新時代を迎えた日本バスケットボール界を代表する『顔』Bリーグが誕生し、開幕カードが決定してから、様々なメディアが取り上げる映像、記事、報道の中に、これほど多く登場した選手はいないだろう。街を歩けば、開幕戦を告げるポスターの中にひときわ大きく…
新時代を迎えた日本バスケットボール界を代表する『顔』
Bリーグが誕生し、開幕カードが決定してから、様々なメディアが取り上げる映像、記事、報道の中に、これほど多く登場した選手はいないだろう。街を歩けば、開幕戦を告げるポスターの中にひときわ大きくその姿がある。今や知名度も急上昇。田中大貴は新時代を迎えた日本バスケットボール界を代表する『顔』となった。
もともと極度の人見知り。初めて会った人と話すのは大の苦手だ。故郷の長崎を離れ、東海大学に進んだ頃もコートで見せる豪快なプレーとは裏腹に、試合後のインタビューに答える言葉はいつも数少なかった。しかし、経験や学びから得た自信は人を変える。「今でもインタビューに答えるのは苦手ですよ」と本人は苦笑するが、いやいや、数年前とは大違い。理路整然と自分の考えを述べる田中の姿は実に堂々としていている。
「自分がどう変わったかは正直それほど分らないんですが、例えばプレーなら昔の映像を見ることで成長した自分を感じることはできます。コートの外ではいろんな場所でたくさんの方と接する機会を持てたことで、慣れ……と言ったら何ですが、徐々に自分を出していけるようになったかなとは思います。でも、それが『自信がついた』と言えるかどうかは……うーん、ちょっとわかりませんね(笑)。ただバスケットに関して言えば、自分には一つだけ自信を持っていることがあって、『真摯にバスケットと向き合う姿勢』だけは誰にも負けないと思っています。自分がどう変わったのかはよく分かりませんが、逆に昔も今も変わらないものとして、それだけは言えるかもしれません」
小学2年生の時に仲の良かった年上の友だちに誘われて始めたバスケットは思いのほか楽しく、中学でも迷わずバスケット部に入った。県立長崎西高校に進学したのは中学時代の恩師と長崎西高の埴生浩二監督が旧知の仲だったこともあるが、「その頃の自分は他の強豪高校から声がかかるほどの選手じゃなかったですから。全然そんなレベルじゃなくて、県外に出ることなんて考えてもみませんでした」
だが、その長崎西高校で田中は10cm伸びた身長と比例するかのように著しい成長を見せる。2年、3年で出場した全国大会での上位進出は叶わなかったが、しなやかなプレーで内外に得点を重ねる田中の存在は次第に周囲の注目を集めるようになる。
「高校に入った時から埴生先生に『将来は日の丸を付ける選手を目指せ』と言われました。だから、自分も高校生の頃から必ず日本代表になるという気持ちがあったように思います」
進学した東海大では1年次からスターティングメンバーに抜擢され、チームのエースとして成長し続けながら、3年次には初の日本代表入りを果たした。「将来は日の丸を付ける選手を目指せ」と言った埴生監督は早くから田中の持つバスケット選手としての資質を見抜いていたに違いないが、まだ無名だった16歳の少年はその一言を疑うことなく自分の目標とした。
「高いポテンシャルとバスケットセンスは誰もが認めるところですが、大貴が何より優れている点は『現状を変えていこう』という強い意志を持っていること。もっともっと高い場所を目指し、そのための努力は怠らない。それが彼の最大の武器であると私は思っています」
そう語ったのは東海大の恩師、陸川章監督だ。その言葉の向こうに浮かんだのは大学時代の田中大貴、本人の言に違わず誰より『真摯にバスケットと向き合う』姿だった。
何かに突出しているより、すべてに突出している選手に
しかし、努力と結果は必ずしもイコールではない。レギュラーシーズン1位で臨んだプレーオフでまさかのセミファイナル敗退となったNBL、出場したいと強く願いながら最後の選に漏れたOQT(オリンピック最終予選)代表。この半年で2度味わった無念さを田中はどう受け止めたのだろう。
「ショックでなかったと言えば嘘になります。特にOQTは自分が本当に立ちたかった舞台なので、それが叶わなかったことは悔しいというより情けない気持ちが強かったです。選ばれなかった自分の力不足が情けないし恥ずかしいと思いました。でも、そこで下を向いていたら前には進めないわけで、切り替えて次を考えようと……」
7月のアメリカ行きを決めたことも、田中が考えた『次』だったのかもしれない。ラスベガスで1週間、NBA選手のトレーニングも手掛けるコーチについてワークアウトに汗を流した。
「とても良い経験ができました。やっぱり日本にいるだけじゃ分からないことがたくさんあるんだと実感しました。できればもっとアメリカにいたかったし、これからは行くチャンスを自分で作らなくちゃと思っています」
大きな刺激を受けたアメリカでの1週間。これから自分はどこを目指すのか、どんな選手になりたいのか。
「今、一言で言えばもっと圧倒的なインパクトを与える選手になりたいです。自分が状況判断の良い選手だと評価してもらっていることは知っています。次の世代の代表として期待されていることも知っています。ただ、最近はプレーがまとまり過ぎているとか、もっと我を出した方がいいとか言われることもあって、それは課題かなとも思うんですが、正直、自分は何か一つのプレーに特化するという考えはあまり好きじゃないんです。欲を言えばシュートもディフェンスもアシストもすべてのスキルで一番になりたい。何かに突出しているというよりすべてに突出している選手になりたいんです。口で言うのは簡単ですが、そうなるためにはものすごい努力が必要なことは分かっています。でも、それが自分の目指す選手像であるならば努力するしかありません。今シーズン決めているのは得点にこだわること。果敢に攻めて、見る人をオオッと言わせたいと思っています」
30点取ることに『すごさ』を感じるなら、30点を取りたい
田中が目指すインパクトのあるプレー。最初の「オオッ」を見せる場所は間違いなく開幕戦のコートの上だ。
「これだけ宣伝してもらい、これだけ注目されている舞台に立てるのですから、自分たちがやらなきゃいけないことは決まっています。もう何度も言ってきましたが、開幕戦を戦う自分たちには勝敗を超えて、見る人に『バスケットはこんなに面白いスポーツなんだ』と知ってもらう役割がある。そういう責任があると思っています。その意味でも、もし初めてバスケットを見る人が30点取ることに『すごさ』を感じるなら、自分は30点取りに行きたい。単純に誰が見てもすごいと思うようなプレーを意識して戦うつもりです」
Bリーグはこれからの日本バスケット界を変えていくものであり、そのBリーグの成功は自分たちが戦う開幕戦にあると信じている。
「やりますよ。全力を尽くします」
田中の最後の一言に膨らむ期待を感じながら、そうしている間にもカウントダウンは始まっている。さあ、Bリーグの幕が上がる!