3月8日、雨の中で行なわれた名古屋ウィメンズマラソンで、2時間20分29秒の快走を見せた22歳の一山麻緒(ワコール)は、ゴール後、ワコールの永山忠幸監督に駆け寄ると、嬉し涙を止めることができなかった――。



ゴール後、真っ先に永山監督の元へ駆け寄った一山麻緒

 今大会は、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)ファイナルチャレンジのひとつで、女子選考の最終レースに設定されていた。東京五輪代表になるには、1月の大阪国際女子マラソンで優勝した松田瑞生(ダイハツ)が出した、2時間21分47秒を上回る必要があった。それは高いハードルだと思われていたが、一山が見事に超えて代表の座を勝ち取ったのだ。

 一山は、今大会がマラソン4回目のチャレンジだった。

 しかし、彼女を指導する永山監督は、レース前から可能性を信じていた。その理由として、これまでともにこなしてきたレースと練習があったからだ。

 話は、初マラソンだった昨年3月の東京マラソンに遡(さかのぼ)る。一山は、2時間21分36秒の初マラソン女子日本記録の更新を狙う走りを目指してスタートに立ち、気温が5℃前後と冷たい雨が降る悪条件のなか、結果は、2時間24分33秒と、悪くない走りを見せた。

 続く、4月のロンドンマラソンでは、MGC本戦の出場権をワイルドカードで獲得し、9月のMGCに出場した。この時は、調子がよくなかったこともあり、6位に終わった。

 しかし、11月の全国実業団対抗女子駅伝では、1区を走ると区間3位の成績を残し、12月には、1万mで31分34秒56の自己新をマークと調子を上てげてきた。

 年明けには、1月の都道府県対抗女子駅伝で9区の10kmを走り、京都優勝のゴールテープを切った。2月2日の丸亀ハーフでも、1時間08分56秒と好調な走りをすると、2月4日から29日まで、自ら志願してアメリカ・アルバカーキでの高地合宿に臨んだ。

「その合宿でも、昨年の東京マラソンと同じ2時間21分36秒を狙う形で練習をしました。練習メニューの消化状況を見ているうちに、『1分20秒くらい上回れるんじゃないか』と、大阪で出した松田選手のタイムも届かないものじゃないなと思えてきました」

 こう話す永山監督は、一山には言わなかったが、この合宿で2時間21分切りも意識していたという。

 今年、1月19日には、新谷仁美(積水化学)が、ハーフマラソンの日本記録を更新し、2月16日の青梅マラソン女子30kmの部では、MGCで優勝した前田穂南(天満屋)が、05年ベルリンマラソンの途中計時で野口みずきが出した記録を14秒上回る日本最高記録を出していた。

「(最近)女子長距離はどんどん動いてきている。そんな時だからこそ、マラソンでも国内最高(野口みずき/03年大阪国際/2時間21分18秒)を動かしたいという気持ちがあった」と永山監督は語る。

 レースはペースメーカーが1km3分20秒で引っ張る設定だったが、一山はそのペースもまったく苦にならず、「30kmまではジョグ感覚と言ったら言いすぎですが、ゆとりを持って走れたらいいなと思っていました」と振り返る。

 30km通過は、松田の通過ラップより40秒遅い1時間40分31秒だったが、永山監督も一山も30km以降の勝負に自信を持っていた。

 それを裏づけたのが、アルバカーキで行なった5km8本の練習だった。最初の6本までは、ランニングコーチの先導で、1km3分20秒ペースで走らせて、このペースを体の中に染み込ませた。

 そして7本目と8本目は30km以降の勝負を想定して、自由に行かせた。一山が「監督の鬼メニュー」と話す厳しい練習だが、最後の2本を、平地に換算すれば5km16分そこそこのペースまで上げて走ることができていた。

「これまでのレースでも、30kmの給水からレースが動くので、先頭で給水を取り、そこから勝負しようと思っていました。だから29kmくらいから、『自分で行くんだ』と、気持ちで行った」と言う一山は、29㎞付近の交差点で、永山監督から「ここから行っていいよ」と声を掛けられると、一気にギアを上げた。

 それまで3分20秒台後半に落ちていたペースを、ペースメーカーを煽るような走りで、3分14秒に上げた。そして、給水後もそのペースを維持し、35㎞までを16分14秒で走ると、2位との差を25秒まで開き、完全な独走態勢を作った。

 大阪で走った松田とのタイム差も、35kmでまったく同じ1時間56分45秒にすると、そこからの7.195kmは、差を1分以上広げる圧巻の走りを見せた。

 永山監督は、この素晴らしい結果を受けてこう話した。

「一山には、福士がやっていたマラソン練習よりハードなものに取り組んでもらい、なおかつタイムを狙うという目標があった。それを確実にやってくれたことが、この結果につながったと思う」

 福士の時は狙ったところで、ほぼ結果を出せていたが、一山の場合は、結果を出そうと取り組んだところで結果を出せず、永山監督自身も悩み、ふたりの関係がぎくしゃくしたこともあったという。

 だが、今回はコミュニケーションを取ることを心掛け、関係性を深めてきた。そんな試みがあったからこそ、今回の「29kmから勝負」という気持ちに、ブレはなかった。一山が「鬼メニュー」と言いながらも、これをやれば強くなれると信じてやり続けたからこその結果だった。

 今大会、一山に比べて準備が万全ではなかったチームメイトの安藤友香も、2時間22分41秒で2位と、持っている資質の確かさと可能性を感じさせた。

 今後の目標は、もちろん世界で戦うためのタイムの追求になるだろう。高橋尚子、渋井陽子、野口みずきと2時間19分台を連発した時のような流れが、女子マラソン界に再び訪れる気配がしてきた。