後悔なくやりきった——。不撓不屈の男が臨んだ大学サッカーの『延長戦』

 一度目の手術の麻酔から覚めると、病室には母親がいた。その口から、この数年ですっかり聞き慣れてしまったケガの名前を告げられる。

 並々ならぬ覚悟と決意を持って臨んだ『5年目』のシーズンも、その大半をケガとの戦いに費やされた。そしてついに終止符が打たれた、プロになるという目標への挑戦。プレーヤーとしての側面から見れば、悔しさだけが募る五年間だったはずだ。
 それでも蓮川雄大(スポ=FC東京U18)は早大ア式蹴球部(ア式)での日々を「悔いなくやり切れた」と振り返る。後悔の念などのぞかせない、いつも通りの屈託ない笑顔で。

 新チーム始動時は「最初からフル出場する想像はしていなかった」というが、関東大学リーグ(リーグ戦)開幕前に行われた実戦で外池大亮監督(平9社卒=東京・早実)の信頼をつかみ、リーグ開幕戦でスタメンに抜擢される。FC東京U18時代に『アメ車』と形容された、スピードとフィジカルを生かした力強い突破は健在で、第3節・中大戦(△1—1)では待望のリーグ初得点も記録した。
 「試合に出ている立場からすると苦しかった」と、当の本人はチームの得点力不足に対する責任を感じていたものの、ケガの影響を感じさせない、むしろ失われた時間を取り戻すかのようにキレを増していく蓮川のプレーは、苦しんでいたチームにおける希望の一つだった。
 暗雲が立ち込めたのは第4節・専大戦(●0—2)。接触プレーで負傷し、ピッチを退いた。幸いにもこの時は戦線離脱には至らなかったが、リーグ中断前最後の試合となった第8節・流通経大戦(◯2—1)の後半、シュートを打った際に右脚を痛め再び負傷交代を余儀なくされる。
 結果的にこの試合が、蓮川にとって最後の公式戦となってしまった。

 


天皇杯予選準決勝・東京ユナイテッド戦で、自ら得たPKを決める蓮川

 蓮川にとって四度目となる右膝前十字靭帯断裂は、これまでと勝手が異なる。
 最初の診断は右膝半月板の損傷。順調に行けば後期リーグ戦(後期)開幕前には戦列に復帰できるというものだった。しかし半月板を手術した際に、右膝前十字靭帯断裂が判明。「今まで負傷した時は毎回原因に心当たりがあったが、今回はそれがなかった」。そしてこう続けた。「知らないうちに靭帯が切れていて、気づかずにプレーしていた可能性もある」。同じケガを繰り返すうちに身体が順応してしまったのかもしれない、と少しやりきれなさをにじませながら語った。
 右膝前十字靭帯に何かしらの治療が必要だという医師の判断。それが何を意味するのか、蓮川は瞬時に理解した。夏が終わる頃に戦列復帰というプランは水泡に帰し、サッカーを続ける選択肢は現実的ではなくなってしまった。

 プロになるという夢は断たれ、年内の復帰も絶望的。「もちろん最初は『マジかよ』と思いました」。それでも蓮川は、当然悔しさはあると前置きした上で「これ以上ない準備と努力をして臨んだ1年だったから、後悔なくやりきったと思えた」と語った。もともと『今年が最後』という覚悟で臨んだシーズン。突きつけられた厳しい現実を受け入れるのに、そう時間はかからなかった。
 蓮川の目はすぐさま、過酷な残留争いに身を置くチームへ向けられた。同時期に戦列を離れていた武田太一(スポ=現徳島ヴォルティス)とともに、ケガ人の自分たちがチームのためにできることを模索。導き出された答えは、自身が昨年務めたチームマネジャーに再び就任し、首脳陣の一員として舵取り役を担うことだった。

 球際の激しさやハードワーク、攻守の切り替えといった基礎の徹底に、最低限の約束事の共有。前期には選手として感じていた課題を、夏以降は首脳陣の一人として徹底的に改善に努め、後期開幕に向けて着々と準備を進めた。そして最も重視していた役割は、コミュニケーションを多く取ること。Aチーム以外の選手とも積極的に言葉を交わし、時には膝を突き合わせて対話した。「(優勝した)前年の4年生と比較して、変えるべき部分の話を上級生としてしつつ、当事者の一人として何をどう変えるかという働きかけもした」。
 一番得意だと自負する、首脳陣と選手間の橋渡し役としても奮闘。時にチームメイトの良き兄貴分として、時に勝負師気質の指揮官の良き理解者として。首脳陣の一人でありながら、一選手でもあった蓮川だからこそ担えた役割だ。

 迎えた後期リーグ戦。チームは調子の浮き沈みが激しく、一時は降格すれすれのところまで追い込まれた。ともすれば目の前の結果を求めるあまり、不必要に大きな変化に走りかねない状況だった。
 それでも早大は後期11試合を通して、あることを貫き続けた。後期開幕戦で筑波大に大敗(●0—5)しようが、残留を争う流通経大との天王山(●1−3)に敗れようが、自分たちが積み上げてきたものを決して無にしない。就任以来、一貫してプロセスの重要性を説いてきた外池監督のもと、チーム一丸となって『歴史的残留』へ向け一歩また一歩と前進を続けた。
 『良い結果を生むのは良いプロセスのみ』という外池監督の信条を、チームに浸透させようと努めたのが誰であるか。もはや改めて記す必要はないだろう。

 ア式で過ごした五年間は常にケガが付いて回った。満足にプレーできない日々を強いられ、かつて夢見た舞台への道も断たれた。一人のフットボーラーとして悔しさがないと言えば嘘になる。
 それでも蓮川は「今後の人生でも絶対に生きる貴重な経験ができた。ア式のおかげで人として大きくなれた」と語る。入学当初は人と積極的に関わろうとしなかった男は、ア式での日々を経て『フォア・ザ・チーム』を信条とするまでになった。積極的にチームメイトとの対話に努め、外池監督の右腕として存分に腕を振るい、そしてチームのことを第一に考え続けた。昨年度の優勝も今年度の残留も、そんな蓮川の尽力なくしてあり得なかった。
 「ア式はもっと上の順位で戦わなければいけないということは忘れずに頑張って欲しい」。後輩たちにそう言い残し、蓮川雄大は晴れやかな表情で早大ア式蹴球部での生活に別れを告げた。

(記事 森迫雄介氏、写真 大山遼佳氏)