東武東上線、東武練馬駅近くにある三迫ボクシングジムを訪ねたのは4月3日。

 ジムの入り口には消毒液が置かれ、入館時の消毒が義務づけられる。開けられた窓からは少し冷たい風がジム内を吹き抜けた。

 3月に入って小中高生、一般会員のジム入館を禁止しているため、トレーニングをしているのは、数名のプロ選手だけ。その中のひとりが、日本スーパーライト級1位、プロボクサー永田大士(30歳)だった。




いつ試合行なわれるかわからない中でも、最善をつくしているプロボクサーの永田大士

「さすがにジムがざわつきましたよ」と、永田は2月26日のことを振り返る。その日、日本プロボクシング協会と日本ボクシングコミッションが、3月中に日本全国で行なわれるすべての興行を中止ないし延期することを発表した。

 しかし、新型コロナ収束の兆しは一向に見えず、その後、延期の期間は「4月15日まで」、「4月末まで」、「5月15日まで」と伸びていった。

 永田は5月28日に、日本スーパーライト級のベルトをかけて王者であり、井上尚弥のいとこである井上浩樹(大橋)との対戦を控えていた。

 この時点で、永田の試合も延期される可能性が高い状況。それでも、永田は言った。

「もちろん自分自身が感染しないよう細心の注意を払いながら、試合があることを前提にトレーニングは続けます。やるべきことをやったうえで、変えられない出来事に関してはそれ以上考えない。僕ができるのは、5月28日にベストな状態に持ってくために今やるべきことをやるだけ。それがプロだと思うんです。僕、プロボクサーですから」

 無観客試合の可能性や何よりボクシングという競技の性質上、トレーニングを完全に中断してしまう判断を下すのは難しかった。ボクサーは試合に向け2、3カ月前から本格的なトレーニングを開始し、同時に減量を行なう。永田の場合、試合1カ月半前から10キロ弱を落とす。トレーニングの強度は上げながら、疲労を残さないよう、普段から10%以下の体脂肪率を6、7%でキープし、追い込みのトレーニングを行ない、最後に規定体重まで落とすのだ。

 1カ月半後に試合の予定がある以上、安全を最優先にしつつ、できる範囲内のトレーニングを永田は続けてきた。

 スパーリングなどの練習は極力行なわないなど、以前のような練習はできない。不便さはもちろん、収入面では大きなダメージをすでに受けていた。永田は昼間、三迫ジムの営業時間外にジムのスペースを借り、パーソナルトレーナーをして収入を得ていた。現在、パーソナルトレーニングがまったくできず、収入は激減している。

「日本チャンピオンクラスもバイトや仕事をしているのが普通ですからね。だから、キツイといえばキツイですけど、みんな同じ。それよりも、スポンサーになっていただいている人の多くが飲食店をされていて、いつもお世話になっているので、こんな状況だからこそ、少しでも何かお手伝いできればと思うんですが、今は『美味しいですから、ぜひ行ってみてください』と言うこともできない。力になりたいのになる術がないのは口惜しいですね」

 永田の経歴を簡単に紐解くと、14歳からボクシングを始め日章学園卒業後に自衛隊へ入隊。1961年の創立以来、143人ものオリンピアンを輩出した自衛隊体育学校でボクシングを続け、オリンピックを目指した。

 しかし、2012年に全日本社会人選手権で優勝するなどの成績を残すも、五輪の夢は叶わず。6年間勤務した自衛隊退職後にプロ転向し、2014年にプロデビューしている。現在、17戦14勝2敗1分(6KO)。昨年10月、チャンピオンカーニバル最強挑戦者決定戦に勝利し日本王座への挑戦権を獲得、一度は今年3月16日にタイトルマッチが開催されることが決まっていた。

 しかし、今年2月、王者・井上のケガのため、試合は5月28日に延期。

「気持ちはすぐ切り替えました。練習の時間が増えた分、もっと強くなれるって」

 ただ取材から3日後、日本プロボクシング協会と日本ボクシングコミッションは、4月6日に5月末までの全試合の延期を決定。永田の試合は夏を目処に調整中となった。

 さぞ落ち込んでいるだろうと電話をすると、電話口で永田は「どんだけ僕を強くさせてくれるんだ」と笑った。

「本当に言葉を選ばなければいけませんが、この情勢です。世の中的にも試合どころではない。もし5月に試合が行なわれても、知り合いを呼ぶこともできなかった。でも、もし(新型コロナウイルスの感染拡大が収束に向かい)夏に試合ができる状況になっているなら、安心して『試合を見に来てください』と呼べます。その日までに、もっと強くなれると思って練習を続けます」

