誇りを胸に

 ラストイヤーに自己ベストを更新し早大水泳部の基準を突破したことで、個人では自身初めて全日本学生選手権(インカレ)に出場した濱口真子(スポ=石川・金沢錦丘)。女子部の主将をマネジャーが務めるという異色の体制を、選手として支えた。大学入学前は競泳に取り組むつもりがなかったという濱口は、強豪の早大に所属した日々に何を見たのだろうか。

 そもそも早大に入学することになったこと自体が予想外の出来事で、他のスポーツをやることすら考えていたという濱口。最後には水泳を続けることを選んだが、1年生から3年生までは練習に行かない日もあったほど、適当に妥協したような状態で競技に取り組んでいたという。転機となったのは3年生で出場した地元開催の石川県選手権。地元では早大の水泳部に所属しているというだけで、尊敬の眼差しを向けられる。「頑張っているね」。そんな言葉に対して濱口は「頑張っています」と返していたが、嘘をついているような気がして自己嫌悪に陥った。「大好きな人たちを裏切ってしまっている」。東京へと戻る新幹線で、そんな状況を変えることを強く心に誓った。

  もともと真面目な濱口は、自分を変えるために努力した。高校時代までは練習をすれば速くなると感覚に頼っていたところがあったがそれをやめ、行動の一つ一つ、意味のあるものにしようとした。「妥協はあんまり好きでなかった」とこだわりは練習から私生活まで及び、とにかく水泳に集中。1年後の7月、再び石川県選手権に出場し石川県記録を更新する。「絶対にここで記録を出すことに意味がある」と信じ、毎日考え続け、記録を狙って臨んだ大会だった。どうしても地元の大会では緊張して気負ってしまうという濱口。友達、家族、先輩に後輩、見守る皆がお世話になってきた方達。様々なプレッシャーがかかる中、記録を更新できたことに本当に満足を覚えたという。

 そして9月の初め、勢いに乗る濱口は3年生まで早大の基準を突破できず、個人では出場できていなかったインカレにも出場。初日の200メートル背泳ぎの予選では前半をハイペースで泳ぎすぎ、後半は「死ぬギリギリ」「あかん!って感じ」だったと振り返るほどの苦しい展開に。一瞬後悔もよぎるようなレースではあったが、ゴール後、電光掲示板を見ると示されていたタイムは自己ベスト。B決勝にも進出し「意外と良いな」。B決勝ではタイムを落としてしまったが、もともと自身の実力をB決勝に残るくらいだと見ていた濱口にとっては充分な結果だった。


インカレで自己ベストを更新し笑顔を見せる濱口

 しかし、インカレはチーム戦。濱口が最終日の100メートル背泳ぎを迎えたときには『シード権死守』という目標に対して、チームは厳しい状況に追い込まれていた。しかしレースでは予選落ちし、「得点を取らなきゃいけないところでとれなかった」と自責の念にかられた。濱口にはまだ重大な役割が残っていた。シードが分からない状況で、アンカーで、専門でない200メートル自由形を泳がなくてはならない。「本当にあんな気持ちは一生味わいたくない」というほどの強い不安とプレッシャーに襲われ人知れず涙を流した。それでも「最上級生だから絶対にみんなに弱いところを見せたら駄目だなと思っていた」と強い責任感を持ってレースに臨んだ濱口。「真子さん(濱口)が4年生なので笑顔で終わりたかった」(牧野紘子、教3=東京・東大付中教校)とリレーメンバーの力も支えとなり、濱口も予選からタイムを1秒近く縮め、チームは予選から2つ順位を上げて5位でフィニッシュ。シード権も獲得し万感の思いで終幕を迎えた。

 早大水泳部の一員として4年間を過ごした。思いがけず入学することになった早大で、続けるつもりがなかった水泳にもまた没頭することになった。「ずっとタイムが伸びていなくて、もう水泳はいいやという気持ちでいた」という入部前。頑張りきれていなかった入学後の3年間。もちろん辛いときもあったが、やっぱり「続けて良かった」。最後の1年間で自己記録を更新し、胸を張って選手生活を引退する。お世話になった方々への感謝、自分ならできるはずという自信、頑張りを信じる気持ち、そして名門の一員に名を連ねることへの誇り。濱口を水泳につなぎとめてきたもの、水泳を通して得てきたものは、この先も決して色褪せず彼女の人生を鮮やかに彩ることだろう。

(記事 青柳香穂、写真 菊池廉)