中学、高校では男子400m走で全国大会を経験し、2018年、「日本インカレに出場したい」という夢を抱いて、愛知学院大学に入学した石田駆。だがその直後、左肩に骨肉腫が発覚し人生が一転。2018年12月にパラ陸上を始めて、東京2020パラリンピックのメダルを狙える位置まで辿りついた。「奇跡が起こりまくった」という激動の日々を振り返る。

全中とインターハイに出場

中学、高校と全国大会に出場してきたので、大学では日本インカレに出て引退したいなと考えていました。でも、大学入学後の5月に病気が分かって。練習のとき腕を振っていると、左の上腕に違和感があって変だなと思って見たら、しこりができていました。検査した結果は骨肉腫。当時は絶望感しかなかったです。両親も陰で泣いていたと聞きました。

陸上をやっていると……とくに400mはキツい種目だからいつ引退できるんだろうと、けっこう選手は思うものなんです。僕もそうでした。でも、いざ走れなくなるとめちゃくちゃ走りたくなって。だから一生懸命リハビリして、半年後の12月に大学の練習に復帰しました。「岐阜障がい者アスリートクラブ」に入ったのもこの頃です。

いろんなハンディがある人がいて頑張っていました。でも、パラの大会は競技人口が少ないし、当時は自分が障がい者という自覚がなかったので、この大会に出るのはちょっと……と思いました。

「自己ベストの48秒68を出せれば、パラリンピック出場は間違いないぞ」「いま走っても日本記録が出るぞ」という周りの強い後押しのおかげで、ちょっとずつ前向きになれたんです。パラの大会に出場している中京大で池田樹生選手から国際大会に出るための情報をもらったりした影響もあるかもしれません。

普段は 愛知学院大学陸上競技部でトレーニングに励む
鮮烈なパラデビュー戦

ありえない! という感じ。でも、同時にやっぱりスピードはついているんだと自信になりました。復帰したときから体力と筋力を戻せば、障がいに関係なくもっと走れるようになると思っていたので、いい感触を得られました。

全国大会に出場しかできなかった自分が、突然、世界を目指すことになって……。自分が日本を背負うってめちゃくちゃ違和感しかなかったです。でも、ジャパンパラで東京パラリンピック出場の道も見えてきて、世界パラ選手権では応援してくれる人がいることも知りました。もう自分が目指す舞台は世界トップなんだから、ちゃんと頑張って行こうと思えるようになったんです。

ドバイで内定をもらって東京パラリンピックの金メダルにつなげたかったんですけど…。とはいえ、49秒44と記録は悪くなかったですし、東京パラリンピック出場ランキング(※)は現在5位で出場する気満々でいます。高校時代に出した自己ベスト48秒68を更新させるために頑張っているところで、いまは腕の動きには制限があるけど、下半身の筋肉を強化すれば地面からもらう力も強くなるので、記録も伸びてくると思うんです。

※2020年4月1日時点のランキング6位以内で、すでに内定している選手を除く最大上位2選手が東京パラリンピック代表に内定する。

大学時代に成し遂げたい2つの目標

僕の目標って、やっぱり日本インカレに出場することなんですよ。世界におけるランキング1位の選手のタイムは47秒87、日本インカレの標準記録は47秒20。だから僕は東京で彼の記録を抜いて優勝し、日本インカレの標準を突破するタイムを出したいんです。日本インカレ出場は実現させないと納得いきません。(パラ陸上で長く第一線で活躍する)山本篤さんからは「お前はそこを目指す選手になれ」と言われています。

タイムマシーンがあったら、中学や高校時代の自分に大学生の僕はこうなっているよ、と言いに行きたいんですよ(笑)。大学1年のときに苦しい思いはするけど、そのあとは人生に思わぬ広がりがあるからなって。新しい挑戦、新しい出会い……。人は突然、病気になったり、障がいをもったりすることもあるけど、そこから変えられる人生があることを伝えたいですね。

最近、中高時代の同級生などに「お前のおかげで力をもらった。ありがとう」みたいなメッセージをもらうことがあるんですよ。だとしたら、それは僕にとっての刺激でもあるし、もっと陸上競技を楽しめる理由にもなります。

text by Yoshimi Suzuki

photo by Hiroaki Yoda