サッカースターの技術・戦術解剖第2回 フレンキー・デ・ヨング<バルサでのプレーは宿命的> フレンキー・デ・ヨングは、ヴィ…

サッカースターの技術・戦術解剖
第2回 フレンキー・デ・ヨング

<バルサでのプレーは宿命的>

 フレンキー・デ・ヨングは、ヴィレムⅡのユースチームの時から注目され、18歳でアヤックスと契約。アヤックスのリザーブチームであるヨング・アヤックスとトップチームの両方でプレーし、2016-17シーズンの最優秀若手選手に選ばれている。



バルセロナのMFとして活躍するフレンキー・デ・ヨング

 17-18シーズンはトップのレギュラーに定着、マタイス・デ・リフトとセンターバックでコンビを組んだ。デ・リフト18歳、デ・ヨング20歳という若さである。当時のデ・ヨングは守備の安定感と配球力から、70年代に西ドイツで大活躍したフランツ・ベッケンバウアーに喩えられている。

 18-19シーズンは飛躍の年だった。欧州チャンピオンズリーグでの快進撃に貢献、ポジションも本来のMFに戻っている。このシーズンのパス成功率は91.4%だった。19-20シーズンはバルセロナへ移籍、中盤のインテリオール(インサイドMFの位置)またはピボーテ(中盤の底の位置)としてプレーしている。

「シャビやイニエスタのようになれる」

 アヤックス時代、クラブのOBであるマルク・オーフェルマルス(2000-04年にバルセロナでプレー)は太鼓判を押した。

「バルセロナでプレーするために生まれてきた選手」

 メディアはデ・ヨングのバルセロナ移籍を宿命的だと書いた。

 デ・ヨングはメトロノームのようにプレーする。ボールを受け、捌き、また受ける。正確で洗練されていてミスが少ない。けっこう危ないこともやっているのだが、そう見えない安定感がある。

 偉大な先人と比べられるのは若い才能にはよくあることだが、ベッケンバウアーとの比較はうなずける。背筋が伸びた姿勢の美しさと冷静沈着なプレーぶりは「皇帝」と呼ばれたドイツ人を彷彿させるものがある。

<メトロノーム型の選手>

 メトロノーム型の選手は正確無比なプレーぶりとともに、どこか力をセーブしているように見えてしまうところがある。周囲から「あれほどうまいのだから、もっとやれるだろう」というふうに見られがちだ。

 ベッケンバウアーはその典型だったが、現在ならトニ・クロース(レアル・マドリード)がそうだ。デ・ヨングもこのタイプである。

 たしかに彼らは「楽に」プレーしている。ただ、だからといって「手を抜いている」わけではない。むしろ逆で、楽にプレーするためにさまざまなことに気を遣っている。

 まず、正しいポジションをとること。相手からプレッシャーを受けにくい場所に、正しいタイミングでいなければならない。そして、完璧にボールをコントロールする。最後に的確な判断とタイミングでボールを離す。このどれもがパーフェクトにできていれば、流れるように無理なく効果的なプレーになるわけだ。

 もちろんすべてがうまくいかないこともあるが、そんな時でも修正して流れに乗せる技術がある。デ・ヨングはキープ力がすばらしく、どちら側から相手に寄せられてきても巧みにボールを隠しながらターンして外してしまう。相手にプレスしたことを後悔させるだけのテクニックと足腰の強さを持っているのだ。いざという時には、驚くようなテクニックを発揮する。

 たまに凄いことをやるので、「もっとやれるだろう」という見方をされてしまうのだが、氷山が、海面上で見えている部分の何倍もが海中にあって見えないように、メトロノーム型の選手たちは滅多に緊急事態にならないので、普段はその全貌がわからない。彼らのポテンシャルは底知れないわけだが、決して技術をひけらかしたりせず、必要なことを必要な分だけ行なうのだ。そこに彼らの真髄がある。

