23日に各球団から引退選手が発表となった。■阪神・福原、中日・雄太&岩田も引退を発表 23日に各球団から引退選手が発表となった。中日は雄太、岩田慎司両投手の今季限りでの引退を発表。2004年のドラフト4位で入団した雄太はここまで通算28勝3…
23日に各球団から引退選手が発表となった。
■阪神・福原、中日・雄太&岩田も引退を発表
23日に各球団から引退選手が発表となった。中日は雄太、岩田慎司両投手の今季限りでの引退を発表。2004年のドラフト4位で入団した雄太はここまで通算28勝31敗1ホールド、防御率3.44、2008年のドラフト5位で入団した岩田は通算9勝15敗1ホールド、防御率3.73でユニフォームを脱ぐ決断をした。
また阪神では福原忍投手が引退を発表。1998年のドラフト3位で入団した39歳右腕は通算83勝104敗118ホールド29セーブ、防御率3.49。阪神一筋で現役生活を終える。
日本ハムでも38歳のベテラン武田勝投手が引退会見を実施。2005年ドラフトの大学・社会人4巡目で日本ハム入りした変則左腕は2009年から4年連続で2桁勝利を挙げるなどプロ通算82勝61敗15ホールド1セーブ、防御率3.02の成績を残した。
武田は会見の席で決断の理由やシダックス時代の恩師・野村克也氏から学んだことなどを明かしている。以下に内容を紹介したい。
――現役引退を決断した理由は。
「やはりプロの世界は結果。ここ2、3年は自分はまだまだ出来る、負けたくないという気持ちから、若手を応援していく自分に切り替わっていった。まだまだやりたい気持ちがなくなったことです」
――プロ野球生活は2006年から始まった。どんな11年間だったか。
「一言で言うと、あっという間に駆け抜けて。本当に幸せな時間だったと思います」
■思い出に残るのは「オールスターでの4ホーマー」
――背番号と同じ38歳までプレーした。
「まさか自分がここまで。11年出来ると思ってなかった。28歳で入ったので、1年目から結果を出さないと厳しいという意識を持って、無我夢中でやってました」
――直球は球速表示より速いと感じさせていた。そのコツは。
「正直、球が遅いと言われて辛い時期もありました。でも、僕の中では120、130キロを150キロのつもりで投げてました。なので、少々の強がりと負けず嫌いでここまでやってこれたと思います」
――思い出に残る試合は?
「4度の優勝、1度の日本一と言いたいんですけど、僕らしく(11年の)オールスターでの4ホーマー(を打たれた)だと思います」
――気持ち良かった試合は?
「僕の中では高橋信二(捕手コーチ)と初めて完投できたこと。彼は僕以上に喜んでくれた。それが本当に嬉しかったです」
――野球以外で思い出に残っていることは?
「ヒーローインタビューでファンの皆様のプレッシャーを感じてまして、投げている時も何を言おうか考えていた。それが辛かったですけど、楽しみでもありました」
■事前に伝えたチームメートも、「僕にとってかけがえのない存在」
――新人から4度のリーグ優勝に貢献した。
「ルーキーから僕を使っていただいて、その中で、チーム、ファンと共に成長させてもらいました。気付いたら、武田勝が自分でも大きくなっているなと感じていた。正直、11年出来ると思わず、ここまで来ました」
――悔いはないか。
「ここからウソですということはないです。1年でも長くやりたい気持ちでしたが、自分の中ではファイターズに何か恩返ししたいという気持ちに変わっている。次のステージに向けて切り替えるようにしたいです」
――日本ハム一筋だった。
「僕を導き出してくれましたし、成長させてもらいましたし。いい仲間と巡り合せてくれた。僕にとってかけがえのない存在だと思います」
――チームメートの反応は。
「やっぱりチームメートなので、薄々感じていると思う。これから個人、個人と話をして、今のうちに泣きたいと思います」
――事前に伝えたチームメートは。
「鎌ヶ谷のみんなには伝えていますし、1軍では増井や宮西。一緒にバカやってきたメンバーには伝えています。あいつらも僕と同じ強がりなタイプなので『まだまだ出来ますよ』とか『一緒にやりましょうよ』と言ってもらえるんですけど、あいつらの面倒を見るのは、もうコリゴリです」
■野村克也氏にも報告、2人の恩師に感謝の言葉
――首脳陣、チームメートからの言葉で印象に残っている言葉はあるか。
「お疲れさまでした、という一言だけで。僕の仕事は終わったなと、ホッとした。元の武田勝に戻れるなと感じております」
――若手へ伝えたいことは。
「今こうやって優勝争いをしている時が1番成長出来る時期。鎌ヶ谷にいる選手も、負けず嫌いと言いますか、そういう気持ちを前面に出して。『いつかオレが』という気持ちで取り組んでもらえればと思います」
――シダックス監督だった野村克也氏へ報告は。
「もちろんしました。野村監督に育てていただいた原点がありますし、『野球とは』、『人間とは』といろんなことを教えていただいて、プロの世界で生かせた。社会人の3年間は大きかったです。もう1人、偉大な方に恩師がいるのですが、 (アマチュア時代に)高橋一三さんにフォームを教わりました。その2人がいれば、今日ここにいなかったと思います」
――具体的に野村氏から学んだこととは。
「技術もそうですけど、『人間として成長しなさい』と常に言われてました。プロでいろんな方に出会って、支えていただいて、成長出来たと思っています。野村監督に会っていなかったら、そういう考えを持つことはなかったと思います」
■将来的な指導者は…
――家族の反応は?
「(妻から)『お疲れさまでした』と。その一言が欲しかったので十分です」
――今後については。
「11年間スピードもなく、背もなく、筋力もなくやってきた。まず体を休めたいと思います」
――将来的に指導者は?
「今までは選手として若手に伝えることが多かった。この1年鎌ヶ谷にいて、いかに言葉で伝えることが大事か、を勉強出来たと思います。こういう経験をいかして、将来的には…という気持ちはありますが、自分を磨きたい。勉強したいと思います」
――30日のロッテ戦(札幌ドーム)では引退セレモニーが行われる。
「30日は笑顔で僕を送り出して欲しいと思います。それだけです。全力で120キロ出したいと思います」