起承転結

 『航空は技量と経験と運。多種多様な要素をつなぎ合わせながら勝負をする頭のスポーツ』山本拓磨(法=東京・早大学院)は1年間、早大航空部を主将として引っ張ってきた。男女分かれずに、チャンスは均等にある。競技において筋力を使う要素はほぼゼロ。努力次第でどんな人でも全国トップを目指せるこの競技において大学生活を捧げてきたこれまでを振り返る。

 山本は、高校時代は漕艇部に所属していた。大学では、自分の体形もあり、コックス(ボートは漕がず、舵や漕手への指示を出すポジション)もしくはマネージャーとして漕艇を続けようと思っていた矢先、大学入学前に高校で配られた雑誌で航空部の存在を知った。また大学では頭を使うスポーツをやりたいと思っており、かつ乗り物が好きであったため航空部への入部を決めた。しかし実際に入部してみると、入部前のイメージとは違うのであった。競技の都合上練習できる回数がとても少なかったのである。「航空部の場合は毎日練習するのが不可能なので、もどかしさを感じた」と、高校の同期が体育会に入り大会で次々と活躍している中で、山本は2年生までに1回しか大会に出られなかった。ただその中でも自分で気象について勉強したり、フライトの動画を撮ってそれを見て勉強してそのもどかしさを解消しながら、自分の技術を高めていった。


山本のフライトはこれからも続く

 3年生の12月に幹部交代となり、山本は副将に就任する。しかし、数か月後に主将がやめてしまう。そこで繰り上がる形で山本が主将に就任した。さらに主将に就任した矢先、監督が代わり、部のシステムや運営の方法が大きく変わった。「4年のこの時期になって1から再スタートとなり、また監督とうまくコミュニケーションが取れない時期があったので1番大変だった」と語る。また部員とほぼ同人数いるコーチからの圧もあり、プレッシャーも感じていた。4年生になった矢先の主将就任や監督交代など大変な中、同期がアドバイスしてくれたり、マネージする一部の役割を担ってくれたりと同期が一丸となって大変な時期を乗り越えてきた。山本の代は例年に比べて人数が多く、同期の仲はとてもいいと語る。

 山本の性格は人に対して厳しくするタイプではなく、誰にでも優しい。「昔に比べればいい意味でも悪い意味でも部の雰囲気が緩くなりその点に関しては軌道修正をしている」と引退まであと少しであるが、最後の大会のことだけを考えるのではなく、最後まで主将としてチーム内の仕事もまっとうしている。後輩に対しては「モチベーションを維持するためにも少しでも大会に関わってほしい」と語った。前述した通り、このスポーツは1・2年生の間はほとんど大会に出ることができない。誰もが避けて通れない道なのである。その中でも山本みたく辛抱強く努力すれば、上級生になり必ず大会で活躍できるといった思いが込められているのだろう。

 山本が1年生の時、夏に事故が起き、半年間活動ができなかった。活動が再開しても当初は、結果よりも安全性を重視した活動が続いていた。そこから徐々にステップアップし、山本が主将の代で大会での優勝を捉えられるチーム状態になった。「起承転結を肌で味わってきた。リスタート(活動再開)を起とすると結のところで優勝できれば、終わり良ければ総て良しになる。去年の全日本学生選手権の予選の関東大会と六大学戦で準優勝を残して今いい形でクライマックスを迎えられていて、最後の大会でこれらを超えればいい形で卒部できる」と意気込んでいたのだが、3月10日から行われる予定であった全日本学生グライダー競技大会は新型コロナウイルスの影響により突如中止となった。そして残念ながら山本はここで卒部となった。「早慶戦中に突然競技終了と全国大会中止を告げられ引退が決まりました。正直突然すぎて今も気持ちの整理はついていません。非常に無念ですが、こればかりは仕方がないので後輩を日本一にするべく今は指導する立場に気持ちを切り替えている」と突然の卒部に無念さをにじませるも山本は卒部後の競技人生を見据える。
 山本は「クヨクヨ後ろばかり振り返らず冷静に現状を分析して一歩ずつ前進できる人が強くなると思います。頑張ってください。」と後輩へ言葉を残した。日本一まであと一歩のところで卒部を余儀なくされたこの悔しさは、きっと後輩が晴らしてくれるだろう。

(記事 小野寺純平、写真 関飛人)