 メトロノーム型の選手たちは、常にプレーを正常化してくれる。

 チームのプレーリズムが乱れて雑になりはじめても、ボールが彼らを経由するとスッと収まりがつく。速くなりすぎた時にペースダウンして落ち着かせ、遅れた時にはワンタッチのパスで加速させる。チームに彼らがいることで無駄も無理もなくなり、チームはポテンシャルを十全に発揮できるようになる。

 チームの「頭脳」によく喩えられるが、じつは本人はそれほど考えていないケースが多い。考えるというより、ごく自然にそういうプレーができるタイプなのだ。

 ベッケンバウアーが西ドイツ代表(当時ドイツは東西に分かれていた)のユースチームに招集された時のコーチは、日本でも有名なデットマール・クラマーだった。ベッケンバウアーはその時初めて詳細な戦術を教えられたという。ポジショニング、ボールの受け方、動き方...。理路整然としたクラマーの説明に、ベッケンバウアーは感銘を受けたそうだ。だが、その時にこうも思ったと自伝で正直に吐露している。

「しかし、そのほとんどはすでに私がやっていることだった」

<ヌーリとデ・ヨング>

 デ・ヨングが「バルセロナでプレーするために生まれてきた」のなら、バルセロナをアヤックスに置き換えることもできる。

 デ・ヨングが育ったのはヴィレムⅡだが、アヤックスのユース出身と言っても疑う人はいないだろう。それぐらいアヤックスのプレースタイルにフィットしていた。

 バルセロナのスタイルを確立したのはヨハン・クライフ監督である。クライフはアヤックスの選手で監督も務めた。バルサの現在のスタイルは、もともとのカタルーニャの土壌に相性のよかったアヤックス方式が融合したものだと言われるが、ほぼアヤックスからの輸入と考えていい。

 アヤックス式が最初にバルサに入ってきたのは、ビク・バッキンガム監督をアヤックスから招聘した1970年。英国人のバッキンガムが指揮を執ったのは1シーズンだけだが、翌年にはリヌス・ミケルス監督が跡を継いだ。言うまでもなくミケルスは、アヤックスでトータルフットボールをつくり上げた監督だ。

 73年には、クライフが移籍してきてリーグタイトルを獲って「救世主」と呼ばれ、88年からはクライフが監督として現在のバルサの礎を築いた。

 カタルーニャのスタイルは「あった」と言う人も「そんなものはなかった」と言う人もいるが、アヤックス方式が導入されて50年も経っているのだから、アヤックスのサッカーはバルサに同化している。今ではアヤックスではなく、バルサのスタイルと認識されているぐらいだ。

 デ・ヨングがアヤックスに移籍してきた時、そこには同い年のアブドゥルハーク・ヌーリがいた。

 ヌーリは、まさにアヤックスが育てたアヤックスらしい選手であり、「バルセロナでプレーするために生まれてきた」という点ではデ・ヨング以上だったと思う。180cmセンチのデ・ヨングとは対照的に170cmと小柄なヌーリは、シャビの再来だった。ヌーリもメトロノームだが、デ・ヨングよりプレーエリアは前だろう。アヤックスの未来を背負って立つ逸材だった。

 しかし、ヌーリは2017年7月のブレーメン戦の最中に不整脈を発症し、そのまま再起不能となってしまった。

※意識不明で倒れ、重度の脳損傷を負ったヌーリは、長い昏睡状態から覚めて自宅療養をつづけている。この夏、クラブとの契約は解除となるが、アヤックスは生涯にわたる治療費を支払うことで合意している。

 ヌーリとデ・ヨング、異なるタイプのメトロノームが揃ったアヤックスはどんなだっただろう。デ・ヨングはセルヒオ・ブスケツの後継者として、あるいはシャビやイニエスタの継承者として、バルサを支えていくに違いない。

 ただ、ヌーリとデ・ヨングが並ぶバルサが実現していたらと思わずにいられない。もはや再現不可能とも言われているシャビとイニエスタの時代だが、再現できるとしたらおそらくこのふたりだったはずなのだ。