質実剛健

 「しっかりと存在し続ける」――。山浦良弘主将(文4=千葉・専大松戸)は早大合気道部主将としての自身の性格をこう語った。2年時から大会出場経験があり、3年の関東学生競技秋季大会(秋関)では初の乱取個人優勝を果たした。主将に就任してからは、自身のことよりも合気道部全体のことを気にかけるようになり、日々の稽古に励みながら、部員たちの1番近い存在として部員一人一人の支えとなり続けた。理想の主将像と現実とのギャップに苦悩しながらも、誰よりもチームのことを第一に考えた男の4年間を振り返る。

 合気道部に入部したきっかけは、自身が興味本位で取っていた合気道の授業であった。その授業の教授であり、当時の部長であった志々田教授(昭47文卒)から、高身長であることが理由でスカウトを受けたのだ。最初は合気道についてイメージがわかない山浦であったが、新歓や稽古に参加するなかで、合気道の実戦を意識した練習に惹かれ「競技もあって楽しそう」と入部を決心した。


主将として闘い続けた山浦(左)

  山浦が初めて大会に出場したのは2年生の時である。出場した早慶定期戦では、全日本学生競技大会(インカレ)よりも乱取で負けられないプレッシャーもあり緊張したと振り返る。その後のインカレでは男子団体戦に出場し、早大の完全優勝の一翼を担った。しかしこのインカレで好成績を収めたことが自身へのおごりにつながったと山浦は語る。(続く)秋関では、乱取個人戦で3位入賞を果たしたものの、優勝を念頭に入れていた山浦にとって、3位という結果は満足のいくものではなかった。「次の関東学生競技大会までの期間は秋関の反省でつらい課題が多かった」と当時を振り返る。そんな山浦の合気道人生の契機となったのは、インカレでも早慶戦でもなく、当時の主将である熊沢亮氏(平29創理卒=東京・城北)の代に、秋田で開催された国際大会に出場したことである。当時まだ大会出場経験の浅かった山浦であったが、けが人が出たことで大会に出場することになった。個人戦では負けたものの、優秀な選手との対戦を経験し綺麗に投げられたことで、山浦の合気道観に変化が訪れた。
「初めて競技と向き合うきっかけとなった大会だった」と語るように、山浦は勝つためにどのような試合運びをするかということを考え稽古に励むようになった。そこから山浦は躍進を遂げる。3年生の関東学生競技大会では乱取個人戦準優勝を果たし、決勝戦では当時の主将である小池雄登氏(平30先理卒=東京・巣鴨)との同門対決で、先輩に引けを取らない戦いぶりをみせ、手に汗握る白熱した試合を展開した。また秋関では、自身が主将となった新体制のなか、乱取個人戦で見事栄冠に輝き、男子団体戦においても大将としてチームを優勝へと導いた。

 しかし主将としての1年間は順風満帆なものではなかった。「結構つらかったです、4年の頃は」と山浦は当時を振り返る。稽古面では、前年度主将であった小池氏の代を理想として、合気道の本質にかなった徒手乱取り(素手同士で行う稽古)を受け継ぎつつ、自分らしい稽古に意味を見いだした。
一方で自分たちの考えた稽古は後輩たちにとって最善のものであるのか、そして後輩たちはしっかり取り組めているか。「ほんとは競技なので相手に勝つことを第一に考えないといけないが、その後に続く団体戦や大会のことが頭によぎって目の前のこと(相手)に集中できなかった」と語るように、チームのことを優先して考えるあまり、山浦自身の技術向上にかける時間が割かれていった。春期関東学生競技大会では乱取個人戦初戦敗退。演武、(乱取)団体戦も準優勝に終わった。「結構焦った部分があって、自分の1年間を振り返ると一貫したテーマを持ってやることができなかった。あの時は色々ジレンマというか、きれいな合気道をすることと競技で勝つこととの間で悩んでいた」と山浦は話す。それでもインカレでは主将として男子乱取団体戦でチームを見事優勝に導き、最後の大会となった早慶定期戦では、演武で白星を挙げるとともに、乱取ではわずか22秒で前落としという技を決める意地を見せ、3年連続の優賞に尽力した。

 主将として有終の美を飾った山浦であったが、自身に点数をつけるなら60点と意外にも低い。インカレの団体戦では「勝ちに向かって思考を止めずに戦う」部員たちを目の当たりにし、自身を「不甲斐ない」と感じたという。「今年に関しては反省ばかり」と山浦は主将としての1年を悔やんだ。しかしそんな謙虚な姿勢をみせる主将であったからこそ、部員たちは合気道と向き合いやすい環境で稽古に取り組むことができたのではないだろうか。部員たちとのコミュニケーションを積極的にこころがけ、風通しの良いチームづくりに励んだ山浦は、主将としての職務を全うした。「競技に集中して取り組んでほしい」という後輩へのメッセージは、誰よりもチームのことを考えた山浦であるからこそ得られた教訓であろう。

(記事 榎本紗凡、写真 久保茉里奈)