連載第26回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち証言者・赤星憲広(4) 今年の春、筆者は井端弘和(元中日ほ…

連載第26回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・赤星憲広(4)

 今年の春、筆者は井端弘和(元中日ほか)の内野守備にまつわる書籍を制作する機会に恵まれた。その際に井端にとって亜細亜大の後輩である赤星憲広が、イップスに苦しんでいたことも話題になった。そして井端は「もし赤星に会う機会があったら伝えてください」と前置きして、こう言った。

「赤星の投げ方は、左手の使い方に問題があったのだと思う」

 にわかにはその真意はつかめなかった。左手ということは、投げ手ではなくグラブをはめる手ということになる。井端の言葉をそのまま赤星に伝えると、赤星は中空を見つめて何事か考え込んだ。そして数秒かけて考えを整理してから、赤星は堰を切ったように語り始めた。


現役時代、

「自分はイップスではない」と頑なに認めなかった赤星憲広氏

「井端さんのなかで、スローイングを教えるうえで引き手(グラブをはめた手)は重要なポイントだったのだと思います。でも、現役時代の僕はそこまで引き手を意識していませんでした。というのも、投げ手の右手ばかりに意識がいっていたからです。どうしても、右手でどうにかしようと考えていた。でも、グラブを自分の体に引き寄せるような動きができていなかったから、体の開きが早くなっていたのかもしれません」

 そして赤星は、苦手なショートスローを克服するために編み出したアンダースローも、「今にして思えば引き手が重要だったのかもしれない」と振り返り始めた。

「グラブ側が壁になって、結果的に腕が走るんです。引き手が使えてなかったら、下からなんて投げられませんからね。当時の僕はそこまで意識できるレベルではありませんでした」

 そして一拍置いて、赤星はこう続けた。

「井端さん、もっと早く言ってくださいよ!」

 インタビュー現場は一瞬にして爆笑に包まれた。赤星にしてみれば半分冗談、半分本音だったに違いない。井端としても、プロで実績を挙げていくなかで自身の守備理論が洗練されていき、そのなかで赤星の難点に気づいたのかもしれない。時間が経ってみないとわからないこともあるのだ。

 赤星が高校時代に負った、いくら時間が経ってもふさがらなかった傷も、その後に新たな展開があった。3年春の甲子園、送球イップスの扉を開けた、忌まわしい悪送球。赤星は高校卒業後も「甲子園は自分のせいで負けた」と自分を責め続けていた。

 大府(愛知)の高校時代のチームメイトとは、年末に必ず集まり酒を酌み交わしている。毎年、決まって高校時代の思い出話に花が咲く。とくに秋の大事な公式戦で、代走で登場しながら牽制死した同級生がやり玉にあがる。

「何を考えてたんや、おまえは!」

 そう叱責するどの顔も、満面の笑顔に包まれている。もちろん、ネタとして定番化しているだけなのだが、赤星には気になることがあった。それは、赤星の甲子園での痛恨のエラーが一切触れられないことだった。赤星は内心「みんな気を遣って言わないのだろうな」と感じていた。

 ある年の集まりで、赤星は全員を前に切り出した。「みんな、俺の甲子園の時のこと言わへんよね」と。すると、同期たちはみな一様にキョトンとした表情を見せた。「いや、言わんようにしてるんちゃうで」。赤星は「そうなん?」と再度確認した。すると、当時のキャプテンが「そうやで」と言って、こう語り始めた。

「だってノリ(赤星)がおらんかったら、甲子園の話になんかならんやろ。夢の舞台に連れてってくれたのはお前なんやから。あそこでおまえがエラーしようが、そんなのたいしたことないとみんな思ってるんや」

 秋の公式戦で「牽制死事件」が起きた直後、起死回生の同点タイムリーを放ってチームを窮地から救ったのは赤星だった。赤星の走攻守にわたる奮闘がなければ、そもそも春のセンバツに大府は出場できず、「牽制死事件」も笑い話にはできなかった。そんなチームメイトたちの言葉を聞いて、赤星のなかで何か凝り固まったものが溶けていくような実感があった。

「『赤星がいなきゃ甲子園に行けなかった』と言ってもらえて、自分のなかですごく救われる思いがしたんです。そう思ってくれるやつらのためにも、自分しか野球を続けていないのだし、頑張らなきゃいけないと思えました」

 自分が失敗した事実は消えない。そして、失った感覚は戻らない。それでも、人間は前に進むことができる。赤星はこの体験から学んだ。

「イップスになった人は『メンタルを強くしよう』と考えるんです。でも、いくらプラス思考でいこうと思っても、プレーで負った大きな傷は絶対に消えません。メンタルを強くして消そうと思っても、根本的に無理なんです。人生の失敗として刻み込んで、そこからやっていくしかないんです」

 現役時代、「自分はイップスではない」と頑なに認めなかった身長170センチの小兵が、プロで成功した理由......それは常に失敗から学び、新たな道を模索してきたからにほかならない。赤星は最後にこう言ってインタビューを結んだ。

「『イップス』と思うか、『弱点』と思うか。弱点は直せるし、ほかのもので補えますから!」

(敬称略/つづく)