人生はトントン拍子で事が運ぶほど甘くはない。厳しいプロ野球の世界ではなおさらだ。 ホークスに入団して今季4年目、2…

 人生はトントン拍子で事が運ぶほど甘くはない。厳しいプロ野球の世界ではなおさらだ。

 ホークスに入団して今季4年目、21歳の古谷優人(ふるや・ゆうと)。ドラフト2位でプロ入りし、有望株と大いに期待された左腕だが、一軍実績はまだゼロ。



昨年、日本人左腕として史上初の160キロを記録したソフトバンク・古谷優人

 故郷は北海道中東部に位置する幕別町。地元の江陵(こうりょう)高校では甲子園出場は果たせなかったが、3年夏の道大会では最速154キロや1試合20奪三振をマークして同校を初のベスト4に導いた。

 プロ入り後は、1年目のオフに「胸郭出口症候群」による血行障害に悩まされながらも、2年目には二軍公式戦で29試合に登板して5勝2敗、防御率3.81の成績を残して、この年の8月には登板機会こそなかったが一時期出場選手登録もされた。

 そして昨年5月5日、三軍の一員として遠征参加した香川オリーブガイナーズとの定期交流戦で日本人左腕投手として前人未到の160キロのスピードボールを投げ込んでみせたのだ。

 にもかかわらず、古谷は過去3年間で一度も一軍のマウンドに立つことができていない。

 理由は、剛腕投手にありがちな制球難だった。先述した2年目の二軍戦は59投球回に対して48四死球。3年目の昨季は二軍戦で35回2/3を投げて33四死球、三軍戦では84回2/3で61四死球。数字を見れば明白だし、とくに右打者の外角高めに外れる”抜け球”が目立った。

 投手がコントロールに苦しむとき、ボールが抜けるか、引っ掛けてしまうかの2パターンに分類されるが、首脳陣はとくに前者を嫌う傾向にある。球が抜けるということは体の開きが早い証拠でもある。いい投球フォームが身についていないというバロメーターになるからだ。

 3年やって一人前と呼んでもらえるのがプロ野球の世界だ。言い換えれば、3年間でひと区切りと考えることもできる。

「3年間で自分の課題がまったく克服できませんでした」

 危機感は募るばかり。古谷にとってのコントロールは、課題というより悩みだった。

「160キロ。あれは幻です」

 誇るべき数字とあえて距離を置いてみたこともあった。ただ速いだけでは意味がないのなら、スピードを抑えてでも制球重視で投げるべきなのではないかと考えた時期もあった。

 古谷は迷った。人生に迷った時、人間はだれかの助けが必要になる。出会いというものは誰にでも訪れるチャンスがある。あとは、その目の前の機会をつかむか、逃すかは本人次第だ。

 古谷を救ってくれたのはホークスの首脳陣だった。

「昨年の秋のキャンプで倉野(信次/ファーム投手統括)コーチに『147キロでフォアボールを出すオマエに魅力はあるのか。思いっきり腕を振って155キロでフォアボールなら相手も嫌がる。フォアボールを出しても失点しなければいいじゃないか』と言われたんです。僕のなかでラクになったというか、その言葉で開き直ることができました」

 そして、工藤公康監督からも金言を授かった。

 ときに自ら手本を示し、身振り手振り古谷にアドバイスを送った。すると、古谷の投球動作は同じ投手と思えないほど見違えた。上半身の無駄な力が抜け、右半身の開きが一瞬我慢できるようになった。そのドンピシャのタイミングで投げることができた時の真っすぐは、まさしく一級品だった。ボールの威力も回転もすばらしく、捕手のミットへズドンと吸い込まれていった。

「もともと上半身に力が入りすぎていて、工藤監督からボールを離す時に指で押し出すような使い方をしていると指摘されました。そうではなく『叩け』と。また『いい投げ方をしていれば、コントロールは自然と身につく。今はバランスよく投げることが大切だよ』とも言われました」

