唯一無二 直接点を取ることはできない。しかし類まれなるキャプテンシーと圧倒的な存在感で早大バレーボール部を3年連続の日本一に導いた。そんな『唯一無二』な男は堀江友裕(スポ=和歌山・開智)だ。「頑張っていればいいことがついてくる。」そう信じて…

唯一無二

 直接点を取ることはできない。しかし類まれなるキャプテンシーと圧倒的な存在感で早大バレーボール部を3年連続の日本一に導いた。そんな『唯一無二』な男は堀江友裕(スポ=和歌山・開智)だ。「頑張っていればいいことがついてくる。」そう信じてがむしゃらに走り続けた堀江の4年間とはどんなものだったのか。

 やんちゃな少年だったという堀江。小1の時に家族の影響もあってバレーボールを始めた。その後は中高と強豪校に身を置きスパイカーとして力をつけていった。リベロ堀江の原点ともいえるのが高校3年時、U19日本代表として参加した世界ユース選手権だ。スパイカーにしては身長が低い堀江を当時の監督はリベロとして起用した。大会では敗戦が続く日本。どうしてこんな状況で守備がうまくもない自分が試合に出ているのか。悩んでいた堀江は「お前は常にコートにいてほしい存在だ」と監督に言われたという。その言葉に強く心動かされた堀江はリベロとしての自分の未来を模索し始めていく。

 ついに堀江は早大に進学。日の丸を目指すことを見据え、大学からリベロの道に進むことを決心。1年時の春季関東大学リーグ戦から正リベロとして活躍した。最初は自分のミスを自分で点を稼ぐことで取り返すことが出来るスパイカーとは違うリベロというポジションに悩むこともあった。だがそれでもチームに貢献することで着実に階段を上っていった。3年時にはプレー中のコミュニケーション能力の高さや183センチという身長の高さなどが評価され見事全日本代表に選出。夏季に行われたアジア大会に選ばれ栄光の日々を過ごしているように思えた。しかし当時を振り返って堀江は「嬉しさよりもしんどい気持ちのほうが勝っていた」と話す。リーグ戦でも些細なミスをすれば全日本の選手なのにと思われるのではないか。漠然とした不安を常に抱えながら当時は戦っていたのだという。そんなとき堀江に悲劇が襲う。膝のけがが悪化し、手術を余儀なくされたのだった。もう一度コートに戻りたい。その思いを胸に抱え長い期間リハビリに一生懸命励んだ。早大は堀江不在の中で全日本大学選手権(全日本インカレ)連覇を達成。戦線離脱当初は自分がいなくなったチームなんて負ければいいと思ったこともあったという。だが最後に飾ったチームの有終の美は堀江にとっても大切なものになった。


守護神としても堀江はチームに貢献していた

 迎えた最終学年。『全日本インカレ連覇』という結果だけを置かれて堀江は主将に就任した。プレッシャーから主将だと思うだけで自分のプレーが思うようにできなくなることもあった。そんなときでもチームのことを一番に考えなくてはいけない。背番号『1』が堀江に重たくのしかかる。しかし決して逃げ出さなかった。うるさいと思われるくらい大きな声でチームを鼓舞する堀江のスタイルはチームの雰囲気を盛り上げて春季リーグ戦全勝優勝。そして実業団のチームなどと対戦する黒鷲旗全日本選抜では名だたる強豪を抑えてベスト8に。輝かしい成績を残し続ける早大が今年も一強かに思われた。しかし攻撃の要である宮浦健人(スポ3=熊本・鎮西)、村山豪(スポ3=東京・駿台学園)不在で迎えた東日本大学選手権。早大はまさかの3回戦敗退を喫した。相手は当時関東2部でプレーしていた青学大だった。「勝たないといけないというプレッシャーの中で代わりにでた下級生に求めすぎてしまっていた。」堀江は当時をこのように振り返っている。

 その敗退からもう一度チームを再生させて挑んだ秋季リーグ戦は全勝優勝。11試合のうち落としたセットはわずか4セットであった。そして大学日本一を決める全日本インカレ。最後まで油断することなく勝ちを重ね続けた早大が大会3連覇に輝いた。それと同時に日本一の主将という重圧から堀江は解放されたのだった。

 堀江にとってバレーボールとは「人生そのもの」。そして一番のモチベーションは両親の存在だという。試合に負けても叱らず自分を受け入れてくれて、勝利すればその喜びを共有してくれる。そんな両親のおかげでバレーボールを続けられているからこそこれからも「(バレーボールを)人生そのものにしなくてはいけない。」そして「両親の喜ぶ顔が見たい。」にこやかにそう語った。

 今春から実業団・堺ブレイザーズへの入団が決まっている。全日本代表メンバーを多く輩出するこのチームでは正リベロ枠を巡って険しい道が待ち受けているだろう。しかしそこでの成功は通過点にすぎない。目指すはその先、龍神JAPANだ。日の丸のユニフォームに袖を通すのが何年後になるかはわからない。だがどんなボールにも食らいつき声と熱い思いでチームを鼓舞する堀江が日の丸を背負うときはきっと来る。

(記事、写真 萩原怜那)