神野プロジェクト  Road to 2020(43) ゴールした瞬間、神野大地は下を向き、表情は色を失った。悔しさというよりもショックと言ったほうがいいだろう。 2時間12分11秒の39位。目標だった2時間8分台のタイムは達成できなかった。…

神野プロジェクト  Road to 2020(43)

 ゴールした瞬間、神野大地は下を向き、表情は色を失った。悔しさというよりもショックと言ったほうがいいだろう。

 2時間12分11秒の39位。目標だった2時間8分台のタイムは達成できなかった。1カ月間、ケニアで合宿をこなし、順調に練習を消化できたこともあり、大会前のコンディションは非常によかった。



目標としていたタイムに届かず、失意の表情を浮かべる神野大地

 レースコンディションもさほど暑さは感じず、風はあったがタイムを出せる環境は整っていた。実際、大迫傑は2時間5分29秒で日本記録を更新した。神野は、なぜ東京マラソンで目標タイムをクリアできなかったのだろうか。

「ペースメーカーにもみんなの勢いにも乗らない。冷静に1キロ3分のレースをして、確実に2時間8分台を目指します」

 レース前に神野がそう言っていたとおり、スタートから自分のペースを貫いた。

 井上大仁や大迫をはじめ、先頭集団が2分55秒前後のペースで走り、5キロのラップを14分32秒で進むなか、神野は14分58秒とほぼ3分ペースを維持するなど、タイム的にはイメージどおりだった。

 その後もペースを上下させず、20キロまではほぼ3分ペースで進んだ。それから10キロは少しタイムを落としたが、勝負どころとなる30キロ以降にどれだけ粘って2時間8分台をキープできるかがポイントになっていた。

 だが、その30キロ過ぎからペースが大きく乱れた。

「なにかガクンと落ちた感じになったんです」

 神野は悔しそうに振り返った。

「それまでほぼ予定どおりに走れていたんですけど、いきなり落ちて……自分のペースでいくと決めていたんですが、結構、最初から前が速かったんです。それでスタートからほぼひとりで走って、風も出てきて……そういういろんなダメージが30キロから出たのかなと思います」

 レースプランは、30キロ以降も自分のペースを維持し、ハイペースで入って落ちてきた選手をひとりずつ抜いていこうと思っていた。だが、予想外に選手はハイペースのまま行き切った。

「30キロくらいから、前の選手が落ちてきて拾っていけると思っていたんですが……前が見えないのがメンタル的にきつかった。結局、自分の周りには誰もいなくて、最後までひとりで走ることになってしまいました。調子がよかったので、集団についてレースをしていたらどうなっていたのかなというのはありますけど、自分のペースでいくと決めていたので。今回はその戦略が間違っていたのかなぁ……と」

 タイムを見ても、神野の失速は明らかだった。30キロから35キロのラップは15分59秒、35キロから40キロは16分55秒まで落ち込んだ。この激しい落ち込みが、目標タイムである8分台を遠ざけてしまった。

 レースを見ていたフィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一は、複雑な表情を浮かべていた。

「3年間やってきて、筋肉はついたし、肺機能も強くなってきた。しかも今回、神野の状態はすごくよかった。そのなかで8分台が出ないというのは、何かしら問題があると思うんです。やり方は間違っていないけど、そこに何かが追いついていない。それが何なのか……今後、チーム全体で見つけていかないといけないと思っています」

 神野、中野、そしてコーチ兼マネージャーの高木聖也が顔を合わせるなか、なんとも言えない重たいムードが漂う。

 過去、これほど充実した練習を積み、これほどいいコンディションで臨めたレースはなかった。にもかかわらず、目標タイムをクリアできなかった。その精神的ダメージは大きい。昨年のMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)でも30キロ過ぎに失速したが、その時の神野とは状況がまるで違う。神野が沈痛な面持ちで、こう口を開いた。

「30キロまでひとりでいけたのは状態がよかったからだと思います。それから大きく落ち込んだのは、僕の力が足りなかったのか、それともこれが限界なのかわからないですけど……それでもサブ10(2時間10分以内で走ること)はやるべきだった。正直、MGCの時の17位よりもダメージが大きいです」

 この日、青学大の同期や後輩たちが7分台の好記録を出した。よかったと思う反面、大の負けず嫌いなだけに悔しさも大きかっただろう。誰よりも努力してきたと自負し、自信を持ってスタートラインに立っただけに、結果が出なかった悔しさが胸をえぐる。

 最後に、ポツリと神野が言った言葉が重い。

「これまで地道に練習を続けてきたんですけど……もう1回、ここで次どうするべきなのか、これまでの取り組みも含めて考える時期なのかなって思います」

 ひどく落胆した表情から推察すると、心が折れそうになっているのかもしれない。だが、速く走るためには、これまでどおり練習を続け、努力していくしかない。いつもそうして神野は成長してきた。

「ここまで日々努力できたのは、東京五輪があったから。現時点でやることはやれたと思います」

 神野は自分に言い聞かせるようにそう言った。3年にわたる東京五輪への挑戦は、このレースで終止符を打った。

 そして、今後どうすべきか--。この結果を踏まえて、神野はすでに何かを決断しているようだった。