レアル・マドリード王者の品格6 現在のレアル・マドリードは、世界選抜のような陣容である。 スペイン代表のセルヒオ・ラ…

レアル・マドリード王者の品格6

 現在のレアル・マドリードは、世界選抜のような陣容である。

 スペイン代表のセルヒオ・ラモス、イスコ、ダニエル・カルバハル、ナチョ、ルーカス・バスケス、マルコ・アセンシオ。ブラジル代表のマルセロ、カゼミーロ、エデル・ミリトン、ヴィニシウス・ジュニオール、ロドリゴ・ゴエス。フランス代表のカリム・ベンゼマ、ラファエル・ヴァラン、フェルランド・メンディ。クロアチア代表のルカ・モドリッチ、ドイツ代表のトニ・クロース、ウェールズ代表のガレス・ベイル、コロンビア代表のハメス・ロドリゲス、ベルギー代表のエデン・アザール、ウルグアイ代表のフェデリコ・バルベルデ、セルビア代表のルカ・ヨビッチ……。



2001年、ユベントスからレアル・マドリードに移籍したジネディーヌ・ジダン

 まさに多国籍軍。バベルの塔が崩れるように、チームの結束が乱れても不思議ではないが、そうはならない。マドリディスモ(マドリード主義)の理念に照らし合わせ、ふさわしい選手は活躍を遂げ、ふさわしくない選手が”排除”されることで、均衡は保たれる。アルフレッド・ディ・ステファノ以来の歴史が根本にあるのだ。

 しかし、クラブが純粋な勝利ではなく、希望的観測で人気を得たとき――。彼らは”報い”を受けることになる。

 2000年7月、フロレンティーノ・ペレスがレアル・マドリードの会長に就任した。当時、欧州王者になったばかりのチームは豪奢に映ったが、積もり積もった負債は2億5000万ユーロ(当時のレートで約350億円)。実のところ、”首が回らない”状態だった。

 大手総合建設会社の経営者でもあるペレスは、意欲的にクラブ再建へ乗り出している。その手腕は際立っていた。一等地にあった練習場の土地を売却することで、借金をほぼ完済。行政の都市開発を動かし、人と物と金の車輪をぐるぐると回し、郊外に新練習場も建設した。

 飽和状態だった外国人選手を次々に売却する一方、ポルトガルのビッグスター、ルイス・フィーゴをバルセロナから”強奪”し、クラブに活気を与えている。会長選の公約を実現させたのだが、その剛腕にマドリディスタ(マドリードファン)も一発で魅せられた。

 ペレス時代の開幕だ。

 2000-01シーズン、レアル・マドリードはリーガ・エスパニョーラ優勝。フィーゴを失ったバルサが4位と低迷し、マドリディスタは快哉を叫んでいる。ラウル・ゴンサレスが得点王に輝き、ゴールマウスは若きGKイケル・カシージャスが守った。

 2001-02シーズンには、ペレス会長の「フィーゴに続いて、これからは1シーズンにひとり、大物選手を取る」という戦略が再び功を奏した。ユベントスから獲得した世界最高選手ジネディーヌ・ジダンが、スーパープレーで面目躍如。チームはチャンピオンズリーグ(CL)で決勝に進み、ラウルとジダンの得点で頂上を極めた。

 2002-03シーズン、ペレス会長はブラジル代表のロナウドを獲得している。世界的ストライカーの獲得は、大きなセンセーションを巻き起こし、マーケティング面では成功だった。グッズ販売は好調だったし、アジアツアーなどが大盛況を迎え、クラブのブランド化で、収入は飛躍的に増えた。

「Zidanes y Pavones」

 ペレスは、新たにポリシーを発信した。ジダンのようなスター選手とフランシスコ・パボンのような下部組織出身者でチームを構成するという意味だった。その用語をマスコミに広め、旗印に掲げた。

 しかし、これが崩壊の前触れになった。

「下部組織の選手に機会が与えられるのは歓迎だったよ。でも、序列を作ってしまったのは、感じが悪かった。なぜなら、そのどちらにも属さない選手はいたわけで、選手間の距離が離れ出したんだ」

 当時、下部組織から抜擢されたセンターバック、ルーベン・ゴンサレスの告白である。実際、サンティアゴ・ソラーリやフェルナンド・モリエンテスなど、どちらにも属さない選手たちは、「Clase Media」(中流階級)と呼ばれた。気を遣っているようで、馬鹿にした呼び名だ。

「フィーゴ、ジダンが移籍してきた頃は、基本的な戦い方に変化はなかったよ。(ビセンテ・)デル・ボスケ監督が作ってきたベースがあったからね。でも2002年にロナウドがやってきて、アタッカーが増えたな、という印象は持った。クラブとして、スペクタクルな展開を信条とするのは理解できたけど、前のめりになっていく感じは不安になった。まだ、(フェルナンド・)イエロ、(クロード・)マケレレがいればどうにか守れる、というのはあったけど」

 チームは攻守のバランスを失い始めていた。スター優遇がエスカレートした現場は、アタッカーが余り気味だった。2002-03シーズンは、圧倒的な攻撃力で優勝したが、失点数は増え、危険水域に近づいていた。

 しかし、ペレス会長は漏れ出した不安を強権で封じ込めた。発言力のある主将のイエロを戦力外とし、中盤でボールを絡めとって配給していたマケレレを売り払い、政策に懐疑的だったデル・ボスケ監督も解任。そして2003年夏、スターダムの極みにいたデイビッド・ベッカムを手に入れた。

「Los Galacticos」

 有名な「銀河系軍団」の完成だ。

 2003-04シーズン、レアル・マドリードは前半戦、快調な戦いを見せている。敵地のクラシコで勝利し、首位固めに成功。ベッカムは意外にもボランチとして献身的に働き、攻撃力がかみ合った時は他を寄せ付けなかった。

 CLでも、モナコとの準々決勝まで進出していた。
(つづく)