「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第8回 高木守道・後編 平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。…

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第8回 高木守道・後編
平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。元号はすでに令和となり、昭和は遠い過去になろうとしている。個性あふれる「昭和プロ野球人」の過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズ。
1月17日に急逝した高木守道さんが2008年に語っていたロングインタビューの前編では、バックトスをとがめた水原茂監督に公然と反抗したり、バットを思い切り長く持って振り回したり......。のちの"いぶし銀"や"地味"というイメージとはちょっと異なるエピソードが多かった。"ミスタードラゴンズ"は、いったいどのような野球人だったのか。

高木守道の華麗なプレーには強いプロ意識が込められていた(写真=時事通信)
* * *
[名将]といわれた水原茂に「頭にきた」なんて、内面は相当に激しかったのか。高木さんとしては、監督に反抗してまでバックトスをやるだけの強い意志とプライドがあったのか。
「まぁ、プライドというか、今まで一生懸命、かっこいいプロのプレーとしてやってきたのに、という思いがあったから......。納得できないですよ。で、まだ若い頃、杉浦さんが監督のときなんか、どういうプレーだったか忘れましたけど、何かのミスを指摘されて、納得できんから、そんなんじゃできん、できん! ということもあって、試合中に合宿に帰っちゃった。ははっ」
いかにも文献資料には、1963年、当時の杉浦清監督に反抗した顛末が載っていた。読んで驚いた。当時の高木さんはレギュラーになったばかり。なかなかできることではないだろう。
「いやぁ、とにかく納得できんと、つい反抗してしまう。わりあいカッカしやすい、短気は短気なんですけど、それはずーっと抑えてきました。ただ、どうしても納得せんと爆発するというのは、その帰っちゃったときがいちばんの代表例やね。はっはっは」
試合中に無断で帰宅──。来日した助っ人なら聞いたことがあるが、日本人選手ではまずない。しかも、そうした裏話をいかにも楽しそうに話しているのは意外で、これまで持っていた高木守道という野球人のイメージが一変してしまった。
「水原さんにはバックトスのほかにもね、『間に合わんとこへ投げるな』って叱られたこともある......。そんなもん、間に合わんかどうかは、投げてみな、わからん。相手がその前に転ぶかもわからん......。まぁ、屁理屈や〜ねぇ。なっはっはっは」
ぶわっと吹き出して、つられて僕も爆笑してしまう。高木さんはツボに刺さってしまった様子で、腹を抱え苦しそうにしている。ここまで笑い崩れる野球人は初めてだ。
「そういう図々しさっていうのは、けっこう持ってたんで。野球人生のなかで、それはずいぶん役に立ちましたね。表向きは、おとなしそうで、地味で、なんて言われたけども、内心は派手な図々しさを持ってましたし、人一倍、負けず嫌いでもあったし。だから、叱られてもすぐバックトスして」
図々しさなくして、高木さんのバックトスは完成しなかった──。それにしても、すぐにまたバックトスを敢行して、監督から何も注意されなかったのだろうか。
「次の日からやって、何のおとがめもなかったね、水原さんのときは。まぁ、大監督に対して若造がようやったと思う。試合中に帰った後だって、杉浦さんに何も言われなかった。板東英二さんがね、必死で僕のこと探したっていうけども、ほっほっほ。だから、大らかだったわね、あの時代は。そういうこともあって、自分の持ち味にできたんです」
高木さんはそう言うと椅子の背もたれに左手をかけ、やや半身の構えで座り直した。この間隙に、なぜバックトスにこだわったのか考える。「自分の持ち味」と高木さんは言ったけれど、もともとは勝つために、より多くダブルプレーを取りたいという願望があったはず。
「いや、勝つためじゃない。かっこいいからです。やっぱり、プロですから、お客さんが『おっ』というプレーをやらないとね。それで僕はあの、あんまり喜怒哀楽を出しませんでしたから。何やっても無表情で。それはもう、親父と岐阜商の監督の指導でね。グラウンドで歯を見せるなとか、昔気質(むかしかたぎ)の教えを受けましたから、プロに入っても染みついてたんです」
