球界のレジェンド・山本昌氏×『BUNGO−ブンゴ−』二宮裕次先生対談(前編)『ヤングジャンプ』で好評連載中の野球マンガ『…

球界のレジェンド・山本昌氏×『BUNGO−ブンゴ−』二宮裕次先生対談(前編)

『ヤングジャンプ』で好評連載中の野球マンガ『BUNGO−ブンゴ−』。作者の二宮裕次先生は愛知県生まれで、大の中日ファン。今回、最新22巻の発売を記念して二宮先生のたっての希望で、元中日の大エース・山本昌氏との対談が実現。中学時代は補欠だったという山本昌氏がいかにしてプロ入りを果たし、球界のレジェンドへと成長していったのか。濃密な野球談義が繰り広げられた。



中日の大ファンという二宮裕次先生(写真左)と元中日の大エース・山本昌氏

二宮 はじめまして。じつは、私は根っからの中日ファンでして(笑)。今日はお会いできて光栄です!

山本昌 ありがとうございます。こちらこそ、『BUNG-ブンゴ-』を読ませてもらいました。

二宮 重ね重ね、光栄です。

山本昌 野球人口が減っているなかで、こうした作品があるのはいいことだと感じました。少年が成長していく過程が丁寧に描かれていて、共感させてもらいました。僕なんて、小中学生の頃は補欠でしたから。

二宮 えっ、昌さんが補欠だったんですか?

山本昌 僕が所属していたチームに、茅ヶ崎で一番有名なピッチャーがいたんです。小学校、中学校と、ずっとその子に勝てなかったんです。

二宮 それは意外です。控え選手で、どうしてモチベーションを保てたのでしょうか?

山本昌 やっぱり「試合に出たい」という思いがありました。何もせずに負けたくはなかったので。父親が朝5時からピッチング練習に付き合ってくれて、中学2年からは毎日欠かさず4キロ、ジョギングをやっていました。寝っ転がりながら天井に向かってボールを投げて、いい回転で返ってくるような遊びもしていましたね。

二宮 なんとかうまくなりたい、と努力されていたんですね。

山本昌 でも、僕は中学で野球をやめるつもりだったんです。中学校の三者面談でも「将来は大学へ行って、学校の先生になりたい」と言っていましたから。地元の県立高校に進学していたら、本格的な野球はやっていなかったんじゃないかなぁ。

二宮 それが、どうして変わったのでしょうか?

山本昌 中学3年の最後の大会を前にエースの子がケガをして、僕が投げることになったんです。でも、先ほど言ったような準備をしていたのがよかったのか、地区予選をポンポンと勝って、県大会に出られた。その活躍が認められて、スポーツ推薦で日大藤沢に進学できたんです。

二宮 すごい、劇的ですね。それから高校でスカウトに認められて、プロに入るわけですね。

山本昌 それが、スカウトはひとりも来なかったんです。

二宮 それでどうやってプロ入りできたのですか?

山本昌 これも僕はツイていたんです。3年最後の夏の大会で負けるまでスカウトは来なかったんですけど、その後に神奈川県選抜が編成されて日韓親善試合があったんです。そこで本来選ばれるはずだった選手が甲子園で活躍して、高校日本代表に入った。その繰り上げで僕が選出されて、韓国戦で投げてスカウトの目に留まったんです。僕の人生はいつも、頑張っていたらご褒美をもらえるようにできているんです。プロも50歳までやらせてもらえたのはご褒美だったと思っています。

二宮 そうなんですね。昌さんはよく走っていたということですが、ほかに幼少期にやっていた練習メニューはありますか?

山本昌 『BUNGO−ブンゴ−』にも出てきますが、壁当てはよくやっていましたよ(笑)。チョークで壁に的を書いてね。

二宮 私も壁当てをやっていました。今は時代的に壁当てをやると怒られることが多いようですが。

山本昌 僕は向かいの一軒家の壁にバシバシぶつけていたけど、何も言われなかったなぁ(笑)。

二宮 壁当てはピッチングの練習法として優れているのでしょうか?

