バルセロナの不安定な魅力5

 新型コロナウイルスの影響で、多くのスポーツが開催中止や延期を余儀なくされるなか、元スター選手が話題の的になった。

 バルセロナで一世を風靡した元ブラジル代表ロナウジーニョが、偽造パスポート使用によりパラグアイで逮捕され、刑務所に収容された。ニュースはそこで終わりではない。元ブラジルの英雄は所内のフットサル大会に出場し、5得点6アシスト。動画でボールを突く様子は楽しげで、記念撮影では満面の笑みだ。

 ロナウジーニョは変わらない。感情の赴くまま、ボールと戯れる。その時、彼は何からも解き放たれる--。その彼が世界に衝撃を与えたのが、バルサ時代だった。



2003年、バルセロナに移り、スーパースターへの道を歩んだロナウジーニョ

 2003年7月、フランク・ライカールト監督を招聘した新生バルサに、目玉選手としてロナウジーニョがパリ・サンジェルマンから入団している。ジョアン・ラポルタ会長(当時)が選挙公約に掲げていた人気スター、デイビッド・ベッカムを獲得できず、その”外れくじ”と揶揄されていた。その時点では、”好プレーヤー”の域を出なかった。

 そして2003-04シーズン、バルサは開幕以来、不振が続いていた。後半に折り返す18節終了段階で12位。ロナウジーニョもわずか4得点で、期待を裏切っていた。

 ライカールト監督は後半戦に向け、ひとつだけ手を打った。プレーに強度を加えられるエドガー・ダービッツを補強したのだ。これで負担が減った攻撃選手たちは、自然と力が増した。結果、ロナウジーニョは10得点を記録し、チームを2位に導いている。レアル・マドリードとの敵地でのクラシコでも1-2と勝利。彼の株も上がった。

 そして2年目、ロナウジーニョは本領を発揮している。ベレッチ、エジミウソン、シルビーニョ、デコなど、ブラジル人選手を多く補強したことも追い風になったか。ピッチでサンバを響かせた。

「僕のサッカーの特徴は、リズミカルな動きでドリブルをすることだと説明される。でもね、自分自身でもどういうプレーをするのか、はっきりとは決まっていない。その時の感覚に委ねているんだ」

 ロナウジーニョは高い声で説明した。音楽に合わせて即興で体を動かすように、ボールを操ることができた。

「サッカーボールを見るだけで、やる気が出てくる。イメージが湧くんだよ。小さいころから、ボールを手放さなかった。自分のスイッチは、ボールに触れるとオンになる」

 ロナウジーニョは、感情をプレーで表現できた。ピッチの詩人というのだろうか。本人に気取りはなく、楽しめる達人だった。

 2004-05シーズン、ロナウジーニョを擁したバルサは6年ぶりにリーガ・エスパニョーラ優勝を果たしている。

 特記すべきは、その天才性をラ・マシアが支えた点だ。

 GKビクトル・バルデスは足技に優れ、ボールを供給できた。DFカルレス・プジョルは不屈のディフェンスで攻撃を鼓舞。MFシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタの2人は、世界最高レベルのプレーメイキングを見せた。そして17歳のリオネル・メッシがデビューを飾っている。

 ロナウジーニョを中心に、チームは化学反応を起こしていた。

 フランス代表リュドヴィク・ジュリ、メキシコ代表ラファエル・マルケス、オランダ代表ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストは、名脇役だった。スウェーデン代表ヘンリク・ラーションは記録以上に記憶に残った。交代出場が多かったが、老獪なプレーで貴重なゴールを決めた。

 最大に感化された選手は、カメルーン代表サミュエル・エトーだろう。感情の塊のような選手で、在籍時に冷や飯を食わされたレアル・マドリード戦では勝利への渇望を示した。猛り狂ったように走り、GKからボールをひったくり、ゴールを奪った。鋭い勘を働かせる、本能的ストライカーだった。

 ロナウジーニョが結実したのは2005-06シーズンだ。2005年11月、サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリード戦、左サイドでセルヒオ・ラモスを子ども扱いして抜き去り、ネットを揺らした。翼を授かったようなスピードで相手を置き去りにし、ベルナベウの観客は敵味方を越え、スタンディングオーベーションを送った。

 彼はこの年、バロンドール(欧州最優秀選手賞)を受賞している。リーガを連覇しただけでなく、チャンピオンズリーグでも快進撃を見せ、見事に頂点に立った。すべてを手にしたのだ。

 しかし、そこで彼は変わった。

 あからさまに太り、ナイトクラブに現れる姿が頻発した。生来、自由な男は自己管理が苦手で、それに罪悪感も抱いていなかった。音楽をかけて仲間と騒ぐのが好きなだけだったが、奔放さが行き過ぎてしまう。「軍曹」ヘンク・テン・カーテコーチがチームを去って、慈悲深いライカールトには愚行を許された。

 2シーズン、バルサは再びレアル・マドリードの後塵を拝した。2008年に監督に就任したジョゼップ・グアルディオラが真っ先に断行したのが、別人のようになっていたロナウジーニョの”解雇”だった。

 その後、ロナウジーニョはミランに移籍するが、一時の輝きは失い、下降線を辿っている。2011年にブラジルに戻り、2013年にアトレティコ・ミネイロでリベルタドーレス杯優勝、クラブワールドカップに出場し、ゴールも決めた。しかしその後はチームを転々とし、2018年に現役引退を表明している。

 ロナウジーニョとは何者だったのか?

「僕が目指したのは自由なプレー。それはメッシによって、バルサで生き続ける」

 ロナウジーニョは言う。彼は年少のメッシをかわいがっていた。自分の座を脅かす後輩に、気前良くすべてを与えた。

 自由人の置き土産は、眩しい記憶とメッシだ。
(つづく)