無表情にも確かな理由があったとは......。性格ではなく、ある意味、作られた表情だったのだ。
「ただね、プロだから、なんか派手な、ファンが喜ぶプレーをやりたいっていう気持ちがいつもあった。だから長嶋さんがうらやましかったです。あの人のオーバーパフォーマンスは、本来、そこまでする必要はないんだけど、かっこいいやないですか、見てたら。
ファンの人は、それに惹きつけられたよね。だけども、あの人のプレーは真似できんから、じゃあ俺はまったく逆に、もう淡々と、こんなのはプロなら当たり前だよ、という顔でやったんです。バックトスをして、ファンがワーッと喜んでくれても、どしたの? それが何か? っていうね。ふっふっふ」
かっこよさを求めて習得したプレーが決まり、スタンドのファンが沸いても、決して歓声には応えない。それは「あこがれの人」長嶋茂雄にあえて逆行して生まれたスタイルだった。高木さんとしては、プレーそのものでファンを喜ばせることができれば満足ということか。
「はい。常にそういうことですよ。一塁にランナー出たら、飛んでこい、来たらやるぞ、と思いながらね。そして、やると、ファンに喜んでもらえる。それがプレーするうえで、生きがいみたいなもんになってくる。歓声が聞こえたら、顔は無表情でも内心はうれしいですよ。
ただ、セカンドは補助で動くのが多いから、バックトスよりも、一塁のカバーっていうのが、僕のプレーのなかではひとつ自慢できるものなんです。サードゴロ、ショートゴロで、ファーストのカバーに回って、絶対に二塁へ行かせない。で、これの究極の目標は、サードが暴投したら、それを後ろでダイレクトで捕る、っていうのね」
想像してみると、「すごい」としか言いようがない動き。俊足なくしてできないだろう。
「もう、打ったらバーッと逆方向に走る。だから、それをやり始めたら、夏場はホント、バテましたもん。チェンジでベンチに戻ってくるとき、いつも、はぁ、と息が切れるというね。人の倍、走りましたから。常に全力ですし。
だけど、それを大洋(現・DeNA)の監督だった別当薫(べっとう かおる)さんが認めてくれた。『あれはすごい』って。だから、認めてくれる方がいて、僕が引退したときに連盟表彰していただけたのはうれしかったねぇ。一塁のカバーを見とってもらえた、ということが」
バックトスと比べれば、本当に目立たないプレーだ。これは「かっこいい」とは別物だろう。
「外国人で、ショートでバートっていう選手が中日にいましたけど、僕がカバーして、二塁でアウトにしたりすると、いつも褒めてくれました。『ビッグプレーや』って」
バートの名前が出た。71年に来日し、翌年にゴールデン・グラブ賞を獲った助っ人だ。高木さんにとって〈バートがいちばんウマが合った〉と資料に記されていた。
「ウマが合った、というよりね、うまいから。そりゃあ、相手がうまけりゃ楽ですよ。その点、一枝さんはオーソドックスでね。もちろんうまかったし、非常に理論派の方でした。で、バートはちょっと一見、どんくさそうに見えるんだけど、球際に強い、絶対ボールを逃さない。軽快な、流れるような、というショートじゃないけども、うまかった。
よく『二遊間コンビは息が合う』とか言うけども、これはもう、個人がうまけりゃ相手のミスはお互いにカバーし合うんでね。カバーし合ってるうちに信頼し、安心して、思い切ったプレーもやれる。そういうことにつながるんです」
個人のうまさでカバーし合う──。「息が合う」という曖昧な表現よりも遥かに実践的で、高木さんならではの言葉に思えた。相手を信頼しての思い切ったプレーでは、高木さんの場合、一枝修平との間でよく決めていたというグラブトスもある。
「あれは一枝さんに限らず、みんなやってました。よく練習しましたよ。で、グラブトスは、グラブの芯に入っちゃうとボールが行かない。ある程度、先っぽのほうが、スピードも距離も出る。入って間を置いたら、逆にコントロールもできないですよ」
グラブトスもバックトスと同じように、参考にした選手がいたのだろうか。
「最初に見たのは、西沢(道夫)監督のときにアメリカに野球留学したときだったか。グラブでピューンとやりゃあ、速いなと。ただ、これはやってるうちに自然に生まれたプレーというかね、さっきの図々しさじゃないけども、やれるとなればダーッとやっちゃう。
