63歳になるパウロ・アウトゥリオは、監督としてさまざまなキャリアを築いてきた。そのなかには日本での経験も含まれる。いっ…

 63歳になるパウロ・アウトゥリオは、監督としてさまざまなキャリアを築いてきた。そのなかには日本での経験も含まれる。いったんは監督業から距離を置く決意をしたが、今回、再びボタフォゴの監督に就任した。そんなアウトゥリオに話を聞くことができた。



ボタフォゴでのプレーに意欲を見せる本田圭佑 photo by AFLO

「『本田圭佑がいるから、私がボタフォゴからのオファーを受けた』というのは、あまり正しくない見方だ。もちろん、彼の存在はプラス材料ではあった。しかし、私がここに戻ってきたのは、かつて自分が勝利に導いたこともあるボタフォゴを、自分の原点のように感じるからだ。本田とは関係ない。

 それでも、チーム幹部が本田を獲得したことはまさにグッド・ジョッブだった。天才的なアイデアだったと思う。本田は経験もあり、過去に多くの逸話も持ち、親しみやすく、なにより根性がある。プロとして歩み始めたばかりの若いチームメイトには、最高のお手本になるだろう。私は敵チームの監督として彼と対戦したことはあるが、ともに仕事をしたことはない。だが、いつでも彼にはいい印象を抱いてきた。本田は日本サッカー界の中でも抜きん出た存在だった。

 私が鹿島アントラーズの監督をしていた時、彼が所属していた名古屋グランパスと対戦した忘れられない試合がある。非常に難しい試合で、たしかイエローが11枚も出されたのではなかったろうか。勝ったのはアントラーズだったが、勝利にたどり着くまで、かなり苦しめられた記憶がある。

 私が日本に行った時、ジーコのすばらしい仕事のおかげで、鹿島はとてもいいベースができあがっていた。プレシーズンのトレーニングには、契約したばかりのまだ17歳の高校生も参加していた。私はこの少年の練習を3回見て、「よし、君はこれから私のもとでプレーするんだ」と言った。

 周りのスタッフは慌てて私を止めようとした。日本ではこんなに若い選手がトップチームでプレーする例があまりなかったからだ。しかし私は自分の考えを曲げず、この少年をプロの舞台で使うことにした。その若きSBの名前は内田篤人といった。その後、彼は日本を背負って立つ選手に成長した。

 日本人選手のメンタリティーを、私は多少なりとも理解しているつもりだ。私のこの知識を駆使して本田をアシストし、彼が今後ぶつかると予想される問題を、できるだけ回避できたらと思う。彼にいらない心配はさせないようにしたい。

 我々は本田が彼らしいプレーをできることを願っている。彼はサッカーが何であるかを知っている。

 内田と同様、本田も高校サッカー出身の選手だ。私が対戦した時の本田は、まだプロ2年目でとても若かった。しかし、そのボールタッチはとても洗練されていて、彼がその後、日本代表のエースになっても、私は驚かなかった。

 本田が模範的なプロフェッショナルであることは、ここ数日の彼を見ただけでも、よくわかる。トレーニングにおける彼の質の高い振る舞いには、チームの皆が驚かされているほどだ。

 唯一、本田に必要なものはポルトガル語だ。私は日本語を解さない。彼が言葉を習得するためには我々はできるだけのことをするつもりで、きっと彼はこの言葉の問題もクリアしてくれるだろう。

 もちろん、ピッチでのレギュラーのポジションも勝ちとらなければならない。その点では、私は本田を特別扱いはしないつもりだ。11人に入るには、彼は必死で走らなければならない。そしてもし彼がその座を勝ち得た時、はじめて誰もが勝者となる。クラブも、チームも、本田も、そしてサポーターも。

 本田がブラジルのサッカーと日本サッカーの歴史に新たな1ページを書くことを、私は全力でサポートしたい。そのページは勝利とゴールと歓喜で埋められたものになることを願っている」

 現在、さまざまな困難を抱えているボタフォゴ。だがサポーターは、ボタフォゴが最後にブラジルチャンピオンに輝いた時の監督であるアウトゥオリにいい印象を持っており、彼がチームを変えてくれると信じている。

 もちろん、アウトゥオリのボタフォゴが復活できるかどうかは誰にもわからない。だが、少なくとも本田の加入とともに、変化を期待できる材料はそろったことになる。