JISS久木留毅センター長インタビュー・前編 2月、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「東京オリンピックでの金メダル30個獲得はJOCの使命」と改めて強調した。一方で、日本パラリンピック委員会(JPC)の東京2020特別強…

JISS久木留毅センター長インタビュー・前編

 2月、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「東京オリンピックでの金メダル30個獲得はJOCの使命」と改めて強調した。一方で、日本パラリンピック委員会(JPC)の東京2020特別強化委員会は「東京パラリンピックでの金メダル獲得目標を20個、総メダル数の目標を52個以上」とした。

 新型コロナウイルスの影響で2020年夏の開催が延期となり、開催時期が不透明な状況のなかでも、アスリートたちは調整を続けなければならない。こうした高い目標を掲げられた代表選手を支え、”史上最多の金メダル”という夢を実現するカギを握っているのは、日本の競技力向上を託されたハイパフォーマンススポーツセンターの中核機能である「国立スポーツ科学センター」だと言っても過言ではないだろう。

 そこで、スポーツ科学のエキスパートとして長年にわたり第一線で活躍し、2018年から国立スポーツ科学センター長を務める久木留毅(くきどめ たけし)氏に同センターで何が行なわれているのかを聞いてみた。



JISS内のトレーニング施設を案内する久木留センター長

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 2001年4月にオープンした国立スポーツ科学センター(Japan Institute of Sports Sciences=JISS)。ここが設置された経緯について、久木留センター長の話は半世紀前の法律まで遡った。

「アジア初となる東京オリンピック開催を3年後に控えた1961年、スポーツを国民に広く普及させるための、国や地方公共団体の施策の基本を明らかにしようということで『スポーツ振興法』が制定されました」

 しかし、その法律が具体的な形として実を結ぶまでには長い年月がかかってしまう。 

「1961年から実に39年後の2000年9月、当時の文部省が策定した『スポーツ振興基本計画』に”スポーツを科学・医学・情報の面からしっかりサポートするべき”と書かれていたことから、JISSが生まれたというわけです。

 構想が実現した背景としては、ちょうど諸外国も国際競技力向上に取り組み、成長を遂げていたこと。そして2001年3月3日から『スポーツ振興くじ』、いわゆるサッカーくじの全国本発売が始まったので、国の税金以外でスポーツに使えるお金が入るだろうという目算がありました。最初はなかなか売れませんでしたが、『BIG』が始まってからは順調で、今は年間約1000億円の売り上げがあり、そのうち約200億円がスポーツの振興にまわっています」

 スポーツをサポートし、研究する機関としてJISSがモデルとしたのは、オーストラリアの国立スポーツ研究所(Australian Institute of Sport=AIS)だった。

「オーストラリアは初のオリンピック自国開催となった1956年のメルボルン大会で金メダル13個、銀・銅メダルと合わせて35個のメダルを獲得しましたが、そこから下降線をたどり、1976年のモントリオール大会では金メダル0個、メダル総数5個と大惨敗しました。それで1981年にAISを設立し、2000年のシドニー大会では金メダル16個、メダル総数58個まで躍進したという事例があったのです」

 JISSにはスポーツ科学研究施設として、ハイパフォーマンスジム、環境制御実験室、生理学実験室、生化学実験室、心理学実験室、映像編集室、体力科学実験室、陸上競技実験場、バイオメカニクス実験場、風洞実験棟などがある。

 メディカルセンター施設としては、リハビリテーション室、診察室、臨床検査室、栄養相談室、薬剤室、カウンセリング室、放射線検査室が完備され、そのほかサービス施設として、レストラン、宿泊室、会議室、スポーツ情報サービス室、研修室、喫茶室などが設けられている。こうした体制は世界の同様の施設と比べて、どの程度のレベルなのか。

「日本はイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ブラジル、シンガポール、香港などと連携協定を結び、人事交流や情報共有、お互いのカンファレンスに招待しあうなどして各国の情報を得ています。中国のCISS(China Institute of Sport Science)や韓国のKISS(Korea Institute of Sport Science)との間にもやりとりがありますが、いかんせん中国は国の規模がケタ違いです。

 アメリカの事情は少し違っていて、JISSのようなひとつの施設ではなく、州ごとに拠点となる大学があり、それぞれがナショナルトレーニングセンターのような役割を果たしています。また、ロシアからはまったく情報が入らないという状況です。

 どこが優れているかとなると明確な基準がないので難しいですが、連携している国や地域からそれぞれオリンピック選手団の団長クラスの方々がお見えになられて、みなさん一様に驚いて帰られているので、トップクラスであることは間違いないでしょうね」



