部員が動く中心に

 ヨットの団体戦は多くの場合、各校が3つの艇を出し、その合計点で勝負を競い合う。秦和也(基理=東京・早大学院)は看板である1番艇ではなく、3番艇のクルーとして後輩を引っ張っていくことを入学当初、目標として掲げた。そこに秘められた想いとは。秦が歩んだ4年間を振り返る。

 団体戦では3番艇の出来が勝敗の行方を分けると考えた秦は、全日本学生選手権(全日本インカレ)での総合優勝に加えて、陰でチームを支えていけるような実力のある選手になることを目標に据え,早大へ入学した。入学当初は下積みに励む日々。厳しいといわれるヨット部の下積みだが、辛いとは感じなかった。料理を作る際には、作らされていると考えるのではなく、むしろ大人数のために料理を作ることに楽しさを感じた。下積みは無駄なことではなく、チームとして必要なことであり、大事なこと。そう秦は振り返る。


全日本学生個人選手権に臨む西村・秦組

  次の学年に進むと、当時、早大の470級でエースだった岡田奎樹(平30スポ卒=佐賀・唐津西)のクルーとして試合に出場。絶対に勝たなければいけない重圧の中、負けると自分の責任を強く感じる一方、ヨットに人生を懸けている人と一緒の艇に乗れたことは幸せだったという。また、ヨットに全てを捧げてきた人にどうしたら認めてもらえるかを思索し続けた1年であったと回顧する。続く3年時には西村宗至朗(社2=大阪・清風)と組み、当初の目標であった3番艇で出艇を果たす。さらに、少しでも甘えがあると置いていかれるという危機感を持ちながら、2年生以上に努力を重ねた。その結果、その年の全日本学生選手権(全日本インカレ)で優勝。チームとして結果を残し、充実した年になるとともに、秦自身もやりがいを感じた1年間となった。

 最上級生となった昨年には主将に就任。就任前後で気持ちが変わることはなかったが、自らがカリスマ的な存在にはなれないと考えた秦は、勝たせたいと思われる主将になること。加えて、周りが動く中心にいることで組織を一つの方向に向けられる主将になることを目指した。チームは関東大学春季選手権で総合2位、関東学生秋季選手権では総合優勝を果たすなど上々の結果を残す。だが、連覇がかかった全日本インカレでは3位に終わり、苦杯を喫した。勝負は戦う前から決まっていたと秦は振り返る。一つは前年と同じように練習をしていれば、今年も勝てるのではないかという気持ちがどこかにあったこと。もう一つは毎日の生活で諦めなければいけないこと。つまり、犠牲を十分に払えなかったことでチーム全体の競技に取り組む基準が下がり、選手同士で厳しく競い合うことができなかったからだという。「何度やったとしても自分の1~3年生以上のことはできないと自負している。しかし、4年生はもう一度やり直したい」と語った秦。後輩たちには、努力に対する向き合い方や目標の設定から見直すこと。また、ただ全力で取り組むのではなく、適切に努力することが大切だと話してくれた。

 「間近で人生を懸けてヨットに挑む人を見てきた」上で今後はヨット競技の第一線からは退き、飛行機のエンジニアを目指すとともに、母校である早稲田大学高等学院でコーチとして指導をしていく予定だという。「高校生には自分と同じような悔しい思いをしてほしくないので、ヨット部で受けた恩義は母校への指導で返したい」と誓った秦。この4年間で培った経験を糧に、新たな道へと進み始める。

(記事 足立優大、写真 町田華子)