、ゴールキックはない。選手たちは、この条件下で5対5のゲームを1セット5~7分間程度で区切り、何度か繰り返すことになる。

「つまり一切休む暇がない。いつも頭を高速回転させて、次の展開に反応していかなければならないわけです。塀を使ってワンツーを狙う子もいれば、ゴールの枠を外れたシュートの跳ね返りを狙う子、またそれを防ごうとする子がいる。この攻防では相当激しい体当たりやスライディングもありますが、監督やコーチはよほど酷いファウルでもなければ腕を組んで見守っている。子供たちは自然とコンタクトの仕方や、厳しい状況で使えるテクニックを覚えていく。ピッと笛を吹いて止めるのは、本当に稀です」

 笛が鳴ると指導者は選手を呼んで何やら語りかけている。鈴木はトレーニング後に、どんなことを話しているのか尋ねてみると、次のような返答だった。

「一番大事にしているのは、選手に自分で決めてプレーさせることです。だからその判断について批判はしません。しかし、どうしても大切なことを伝えなければならないこともある。そこで選手の意図を確認したうえで、ヒントを与えるようにしています。例えば、ここに味方がいてパスを出せる可能性はどうだったのかな、などと考えさせるためのアドバイスを送っています」

ドイツの指導者は勝利を追求しながら「プロセスを大切にしている」

 一方ケルンも精選された少人数の選手たちが、独自の方法で厳しさを追求していた。改めて鈴木は指摘する。

「結局トレーニングは工夫とアイデア次第で、いくらでも改善の余地があるということです。こうしてドイツでは、担当する指導者に大きな責任と権限が与えられている。最大の目的は、良い選手を育てることですが、同時にチームの結果も求められ、もしもっと良い指導者がいれば交代させられます。しかし彼らは勝利を追求しながらも、それ以上にプロセスを大切にしている。ところがまだ日本では、そこを履き違えている指導者がいる」

 鈴木は都内で行われた小学生大会での光景を見て愕然とした。朝から長時間をかけて試合が続けられたのだが、ある強豪と呼ばれるチームの子供たちは、試合に負けたために延々と走らされていた。クラブを統括するのはJリーグクラブの監督経験者だった。

「若年層では、個々としっかりと向き合い、どうすればこの子が上達するのかを最優先に考え、工夫することが大切です。もちろん試合では勝つことを追求しますが、それがすべてではない。負けたら走ってろ、なんて時代錯誤も甚だしい」

 ただしブンデスリーガのアカデミーには、罰走などより厳しい現実がある。少数精鋭で活動している以上、優秀な選手を一人迎え入れることになれば、代わりに誰かが去っていく。去った選手は、自分の実力に見合ったチームでプレーをする。こうしてドイツでは、個々が適正水準で試合をする仕組みが維持されている。(文中敬称略)

[プロフィール]
鈴木良平(すずき・りょうへい)

1949年生まれ。東海大学を卒業後、73年に西ドイツ(当時)のボルシアMGへ留学。名将ヘネス・バイスバイラーの下で学びながら、ドイツサッカー連盟S級ライセンスを取得した。84-85シーズンにはブンデスリーガ1部のビーレフェルトのヘッドコーチ兼ユース監督を務めた。その後は日本女子代表初の専任監督に就任するなど女子サッカーの発展にも尽力。ブンデスリーガなどのテレビ解説者としても活躍する。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。