ポイントを決め、ガッツポーズをする村橋(文4)“記者泣かせ”という言葉がこんなにもぴったりな選手はいない。笑顔の写真を狙っても試合中はほとんど笑わず、ガッツポーズも控えめ。あらかじめ記事の内容を想定して挑んだインタビューでも予想外の答えが返…


ポイントを決め、ガッツポーズをする村橋(文4)

“記者泣かせ”という言葉がこんなにもぴったりな選手はいない。
笑顔の写真を狙っても試合中はほとんど笑わず、ガッツポーズも控えめ。あらかじめ記事の内容を想定して挑んだインタビューでも予想外の答えが返ってくる。初めて取材をしたのは2018年8月15日、岐阜で行われた全日本インカレだった。紙面でしか見たことがない選手を前に、緊張で早口になってしまったのを今でも覚えている。
それから1年ほど経った、2019年の秋。
「社会人になってもテニス続けるんだよね」。
何気ない会話の中でふと引っかかった。経歴だけを見ればここでやめるのはもったいない、続けて当たり前なのかもしれない。だが、2年間取材をしてきた身としては予想外の言葉だった。

試合中は

どんなことを考えているのか気になった。プレー中は常に冷静。相手の苦手なコースを狙い、淡々とゲームを進めていくのが彼女の強みだ。試合後すぐに“どんなことを考えているのか”問いかけたことがある。答えはあまりにもあっさりしたものだった。
「試合プランもないし、何にも考えてないよ」。
試合プランを中心に記事を書こうと決めていたがゆえに、1発目のどんでん返しを食らってしまった。


ラリー中の村橋

「テニスが好きって感情は沸いたことない」

2発目もかなり強列だった。
父の影響で小学2年生から始めたテニス。中学までは純粋に楽しめたが、高校に入ってからは勝つことへの責任感が生まれてきたという。大学では2年次からエース的存在として活躍し、最後は主将を任された。それゆえ背負ってきたものの大きさは計り知れない。
そんな中で、彼女を支えたのがテニスが好きという感情ではなかったことに驚きを隠せなかった。

涙の引退試合

引退試合となったのは2019年9月15日、リーグ最終戦。
試合が始まる前から勝っても入れ替え戦に届かないことは分かっていた。しかし、ここまで全勝の駒大相手に3―3と食らいつき、最後は主将・村橋に託された。1―1で迎えた最終セットはスーパータイブレークまでもつれ、連戦や長丁場での試合のせいか動きに疲れが見え始めた。1ポイント取っては取られての、一瞬足りとも気が抜けない展開。
「舞さんお疲れ様です」 「舞がんばった」
仲間から涙声の激励が飛んだ。最後まで冷静さを貫いた。主将としてチームにもたらした大きな一勝。カメラを持つ手は震え、目には涙があふれた。

最後のインタビュー

最後の最後でやっと彼女の内面が見えたような気がした。
―最終戦はどんな気持ちでコートに
「立教のテニス部としてやるのも、みんなに応援されてやるのも最後だなって」
今までは試合中にこんなことを考えるタイプではなかった。このたった一言で彼女が背負ってきたもの大きさ、テニス部にかける思いの強さを感じることができた。
ー同期はどんな存在
「自分より自分を信じてくれる存在」
9日前に行われたリーグ3戦目、法大に3−4で敗戦。自分のテニスができなかった悔しさと不甲斐なさで、彼女は涙を流した。
「その時に同期も一緒に泣いてくれて、こんなに信じてくれる人がいるのに申し訳ないなって思った」
自分よりも誰かのためにテニスをする。ここまでテニスを続けてこられたのは、支えてくれた人のおかげ。「言葉で引っ張るタイプではない」からこそ、プレーや結果で人の心を動かす。彼女にしか作れない主将像だった。
そして、インタビューの最後は「ずっと楽しかった」と笑顔で締めくくった。


カメラを向けるといつも気さくに撮影に応じてくれる

〜編集後記〜
約2年間、取材をさせていただき本当にありがとうございました。テニス未経験の私が、テニスを好きになれたのは紛れもなく舞さんのおかげです。いつも気さくに話しかかけてくださる人柄に惹かれ、プレーにたくさん元気と感動をもらいました。
まさか社会人でもテニスを続けるとは思っていませんでしたが、聞いたときはすごく嬉しかったです!またどこかで舞さんのテニスが観れる日を楽しみにしています。
改めて4年間本当にお疲れ様でした!

(3月31日・藤部千花)