山本昌 僕は後輩にも言っていたのですが、タオルを持ってシャドウピッチングをするくらいなら、短い距離でも実際にボールを投げたほうがいいと思います。

二宮 硬球でも軟球でもですか?

山本昌 はい。というのも、シャドウピッチングのように、形だけなら自分で作れちゃうものなんです。実際にボールを投げないと本当のフォームは作れません。近距離ならボールを投げても体に負担はかからないですから。

二宮 昌さんは50歳になるまで肩・ヒジに大きな故障をしたことがないと聞きましたが、本当でしょうか。

山本昌 もちろん痛めたことはありますけど、肩・ヒジにメスを入れるほどの大きな故障はしたことがありません。

二宮 どうして故障しなかったのでしょうか?

山本昌 中学1年生の時に野球部の顧問の先生に習った投げ方を、大きく変えずにやってきたことが大きいと思います。先生が言ったのは、「ボールを外に向けて投げなさい」ということ。テイクバックで指が内側に入る投げ方ですね。そうすることで肩が大きく回せて、肩甲骨が開く投げ方ができる。肩を壊す人の多くは、肩甲骨を開けないんです。肩甲骨や股関節のように大きな関節に負担をかけないことが、故障を減らす大きな要因だと思います。

二宮 変化球の投げすぎも故障の要因になると聞きますが、昌さんは変化球をいつから投げていましたか?

山本昌 小学生の頃から遊びでカーブを投げていました。もともとコントロールはよかったので、球種は真っすぐとカーブだけでした。

二宮 昌さんといえばスクリューボールが代名詞でした。これはいつ覚えたのですか?

山本昌 中日に入団して4年間で結果をまったく残せずに、そろそろクビかな……と思っていた時期です。ルーキーの立浪和義が僕より倍くらいの給料をもらっているなか、戦力になれない僕はアメリカ留学に出されました。そこで面倒を見てくださったアイク生原さんに「変化球を覚えなさい」と言われて、アメリカのチームメイトにスクリューを習ったんです。

二宮 アメリカ仕込みなんですね。

山本昌 でも、教えてもらったのは野手なんですよ(笑)。遊びで教わった投げ方が僕に合ったんでしょうね。

二宮 スクリューのようなシュート方向に変化するボールは、ヒジへの負担が大きそうに感じますが……。

山本昌 かつて「シュートはヒジ・肩に悪い」と言われていたこともあって、そのように刷り込まれた人は多いと思います。でも僕は、シュートは真っすぐと同じような正常な腕の使い方だと思います。むしろ危ないのはスライダーです。

二宮 スライダーですか? 今、一番多く投げられている印象ですが……。

山本昌 スライダーを武器にするピッチャーはだんだん手首が寝ていって、真っすぐが抜けるようになってしまう。だから僕はジュニア期に変化球を覚えるならスライダーよりチェンジアップのほうがいいと思いますよ。チェンジアップなら手首を立てないと投げられませんから。これは桑田真澄くんも言っていました。

二宮 作品の参考にさせていただきます(笑)。あと、昌さんはストレートの球速はいつも130キロ台でしたが、とても速く見えた記憶があります。

山本昌 自分のボールをバッターボックスで見たことがないので、わからないんですよね(笑)。毎晩2キロの鉄アレイで手首を鍛えたことで、強い回転がかかるようになったのかもしれません。あとは私が通っていた鳥取のワールドウイングというトレーニング施設で、代表の小山裕史さんと「回転数を上げていこう」と取り組んでいました。回転数の多さが速く見えた要因かもしれませんね。

二宮 フォームの要因もあるのでしょうか。

山本昌 ある大学の研究者の方に教えていただいたのですが、僕は前足を接地してから投げるまでの時間が短いそうです。逆に160キロを超えるボールを投げていても、前足を接地してから投げるまでが遅いピッチャーはバットに当たりやすいらしいんです。足を着いたらすぐ投げる、ということはとくに意識していなかったんですけどね。

二宮 昌さんが50歳まで現役を続けられた理由が、少しだけわかったような気がします!

後編へ続く