 試合がいつ開催されるともわからなくとも、その日にベストな状態で迎える努力を惜しまないというスタンスを、永田は変えるつもりはないという。それには理由がある。

「ボクシングで、今の暗い世の中に少しでも明かりを灯せれば」

 永田はチャンピオンになること以外にもうひとつ目標がある。それが、ボクシングを通して、誰かのためになることをしたいということだ。

「僕は全日本社会人選手権を獲ったあとに肘の手術をして入院しています。その時、今後は自衛隊体育学校にはいられない、要は選手外通告を受けました。大袈裟に聞こえるでしょうが、オリンピックに出場することがすべてだった僕からしたら、それは死刑宣告も同然で。これから何のために生きていけばいいかわからなくなってしまった。入院中で時間だけはあったので、自問自答をずっと繰り返し、出てきた答えがボクシングを通じて、誰かのためになることをしたいということでした」

 だから永田は、タイトルマッチに勝つことと同等、もしくはそれ以上の価値を見出している。

「今後、試合ができるような日常が帰ってきたとしても、これだけ社会、経済がダメージを受け、これからどうしたらいいんだろうと途方に暮れる人で溢れると思うんです。そんな人が深夜に偶然テレビをつけた時、僕の試合が流れていたら。『この選手、なんかすげー頑張ってるな』って思ってもらえる試合をしたい。もしも、『俺もちょっと頑張ってみようかな』って、ひとりでも思ってもらえたら。そう考えると、準備不足で中途半端な試合をすることはできません」

 永田は、引き分けに終わったプロデビュー戦を今でも後悔している。それは勝てなかったからではない。

「当たり前ですけど、ドローって勝ちでも負けでもない。言い換えれば、生き残ったわけでも、死んだわけでもない。お客さんは、きっとプロボクサーの生き様、死に様を見に来てくださっている。だから、ドローじゃダメなんです」

 戦績の最初に記された△が永田を強くした。

 その後に記されたふたつの●もまた、大きな糧となっている。

「1度目の敗戦はデビュー戦後に8連勝して迎えたデスティノ・ジャパン(ピューマ渡久地)戦。応援してくださった方には申し訳ありませんが、あそこで負けてよかった。負けから学んだことがたくさんある。もしも、無敗だったころの自分に話しかけられるなら、『おまえは人として未熟。このままサクサク無敗で勝ち続けても、どのみち、どこかでコロッと負けるよ』って伝えたいです」

 永田の2度目の敗戦は2018年10月、OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者・内藤律樹(E&Jカシアス)とOPBFスーパーライト級タイトルマッチ。1対2の判定負けを喫している。

「たとえ微々たるものだったとしても、その差は大きい。負けは負け。負けた以上、『負けました』と言わなければいけない。たられば、かもしれないは考えない。敗戦が、また僕を強くしてくれたと思っています」

 もちろん、見えない明日にブレそうになることもある。そんな時、永田は大きく深呼吸して10回、自分の名前を唱える。

「最近、宮崎県の実家から荷物が届いたんです。中に缶詰やハンドソープ、母親手製のマスクが入っていました。うれしいっすよね、心配してくれて。僕、今でも何か迷ったら母親や家族に相談するんです。気持ちをしっかり持てるのも母ちゃん、家族のおかげです。昔、母親に言われたんですよ。心が揺れたら自分の名前を10回呟きなさい。気持ちが落ち着くからって」
 
 4月8日、政府の緊急事態宣言が発令されたことを受け、他ジム同様、三迫ジムも当面の臨時休館が決まった。永田はより万全を期すために、トレーニングのために通っていたスポーツジムを休会した。今後は自宅、自宅周辺でできるトレーニングを重ねる。

 夏にタイトルマッチを行なうことができるのか、まだ誰もわからない。それでも、永田は試合が開催されることを前提に、今日もトレーニングを続ける。

「いつか日常が戻ってきた時に、ボクサーが、アスリートが、誰かの何かしらの光になれればと願っています」