レアル・マドリード王者の品格5 3月、レアル・マドリードの会長を務めていたロレンソ・サンス氏が、新型コロナウイルスに感染、重症化して亡くなっている。76歳だった。「このような終わり方は父の人生にふさわしくない」 レアル・マドリードの選手…

レアル・マドリード王者の品格5

 3月、レアル・マドリードの会長を務めていたロレンソ・サンス氏が、新型コロナウイルスに感染、重症化して亡くなっている。76歳だった。

「このような終わり方は父の人生にふさわしくない」

 レアル・マドリードの選手でもあった息子、フェルナンド・サンスはそう言って悲嘆にくれた。当時、サンス元会長に関わった選手たちは、いっせいに理不尽な死を悼んだ。

“サンス時代”は、1995年から2000年まで5シーズンにわたっている。1997-98シーズンには、32年ぶりとなる欧州制覇を実現。決勝のユベントス戦で劇的な決勝点を決めたプレドラグ・ミヤトビッチの移籍交渉を成功させた功績は大きかった。ダボル・スーケル、クラレンス・セードルフ、ロベルト・カルロス、ボド・イルクナー、クリスティアン・パヌッチなど外国人選手は”当たり”が続いた。



レアル・マドリード歴代最多出場の記録を持つラウル・ゴンサレス

 1999-2000シーズンには、シーズン途中で指揮を執ったビセンテ・デル・ボスケ監督が、欧州チャンピオンズリーグ(CL)を再び制覇。フェルナンド・レドンド、ロベルト・カルロスらが躍動した。GKでは下部組織出身のイケル・カシージャスも頭角を現している。

 そんなサンス時代を最高に彩ったのが、伝説のナンバー7、ラウル・ゴンサレスだった。

 1994年10月、17歳のラウル・ゴンサレスは、ホルヘ・バルダーノ監督に背番号7を与えられ、ユースから飛び級でプロデビューを飾っている。そのサラゴサ戦では、イバン・サモラーノの得点をアシストしたものの、決定機はことごとく外した。空のゴールにも、シュートは枠をとらえなかった。チームも3-2で敗れた。

 バルダーノは慰めの声をかけようと、帰りのバスでラウルの席に近寄った。そこで目を丸くしたという。気持ちよさそうに居眠りしていたからだ。英傑だけが持つ剛胆さだった。次の週、ラウルはサンティアゴ・ベルナベウのアトレティコ・マドリード戦で、痛快なワンタッチゴールを決めた。

 このシーズンを最後に、エミリオ・ブトラゲーニョはレアル・マドリードを去る。冷静沈着な31歳は、豪放磊落な17歳に道を譲ることになった。背番号7の”禅譲”だ。

 ラウルはブトラゲーニョと背格好は似ていたが、よりゴールゲッターとしての色が強かった。速くも強くもなく、驚くほどのテクニックがあるわけでもない。しかし、不思議とゴールネットを揺らすことができた。多くのゴールはワンタッチだった。

「ラウルはピッチを歩いているだけで、ディフェンダーを惑わす。タイミングを計れない。一瞬、存在が消えるというか、信じられないことだ」

 ルイス・フィーゴはその異能について言及しているが、ピッチで”実体”が捕捉できないのだという。なぜラウルがそこにいて、ゴールネットを揺らしているのか。フィーゴのようにプレーに精通する選手にとっても謎だった。

「ラウルのすばらしさは、本当は修正力にある。ワンタッチでプレーするのは得意だが、それができないときもあって。その時、彼は次々にプレーを修正できる」

 そうバルダーノは言う。2001-02シーズン、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦の得点はその証左だった。

 ラウルは、ロングボールをディフェンスと並走しながら胸で止める。前後から挟まれる形になるが、浮き球を左足で背後にコントロールし、前を向く。そこで寄せてきた相手の背後に再び左足でボールを浮かせ、前へ出る。エリア内で左手から相手のタックルを受けるも、すかさず左足でボールを少し右にずらし、右足を振り、ゴールに蹴り込んだ。

 ラウルは2度、リーガ・エスパニョーラ得点王に輝き、歴代得点数も5位(リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、サラ、ウーゴ・サンチェスに次ぐ)。とりわけ、大舞台でのゴール技術は白眉だった。クラシコでの得点数は歴代4位(メッシ、ロナウド、アルフレッド・ディ・ステファノに次ぐ)。CLでの歴代得点記録も3位だ(ロナウド、メッシに次ぐ)。

 ゴールで勝利をもたらすカリスマだった。

 1994年のデビューから2010年の退団まで、リーガで6度、トヨタカップ(クラブW杯)で2度、そしてCLで3度優勝している。ディ・ステファノ、アマンシオ・アマーロ、ブトラゲーニョが築いてきた誇り高き”勝者の歴史”を継承。相手のファウルに対してもほとんど声を荒げず、黙々とプレーした。荒ぶる魂をじっと体の奥に潜ませ、苛烈に戦った。

「ラウルは虎の目をしている。ゴールを取るまで、絶対にくたばることはない。瀕死の状態になっても相手を噛み殺す」

 スペイン代表を率いていた名将ルイス・アラゴネスは、その本性について語っている。執念が悪辣には映らない。気品を損なわず、敵にも尊敬される王者だった。

 しかし、マドリディスモの化身のようなラウルも、時代の流れに弄ばれる。2000年代に入って、レアル・マドリードは”外国人スター軍団化”。サンス会長が退き、フロレンティーノ・ペレス会長が就任すると、「銀河系軍団」という時代が幕を開けたのだ。
(つづく)