「オープン球話」連載第19回 第18回はこちら>>【「ハズレ、ハズレ1位」で山田哲人を獲得】――今回も前回に続いて、…

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【「ハズレ、ハズレ1位」で山田哲人を獲得】

――今回も前回に続いて、スカウト時代について伺います。八重樫さんのスカウト2年目となった2010(平成22)年ドラフトは「88年世代」が大卒で指名されました。ヤクルトは「ハンカチ王子」こと、早稲田大学の斎藤佑樹(日本ハム)を1位指名しましたね。

八重樫 正直に言えば、スカウトの間ではこの時の斎藤の評価はあまり高くはなかったんです。大学時代について言えば、大学1年生の時はよくて、2年がダメで、3年でちょっと持ち直したけど、4年生の時にはボールがほとんど来ていなかった。僕がスカウトになる前の話だけど、すでに1年生の時から「うちは大学卒業時に指名する」って、話が決まっていたみたいだけどね。


2010年に

「ハズレ、ハズレ1位」でヤクルトに入団した山田哲人 photo by Sankei Visual

――抽選の結果、斎藤投手を外したヤクルトは、「ハズレ1位」として、八戸大学の塩見貴洋(楽天)を指名します。塩見投手は八重樫さんの担当選手ですね?

八重樫 「斎藤を指名する」というのはチームの既定路線だったけど、「もしも外したら塩見を1位指名で」と進言したのは僕でした。コントロールがよくて、フォームに柔らかさがあるのが魅力でしたね。あと、目についたのは彼のバッティングのよさ。バットコントロールがよくて、フリーバッティングでもいい打球を飛ばしている。もし投手として結果が出なかったら、野手への転向もできる。それで、投手も打席に立つ「セ・リーグ向きだな」と思って指名しました。

――しかし、抽選の結果またしても外れ。塩見投手は楽天に入団することになりました。続いて「ハズレ、ハズレ1位」として指名したのが履正社高校の山田哲人でした。

八重樫 確かに2度の抽選を外して山田を指名したけど、もともと山田も、1位指名候補のひとりでした。この年は塩見、山田を高く評価していたので、山田の1位指名は、ある意味では想定内だったね。

――後に日本を代表するスター選手のひとりになったわけですから、山田選手の獲得は結果的に大成功でしたね。

八重樫 山田はオリックスと競合だったけど、当時オリックスの監督だった岡田(彰布)はかなり悔しがっていたよ。それにしても、山田の獲得は大きかったよね。古田(敦也:1989年ドラフト2位)と山田の獲得は、ヤクルトにとって記憶に残る「うれしい誤算」だったんじゃないかな?

【成功できるのは「野球に没頭できる選手」】

――漠然とした質問になってしまいますけど、「プロで成功するコツ」「大成する選手の特徴」みたいなものってあるんですか?

八重樫 やっぱり、どれだけ野球に没頭できるかが大きいと思いますよ。特に高卒の選手の場合は。社会人出身ならば、「仕事と遊び」を上手に両立できるタイプが多いけど、高卒の選手が遊びに夢中になると、どうしても野球が中途半端になりがち。そういう意味では畠山(和洋)だけですよ、例外は(笑)。


2009年から2016年までヤクルトのスカウトを務めた八重樫氏

 photo by Hasegawa Shoichi

――2010年のドラフトについて、他に印象に残っている選手はいますか?

八重樫 この年のドラフト5位の久古健太郎は印象深いな。彼は当時、日本製紙石巻に在籍していたんだけど、日産自動車の野球部が休部になって日本製紙に移籍して、まだ1年目だったんです。日本製紙石巻に失礼だから、本来ならば移籍直後に指名してはいけないんですよ。確かにいいピッチャーだったし、「面白い素材だな」とは思っていたけど、僕の頭の中ではこの年に指名する考えはまったくなかったんですよね。

――それでも、ドラフト5位で指名したのはどういう事情だったんですか?

八重樫 チーム事情でどうしても左投手が手薄だったんですよね。それで、当時のスカウト部長が「誰かいい左ピッチャーはいないか?」というので、久古の名前を挙げたら「ぜひ指名しろ」ということになって、石巻の監督に頭を下げて、本人の意向を確認してもらって指名することにしました。

――ルーキーイヤーの2011年には52試合に登板するなど、貴重な中継ぎ投手として活躍しましたね。

八重樫 彼の実力からすれば、「左のワンポイント」とか「1イニング限定中継ぎ」だったら、ある程度は活躍できるだろうとは思っていました。結果的に故障や体調不良もあって、1年目がキャリアハイになったけど、印象深いいいピッチャーでしたね。

【由規以上の逸材を獲得したものの……】

――翌2011年ドラフトは東海大学・菅野智之(巨人)、東洋大学・藤岡貴裕(ロッテ→日本ハム→巨人)が話題となりました。ヤクルトは東海大甲府の高橋周平(中日)を指名したものの抽選で外れて、光星学院・川上竜平を1位で獲得しました。川上選手は青森の光星学院出身ですから、八重樫さんの担当ですね。

八重樫 球団としては高橋周平が本当にほしかったんですよ。僕は北海道・東北担当だったけど、高橋を見るためにスカウト部長と一緒に東海大甲府まで見に行きました。ドラフト前の理想としては「1位:高橋周平、2位:川上竜平」の高校生コンビの獲得でした。

――結果的に高橋選手を外して、川上選手を1位指名しました。彼の魅力はどんなところでしたか?

八重樫 外野手として守備範囲の広さは魅力でした。足もすごく速かったしね。肩も強くて、球も速くて、投手としての適性もあった。でも、結果的に川上が一度も一軍出場がないまま退団していったので、SNS上では「八重樫はダメだ」って言われているんですよ(苦笑)。僕にも言い分はあるんだけど、プロは結果がすべてだから、言い訳はしないですけどね。

――この年はドラフト3位で日本製紙石巻の比屋根渉も獲得しています。これも八重樫さんの担当ですね。

八重樫 この年は「足の速い外野手がほしい」というチーム事情がありました。ただ、比屋根の場合は練習の時から、ちょっとしたミスが多かった。その点は心配だったけど、プロでもそういう部分は直らなかったよね。そこがもったいなかったな。

――この年のドラフトは1位:川上、3位:比屋根、4位:日本製紙石巻・太田裕哉、5位:東北福祉大学・中根佑二と、八重樫さん担当の選手が多く入団しました。

八重樫 忘れられないのは中根ですよ。ひざを故障していたし、社会人チームへの入団も決まっていたのでどこも指名しなかったけど、僕は彼の内視鏡写真を取り寄せてトレーナーや医者に診てもらったんです。そうしたら、「東京に来てきちんと手術、治療すればよくなる」というお墨付きをもらったんで、自信を持って指名したんですけどね……。

――結果的に一度も一軍登板のないまま、2015年シーズンでの退団となりました。

八重樫 最後の最後まで粘って、東北福祉大の監督の許可を得て、球団の許可も得て指名したんですよ。それだけ、どうしてもほしかった選手だったよね。仙台育英高校時代は由規と同級生で、もともと中根がエースで由規が控えだったけど、中根が故障して、由規がエースになったんだよ。でも、素材としては由規以上の物を持っていたと、今でも思うだけに残念だったな。

(第20回につづく)