2000年の桜庭和志はまさに

「時代の寵児」だった

桜庭和志「グレイシー一族撃破」から20年(5)

 90分に渡る死闘として語り継がれる「伝説の桜庭和志vsホイス・グレイシー戦」から、5月1日で20年が経った。

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 地味な職人タイプのプロレスラーだった桜庭が、総合格闘技で注目を集めたのは1997年。『UFCジャパン』でカーウソン・グレイシー柔術黒帯のマーカス・コナン・シウヴェイラに勝利した際、「プロレスラーは、本当は強いんです!」と言い放ち、プロレスファンの溜飲を一気に下げてみせた。

 その後、戦いの場をプロレスのリングから『PRIDE』のリングに移すと、その実力が一気に開花。世界の強豪外国人格闘家を次々と撃破していった桜庭は、ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンと難攻不落のグレイシー一族にも立て続けに勝利し、「グレイシーハンター」として一時代を築いた。

 いったい、桜庭の何がすごかったのか——。

 それは、まだルールや階級がきっちり整備されておらず、総合格闘技(MMA/ミックスド・マーシャル・アーツ)というよりはバーリ・トゥード(何でもあり)だった時代に、”面白い試合”をすることでファンを増やしていった点だ。

 バーリ・トゥードはどうしても、殴り合い・蹴り合いがベースで野蛮なイメージがある。だが、桜庭の試合では、モンゴリアンチョップやフットスタンプが飛び出す。

 もちろん、ふざけてやっているわけではない。桜庭なりに相手の意表を突いた戦術のひとつだ。

 だが、桜庭は動きの少ない膠着状態が多い試合をよしとしない。守りに入る試合をするくらいなら、自分から動いていってKO負けするほうが試合としては面白いと考えるタイプだ。

 私はホイス戦の前に、桜庭の自伝『ぼく。』の制作を通じて、桜庭のプロ意識や考え方にたくさん触れることができた。もちろん桜庭だって、プロレスと総合格闘技が同じものとは思っていない。しかし、面白い試合をしないとお客さんは喜ばないし、プロである以上はお客さんが喜ぶような試合をしてナンボという部分は同じなのだ。

 今や総合格闘技は、ルールや階級が整備され、”競技”として成熟したジャンルになりつつある。桜庭が活躍した20年前はまだ黎明期で、無差別級トーナメントの2回戦から決勝戦までを1日でやってしまったり、ホイスの試合にかぎり「15分無制限ラウンド」なんていうムチャクチャなルールも、可能といえば可能だった。

 ホイス陣営の理不尽な要求、無制限ラウンドだったからこそ90分にも及ぶ死闘になったことを考えると、20年前のあの時代だったからこそ、「桜庭vsホイス戦」は語り継がれるべく伝説の一戦になったと言っていいだろう。

 あと、忘れてはいけないこととして、2回戦でホイスに勝った桜庭はその日準決勝の試合にも出場している。よりにもよって、スーパーヘビー級のイゴール・ボブチャンチン相手に15分間、試合をしているのだ。

 さすがに最後は疲労困憊で、延長ラウンド前にタオル投入で準決勝敗退となったが、当時の桜庭がいかにタフだったかがわかる。そもそも現代では、選手の安全面を考慮して絶対にあり得ないシステムだ。

 決して大きくない身体を張り続け、黎明期のPRIDEを支え続けた桜庭は、間違いなく日本を代表するMMAレジェンドファイターだ。桜庭の試合を見て総合格闘技の面白さを知ったファンは多いだろう。

 もともとは「ヒクソン・グレイシーvs高田延彦」を実現させるために立ち上げられたPRIDEだが、その後、桜庭とグレイシーの抗争があったからこそ、世界最高峰のイベントにまで成長したと言っても過言ではない。

 桜庭はその功績が認められ、2017年にUFCの殿堂入り(パイオニア部門)をしている。現地時間7月6日にアメリカ・ネバダ州ラスベガスにあるパーク・シアターにて開催された式典に、紋付き袴姿で出席した桜庭は、スピーチのなかでこんなことを言っている。

「ぼくはプロレスラーに憧れ、プロレス団体に入門しました。プロレスというジャンルで育ったぼくにとって、体重差などは当たり前で、大きい選手と小さい選手が戦うのはお客さんを喜ばせるギミックとしか考えていませんでした。しかしMMAにとって、それは命取りにもなりえる大問題だったのです。

 競技として体重差は、試合を大きく左右します。ぼくは何度もそれを体感し、難しさを痛感しました。しかし、そういう試合をしてきたことに後悔はまったくありません。そういう試合をしてきたからこそ、お客さんにインパクトを残せたことも事実だと思うからです。

 ぼくはアスリートであると同時に、プロレスラーです。プロレスで学び、プロレスから吸収した細胞がDNAとして染みついています。お客さんに伝わる試合をすること——それがプロレスラーとしての、ぼくの矜持です。

 大きな選手に向かっていくぼくの姿を通して、お客さんの人生に何らかの影響を与えることができたとしたら、プロとしてこれ以上の幸せはありません」

 そういう意味で、ホイス戦前後の桜庭の傍(かたわら)で一緒に仕事をさせてもらえたのは、私にとって財産でしかない。専門誌の記者でも、名のあるライターでもない私が、今でもこうやってプロレスや格闘技の仕事をしていられるのは、桜庭の自伝『ぼく。』を企画した担当編集者だったという恩恵が少なからずある。

 今回、歴史が変わる瞬間を間近で見た者のひとりとして、少しでも桜庭伝説を語り継いでいこうとこういうコラムを書く機会をいただいたが、最後にひと言、つけ加えておこう。

 現在50歳の桜庭は今でも現役だし、面白い試合をしようとしている。自ら打撃なし・寝技格闘技のイベント『QUINTET』を立ち上げた一方、”プロレスの天才”武藤敬司からは「桜庭と俺で新しいプロレスをつくり出そうぜ」とラブコールを送られている。桜庭伝説はいまだ継続中。

 伝説の桜庭vsホイス戦から20年——。

 無制限ラウンドということで、試合中に手に汗握りながら「終わる時が来るのかな?」と本気で思ったことをよく覚えている。

「終わらないんじゃ……」と思うようなことでも、きっと終わりは来る。願わくは、その終わりが桜庭vsホイス戦のエンディングのようなハッピーな光景であってほしい。