バルセロナの不安定な魅力1

 2019-20シーズン、バルセロナは新型コロナウイルスによってリーガ・エスパニョーラが延期されるまで(第28節終了時点)、首位を走っている。チャンピオンズリーグでもラウンド16まで勝ち抜いて、イタリアのナポリとの第1戦は1-1で引き分け、第2戦は本拠地カンプノウで戦うことになっている。理論上は有利な状況に違いない。

しかし、バルサは「混迷の時代」を過ごしている。



レアル・マドリードとのクラシコに敗れ、浮かない顔のリオネル・メッシ(バルセロナ)

 今年1月、リーガを連覇していたエルネスト・バルベルデ監督がスペインスーパー杯、スペイン国王杯で敗退したことで解任され、クラブ内外に動揺が走った。続けざま、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長ら首脳陣が契約したPR会社が、リオネル・メッシやジェラール・ピケ、あるいはクラブの反体制派に不利になるようなSNSでの工作をしていたことが発覚。バルトメウ会長は否定したが、疑惑はくすぶったままだ。

2月には、クラブが下部組織ラ・マシアの有望な若手を次々に売却する一方、デンマーク代表FWマルティン・ブライスワイトの移籍金に2800万ユーロ(約32億円)もの大金を投じたことが、物議を醸した。

 ラ・マシアはシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、メッシなどを輩出し、バルサの根幹を担ってきた。最近は大金を投じて獲得した外国人選手が振るわず、ラ・マシア軽視に批判が高まっている。

 そして3月、バルサは永遠のライバルであるレアル・マドリードに2-0と完敗している。クラシコでの敗北。それはリーグ優勝を逃すことに等しいとも言われる。

 噴出するさまざまな問題に、カタルーニャ州にあるバルサというクラブの特異性が見えてくる--。

 1899年に産声を上げたバルサが、当時、スイス人やイギリス人など外国人を中心に立ち上げられたことは有名な話だろう。青とえんじのユニフォームも、スイスのFCバーゼルのユニフォームを模している。地元カタルーニャの色合いはまだ薄かった。

 その存在意義を劇的に変化させたのが、1930年代に起こったスペイン内戦だろう。

 フランシスコ・フランコによる軍事独裁政権の樹立によって、カタルーニャは独自の言語、文化の猛烈な弾圧を受け、虐げられた。そのため、中央政府の象徴だった首都のクラブ、レアル・マドリードに勝利することが、バルサの大義となった。クラブはクラブの存在を越え、カタルーニャ人たちのアイデンティティとなっていったのだ。

 やがてバルサはマドリードとの戦いに怨念を燃やすようになった。不条理な敗北を強いられたこともひとつの要因だろう。GKが観客からものを投げつけられても、警官が止めない。あっけなく中心選手が審判に退場させられる。カタルーニャ人はそのたび、憎しみを増幅させた。

 その憎悪の感情エネルギーが、バルサの奥深いところに根付いたのだ。

 暗闘してきたバルサだが、1950年代はラディスラオ・クバラによって明るい希望が差した。

 クバラはスロバキア人の両親に生まれ、チェコスロバキア、ハンガリー代表としてプレーするが、共産主義化で食い扶持を奪われ、難民としてバルセロナに流れ着いた。勇猛さと実力は、今で言えばルイス・スアレスに近いか(ある試合では、味方トレーナーが相手選手に小突かれたのに怒り、数人を殴り倒した!)。屈強な体で類まれなセンスを持ち、1951-52、1952-53シーズンとリーグ連覇をもたらした。

 バルサのファンを「クレ(カタルーニャ語でお尻)」と呼ぶが、その由来はクバラにある。

 その当時、バルサはラス・コルツというスタジアムを使用していたが、そこに入り切れない人々が塀の上に座って、外側から見るとお尻が並んでいるように見えた。この大盛況で、バルサはカンプノウの着工に踏み切った。

 もっとも、人々を虜にしたクバラの活躍は急速にしぼんだ。当時は相手をケガさせるタックルが横行しており、それにより前十字靭帯断裂、半月板を損傷。復活を果たしたが、かつてのスピードは失われていた。

 そしてクバラが退団すると、バルサは10シーズン以上、リーグタイトルを取っていない。レアル・マドリードの後塵を拝し、辛酸をなめ続けた。憎しみはさらに培養されていった。

 再びバルサがリーグ優勝するのは、1973-74シーズン。”空飛ぶオランダ人”ヨハン・クライフが舞い降りた時である。クライフはクバラ以来の伝説となった。敵地サンティアゴ・ベルナベウで0-5とレアル・マドリードを下す試合をやってのけ、神格化された。しかしその後は再び10シーズン以上、リーグ優勝はない。

 1984-85シーズンはイングランド人監督のテリー・ベナブルスが、ドイツ人のベルント・シュスター、スコットランド人のスティーブ・アーチボールドを中心に戦い、タイトルを手にした。ただ、このシーズンはレアル・マドリードが5位と勝手に失速したこともあり、あまり語られることがない。その後、レアル・マドリードが成し遂げたリーグ5連覇のスパイスになってしまったのだ。

 バルサはカタルーニャ人を土台としながら、主役は外国人が務めてきた。不遇の時代から救い、チームに色づけをしたのも、1988年に監督として戻ってきたクライフだった。

「無様に勝つな。美しく散れ」

 バルサはクライフが打ち出した美学によって、世界中で愛されるクラブになった。だがその一方、土台がエモーショナルなだけに、不安定さがつきまとうのも必然だった。彼らは、ある条件下でシナジーを生み出すことになるのだ--。
(つづく)