 自分は何を目指すべきか、その方向性を定めることができた。そうなれば、迷いなどは完全に消えてくれる。

 そのキャンプ後に参加した台湾でのアジアウインターベースボールリーグで、古谷は5試合に登板(4試合に先発)して1勝0敗、防御率1.37と好投した。

 そして迎えた2020年。2月の宮崎春季キャンプでは自身初のA組(一軍)に抜擢された。キャンプ3日目のフリー打撃で152キロを投げ、シート打撃では打者9人に対し無安打、5奪三振と封じた。さらに紅白戦では、2回を打者6人で抑えるパーフェクト投球。今季のブレイク候補最右翼として、各メディアに大きく報じられた。

 だが、やっぱり人生は甘くなかった。

 2月23日、オリックスとのオープン戦に3イニングの予定で登板したが、2回を6四球、4失点の大乱調。2月29日の阪神戦でも、登板直後の初球で154キロを投げ込むも大きく抜けて吹き上がり、捕手のミットにかすることなくバックネット下のフェンスにノーバウンドで直撃させてしまった。

 制球難を露呈した古谷は、走者のいない場面でもクイックモーションでの投球に切り替えた。クイックにすれば、体の動きが小さくなりブレが生じにくくなる。つまり、制球しやすくなるというわけだ。だがその反面、ボールの威力は落ちる。

 3月3日のヤクルト戦でも、古谷はクイックモーションで登板した。結果は、2回を無安打、無失点に抑え、四球も1つだけだった。一方で、150キロを超すボールは1球もなかった。

 その登板を終えた時、声をかけてきたのが工藤監督だった。

「『秋に話したことを覚えているか?』と言われました。秋のキャンプでは、右足を上げた時に一塁方向に視線をやって、それから捕手のほうに向き直して投げるやり方を教わったんです」

 古谷はコントロールを気にするあまり、しっかり捕手のミットを見て投げようとしていた。だが、その動作によって頭が突っ込みすぎてしまい、結果的に左腕が体から離れてしまい、体も開いたままの状態で投げにいくという悪循環に陥っていたのだ。工藤監督の言葉は、それを改善するのにうってつけの策だった。

「オリックス戦の時も(捕手から)目を切っていましたが、自分では意識せずにその動きをしていました。僕としては、無意識にやったほうがいいのかなと思っていました。だけど、監督に言われて意識してやるようにしたら、そのほうが横(を向く)の時間が長くなった」

 そして再び、原点に立ち返った。

「去年はテイクバックを小さくして、コントロールをつけようとした時期がありました。だけど、夏頃にファームのコーチから『それでいいのか? 心配するな。シーズンじゃなく、秋のフェニックスリーグを目指してもいいから』と背中を押してもらったことで、元のフォームに戻したんです。僕はコントロールを売りに入ってきたわけじゃなくて、(ボールの)スピードでこの世界に入ってきた。もし、自分のよさを消して勝負して打たれてしまったら、後悔しか残らないですから」

 再び右足をしっかり上げて勝負するようになった古谷のボールは、150キロ台はさも当然という威力が戻ってきた。

 古谷は昨年、結婚した。より強い自覚が芽生えたのは言うまでもない。また、ドラフト指名時のテレビ番組で、生まれつき体が不自由な9歳下の妹をかわいがる姿が放映されたように、とても家族思いの青年なのだ。

「妹は4月で中学1年生になりました。たまにしか会えないのは寂しいですね。だけど、久しぶりに会うとすごく成長しているんです。妹は懸命に頑張っている。なのに、自分は好きな野球をやれているのに、何も成長していないといつも感じていました。今年は一軍で勝負。そうすれば、北海道での試合で投げるチャンスもあると思います」

 遠回りをした。苦労もした。だからこそ、強くなれた。

 コロナウイルス感染の影響でペナントレースはいつ開幕するのか、まだ見通しは立っていない。待ち遠しい日々が続くが、若鷹・古谷は4年目の初舞台に向けて静かに爪を研いでいる。