JISS内にあるメディカルセンター/スポーツクリニック

 実際に、オリンピック夏季大会のメダル獲得数で見れば、JISSがスタートして3年後の2004年アテネ大会、日本代表選手団は前回シドニー大会の金メダル5個から大幅に増やして金メダル16個を獲得。1964年東京大会と並ぶ最多記録を打ち立て、メダル総数も37個となった。

「科学、医学、情報の研究施設、それにクリニックがあり、設置当初からミニトレーニングセンターとしての機能も有していたので、体操、レスリング、フェンシング、ボクシング、ウエイトリフティング、競泳、アーティスティックスイミング(当時のシンクロナイズドスイミング)など、JISSが設置されたときから泊まり込みで練習して、食事をとり、うまく利用していた競技団体は軒並み成績がアップしました。

 その後、北京大会は金メダル9個、ロンドン大会は金メダル7個とやや減ってしまいましたが、2016年リオデジャネイロ大会で金メダル12個と盛り返しています。増えたメダル数を数値化するのは難しいですけど、少なからず我々も貢献できたかなと。数だけでなく、メダルの色がよくなった面もありますしね」
 
 JISS設置の効果は、メダル獲得競技の多様化にもつながっている。
 
「これまで日本の”お家芸”と言われてきた柔道、競泳、レスリング、体操以外でもメダルを獲れるようになった。それも”たまたま”ではなく複数回にわたってです。そのなかには、バドミントン、卓球、フェンシング、ウエイトリフティングなど、ここを拠点としている競技が多い。スキーのノルディック複合やジャンプもそうですね。残念ながら冬季競技の専門の練習場を提供することはできませんが、夏場のトレーニングや風洞実験棟を利用して、競技力アップにつなげています。もちろん、一番の要因は各競技団体さんのがんばりですけど。

 また、たとえメダルに届かなくても、全体的にはメダルに絡む選手が増えてきたと実感しています。我々は”メダルポテンシャルアスリート”と呼んでいるのですが、オリンピックの翌年から次のオリンピックまでの3年間、世界選手権レベルの大会で1位から8位までに入った選手は、どの競技も間違いなく増えています」

 2008年1月、トップスポーツ界の念願だったナショナルトレーニングセンター(National Training Center=NTC、現・味の素ナショナルトレーニングセンター・ウエスト)が隣に完成。さらに、2019年7月には屋内トレーニングセンター・イーストも目の前にでき、もとからある味の素フィールド西が丘(国立西が丘サッカー場)も合わせて、JISSを中心とする東京都北区西が丘一帯を国は「ハイパフォーマンススポーツセンター(High Performance Sport Center=HPSC)と位置づけている。



ここが日本のスポーツ競技力強化の中枢

 久木留センター長は、JISSが中核となるハイパフォーマンススポーツセンターの機能を4つに分けて説明する。
 
「まず1つ目はJISSの科学・医学・情報からのアスリート支援、研究です。2つ目がNTCのトレセン(トレーニングセンター)機能。3つ目が競技力向上などのプログラム、システムの提供。例えば、レスリングなどで実施されている一貫指導の”Pass Wayシステム”や、タレント発掘・育成の”J-STARプロジェクト”などです。

そして4つ目が共同コンサルテーション。文部科学省が各競技団体に『4年プラン、8年プランをつくりなさい』と言っているわけですが、JOCやJPCと連携してそのプラン作成と進捗状況を確認し推進しています」

 現在、ハイパフォーマンススポーツセンターには約400名、そのうちJISSには約260名のスタッフがフルタイムで勤務している。久木留センター長のようにクロスアポイントメント制度による大学からの出向者もいれば、企業からの出向者もおり、公募によって入所してくるスタッフもいる。JOC=約60名、スポーツ庁=約130名、日本スポーツ協会=約80名と比べると、職員数だけでも規模の大きさがわかる。次回は、その具体的な機能を細かく見ていきたい。

(つづく)

【プロフィール】
久木留毅(くきどめ・たけし)
1965年12月28日生まれ、和歌山県出身。専修大学文学部教授。
和歌山県立新宮高校でレスリングをはじめ、専修大学でも活躍。卒業後はサンボ日本代表として世界選手権などに出場。
筑波大学大学院で体育学修士、法政大学大学院で政策科学修士、さらに筑波大学大学院でスポーツ医学博士の学位を取得。
日本オリンピック委員会情報戦略部長・ゴールドプラン委員、日本レスリング協会ナショナルチームコーチ兼テクニカルディレクター、国際レスリング連盟サイエンスコミッションメンバー、スポーツ庁参与などを歴任(一部、現職)。
2015年から経済産業省・文部科学省のクロスアポイントメント制度におけるスポーツ界第1号として専修大学から日本スポーツ振興センターに出向(ちなみにスポーツ界第2号は東京医科歯科大学から2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会へ出向している室伏広治)。
2018年10月、国立スポーツ科学センター長に就任し、現在に至る。