で、それも速さと同時にかっこよさ。やっぱり、プロはプライドを持ってね、アマチュアにはできない、プロらしいプレーを見せないと。今、ダイビングして捕りゃ、ファインプレーでしょ? そんなもん、高校生だってダイビングして捕るよ、って」
厳しさがにじむ口調で「ファインプレー」と言うのを聞いて、とっさに中京地区の中日応援テレビ番組を想起した。唐突かと思ったが、僕は高木さんが番組内で〈普通〉の札を挙げ続けていることに言及してみた。すると「うん、うん」と深くうなずいて言った。
「まぁ今ね、ファンの方も、それはひとつの興味になってるみたいだけど。『もうちょっと〈ファインプレー〉を出してください』ってよう言われるな。あっはっはっはっは」
またもや笑い崩れている。高木さん自身、〈普通〉を挙げ続けることで生じる、ある種の可笑しさも了解済みのようだ。それにしても、これまで〈ファインプレー〉はあったのだろうか。
「ありましたよ。まだ1〜2回ですけども、あの、それこそ"アライバ"のグラブトスのプレーなんてのはね、プロでもそう見られるものじゃないから、挙げてやりましたよ」
何と、あのグラブトスは〈ファインプレー〉だった。そして高木さんも"アライバ"と呼んでいるのか、と思ったが、実際、彼らをどう見ているのか。
「いやぁ〜、うまいですよ。荒木は守備範囲の広さがすごい。で、井端はもう、内野手、特にショートとして、基本どおりの、キチッとして捕って、キチッとして投げるっていうね。これはもう、野球やってる子供たちには見本になるプレーでもありますし、今の球界を見渡してもあのコンビはナンバーワン。荒木はちょっと腰高な面があるけども、彼はそれでこなすだけの運動能力がありますから」
いつの間にか、ナゴヤドームのメディアサロンがざわざわしていた。試合開始まで2時間強。高木さんは挨拶をしに来た男性に「もう少ししたら行く」と答えてにっこり笑った。おそらく、ラジオ局の方なのだろう。時間は「もう少し」残されている。僕は甲子園の高校球児が"アライバ"のプレーをやっていたことを伝えた。
「おぉ。いいことだね。どんどんプロの真似して、やったほうがいいですよ。高校生だから、常に基本どおりに真ん中で捕ってとか、どうのこうの言うよりも、真似することによっていろんなことがわかってくるから。僕が中日でコーチになったときなんか、若い選手に『バックトス、どんどんやれ』って、ものすごい練習させたんですよ」
そうだったのか。こういう話を聞くと、名手の高木さんが長くチームにいたことが下地となって"アライバ"も誕生したのでは、と思ってしまう。
「下地って......。僕のは個人プレーやったからね。時代も違うし......。ただ、ただね、まず、プロだから個人がアピールしないと。要は、それの集合したもんがチームなんだから。そういうところをね、みんなもっと追求しないといかん。してないから、僕は〈普通〉って言うんです」
とすれば、高木さんが〈ファインプレー〉と認められる定義のようなものがあるとしたら、どういうプレーなのか、ぜひ知っておきたい。
「ひとつ挙げるなら、塁上のクロスプレー。この間、西武の外国人がデッドボール受けたあとに、二塁に猛烈なスライディングしたのよ。あれは報復のプレーだろうけど、ベース飛び越してね、セカンドが崩された。ランナーはそれぐらいのプレーを常に見せて、そしてセカンド、ショートはそれをよけながらダブルプレーをやる。
メジャーの選手だったら、体はもう宙に浮いとるんだけど、そっからビャーンと投げたりするでしょ? それは彼らに上体の強さがあるからなんだけど、日本人も今、だいぶ体力的に強くなってきてるから、目指してほしい。そういうプレーが普通に見られるように」
そして、本当の〈ファインプレー〉をやった選手が、無表情でベンチに帰ってくる──。それが高木さんの理想ではなかろうか。
「まぁねぇ、最近の、すぐファンの声援に応えて手を挙げてるってのも、ファンにしてみると親近感があるということなんだけど、本来、プロは、いちいち手を挙げたりしてほしくないというのが正直なところです。ただ、ファンあってのプロ野球だから、声援に応えてくれた喜びを感じてまた球場へとなれば、これはいいわけでね」
現状では、ファンのために仕方ない、ということか。高木さんは「うーん」と唸ったまましばらく黙っていたが、ひとつ咳払いをすると、両手をテーブル上のトレーの端に置いて目を見開いた。
「いや、やっぱり、ファンの方にもちょっと要望したいです。もう少し目を肥やして、少々のことでは、そんな大きな声援を送らんでほしい。当然、ミスには厳しく。そうすると、選手もうかうかしてられなくなる」
(2008年8月29 日・取材)