「あれー、安部さんだ!」 室内のブルペンから出てきた日焼けしたヒゲ面の男が、向こうで笑っている。「今年は来ないかなぁ…

「あれー、安部さんだ!」

 室内のブルペンから出てきた日焼けしたヒゲ面の男が、向こうで笑っている。

「今年は来ないかなぁって思っていたんですよ」

 野太い声がこだまする。チームの”主”みたいな男は、今年も健在だった。

 初めて会った人との距離も、ひと言で一気に近づけてしまう言葉の魔力を、この男は知っている。ソフトバンクの高谷裕亮(たかや・ひろあき)は、そうした”コミュ力”に長けた選手である。



スーパーサブとして存在感を放つソフトバンク・高谷裕亮

「ヒゲぐらい剃ってこいよー。こんなに人が見に来てるんだから(笑)」

 そう言って、高谷は頬をなでると、「今朝、剃ってきたんですよー。これでも」と、そんな大きい声で言わなくても聞こえるよ……というぐらいの蛮声で返してくる。

 その響きに、関係者や記者、練習中の選手までもが集まり、「高谷のヒゲ面」をいじりまくって、笑いが起きる。

「ヒゲぐらい剃ってこいよー」というセリフを、以前にも、高谷に浴びせたことがある。白鴎大時代の高谷を取材した時だ。大学近くにある市営球場のダグアウト。ヌーッっと現れた彼の顔を見て、思わずそのセリフが出た。それが高谷との初対面だった。

「社会に出たことがある分、ほかの選手がしていないことを経験しているのが自分のアドバンテージだと思います。選手たちをまとめていくのも、自分のプレーにも有利に働くと思います」

 ゆっくりと、よくわかるように話そうとする口ぶりが、並みの学生とは違っていた。貫禄のような安心感が伝わってきたのは、ヒゲが濃いせいだけじゃなかった。

 当時、大学4年生の高谷は、すでに”25歳”になっていた。小山北桜高校(栃木)を卒業してから2年間、高谷は社会人野球の強豪・富士重工に勤務し、プレーしていた。

「自分、高校では”園芸科”だったんですよ」

 小山北桜高校は1996年に今の名に改称されたが、以前は小山園芸高校だった。

「社会人ではケガばかりで野球にならなくて……実家が造園業だったので、植木職人になろうかと思った時期もあったんです」

 だが、不完全燃焼だった野球への思いは冷めず、「本気で出直す気があるなら」と白鴎大から声をかけてもらい、再び野球への道が開けることになった。

「ソフトバンクに3位で指名してもらった時は、もう25歳。普通の大学4年生より3つも歳を食っていましたから、もう待ったなしですよ」

 そこから昨年までの13年間、田上秀則、細川亨、鶴岡慎也、そして甲斐拓也……レギュラーでマスクを被る選手たちの”スーパーサブ”として、チームにとって欠かせない存在となった。

 ソフトバンクの宮崎キャンプのブルペン。入れ替わり立ち替わり、球界を代表する剛腕、快腕たちがマウンドに上がり、生きのいいボールを投げまくる。

 レギュラーマスクを被る甲斐ですら、グラッと揺らぐことのある”捕球の一瞬”に、高谷のキャッチングには構えるミットに迷いがなく、上体の揺らぎも一切ない。

「同じ配球なのに、高谷さんだと打たれない……」

 ある投手がそうつぶやいたことがあった。

「高谷さんって、いるだけで、なんかチームが落ち着くんですよね」

 ある野手は、敬意を表してそう語る。

 チーム関係者も「いつまでも高谷の存在をアテにしていたらいけないんですけどね……」と絶大な信頼を寄せる。そのことを高谷に告げると、こう笑顔で返してきた。

「この分なら、まだまだやれそうです!」

 シュッとした選手が増えているプロ野球界の昨今、高谷のような”野武士”を彷彿させる面構えの選手は本当にいなくなった。

 時々、「いいキャッチャーとは、どんなキャッチャーなんですか?」と聞かれることがある。もちろん、いいキャッチャーの条件は、それこそ無数にある。そのなかで私は、「目立たないキャッチャー」と答えるようにしている。

 いると気づかないが、いないと気になって仕方がない。いつの間にか、なくてはならない存在になっているのは、時間をかけて磨き上げたたしかな技術と、誰からも慕われる人間性のなせる業ではないだろうか。

 エースや4番の”後継者”は必ず現れるが、人知れず組織の束ね役になっている高谷のような存在は、じつは”後釜”を見つけるのは簡単ではない。ソフトバンクのスーパーサブである高谷は、ちょっと大げさかもしれないが、チームの”無形文化財”のような存在なのかもしれない。