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菊池雄星、大谷翔平を追って〜小原大樹、25歳の挑戦(後編)
マリナーズの編成担当者、環太平洋担当のスカウトら4人が、ブルペンで投げる小原大樹(※)を見つめる。 投捕間にはラプソードが設置されていて、一球ごとに球速やボールの回転数、回転軸、リリースポイントや変化量などを測定している。
※小原は花巻東時代に大谷翔平の2番手として活躍し、甲子園にも出場した。その後、慶應義塾大に進み、社会人野球の日本製紙石巻でも活躍。昨年、メジャー挑戦を夢見て退社し、メジャーキャンプ地でテストを受けていた

昨年、日本製紙石巻を退社し、メジャー挑戦を決意した小原大樹
こうしたテストの場合、10年前なら85マイルでも左ピッチャーは可能性を模索してもらえたのだが、今の合格ラインは「95マイル」とされている。この日の小原の記録したスピードはそこに遠く及ばず、マックスで87マイル。プロを目指すと決めた時から腕を下げ、サイドからコーナーを丹念に突くワンポイントの左ピッチャーとして生き残ろうとしてきた小原には、95マイルのハードルはあまりに高すぎた。しかも逆風はそれだけではなかった。マリナーズのスカウトがこう話す。
「メジャーは今年からワンポイントが禁止(試合時間短縮のため、ピッチャーには3人のバッターとの対戦、もしくはイニング終了までの登板が義務づけられ、左キラーといった一人一殺の継投ができなくなる)になるから、(小原)ダイキのような左ピッチャーのニーズは少なくなります。それからもうひとつ、メジャーの野球は今、急激に変わっていて、それもまたダイキのようなタイプには厳しい状況を生んでしまっています」
メジャーの野球を急速に変えたのは、AIの導入だ。ロボット審判はまだ試験段階でメジャーの試合には取り入れられていないが、審判に対してはとっくにストライクゾーンは正確に測定され、ニューヨークにあるMLB本部での審判の評価に使用されている。
それに加えて最近のMLBではホームランを打てるバッター、三振を取れるピッチャーが優遇され、すっかり野球の質が変わってしまった。結果、今のMLBではアウトコース、インコースのストライクゾーンは極端に狭くなり、バッターの体格によってゾーンが変わる曖昧な高低は広がる傾向にある。つまりコーナーの出し入れで勝負する左のサイドスローにとっては、MLBのストライクゾーンさえもが逆風になっているのだ。マリナーズのスカウトはこう続けた。
「ダイキは大学時代、左のオーバースローだったと聞きました。日本では今でも内外角の出し入れで勝負できますが、これからメジャーの野球はますます高低で勝負できるピッチャーが必要になってきます。今のMLBとNPBの一番大きな違いはストライクゾーンです。ダイキがMLBで勝負したいのなら、本来の上から投げるフォームで勝負したほうがチャンスはあるような気がします」
それでも、プロを目指して腕を下げた小原は、こう言い切った。
「こちらではタテのカーブやスプリットがトレンドだということはわかっているんですけど、でも僕自身、この形で勝負すると覚悟を決めて腕を下ろしたので、この形が通用するかどうかで挑戦したいんです」
テストの最後、マリナーズのスカウトは小原にこう声をかけた。
「バッターを想定して投げてみよう」
小原は、カウントを取りながら、まずは左バッター、そして右バッターに投げた。最後に左バッターが立つとイメージして、スカウトが言った。
「ヘイ、ダイキ、バッターはショウヘイ・オオタニだ」
左バッターボックスに立っている大谷を追い込んだ小原は、決め球にチェンジアップを投げた。すると、スカウトが叫んだ。
「オー、ヒット・バイ・ピッチ!(デッドボールだ)」
小原は苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、最後、決めにいこうとしたら、力んで当てちゃいました」
テストを終えた小原に、アメリカへ死に場所を探しに来たのか、生きる場所を探しに来たのか、訊いてみた。すると小原はキッパリとこう言い切った。
「生きる場所がここにあると思って来ています。メジャーをナメるなってたくさんの人に言われましたけど、でも野球選手としての自分が死んだかどうかは、僕にしかわからない。今はもっと上の世界で野球をやりたいし、野球ができる環境を追い求めたい。その結果、チャンスをもらえるなら最善を尽くせるように頑張りたいんです。野球っていつまでもできるものじゃないし、その限られたあっという間の時間のなかで、いかに自分ができるのかというところに挑戦したい。夢に対して、中途半端な気持ちで終わりたくないんです」
小原は、ダイヤモンドバックス、ドジャースに続いて、マリナーズのテストにも合格することはできなかった。引き続き、彼は日米の独立リーグでプレーすることを目指してアメリカでトレーニングを続ける。小原はこう言っていた。
「どんな結果になろうとも『オレはこうやってきたんだ』ということを、自信を持って言える自分でありたい。そのために、心の灯が消えるまで、野球をやり切りたいんです」
※小原大樹投手は、国家非常事態が宣言されたアメリカの状況を受けて、3月20日に帰国することになりました。