かつて喜怒哀楽のすべてを刻んだピッチに、苦楽をともにした先輩たちがいる。キックオフ直前には、ウォーミングアップのためにロ…
かつて喜怒哀楽のすべてを刻んだピッチに、苦楽をともにした先輩たちがいる。キックオフ直前には、ウォーミングアップのためにロッカールームから姿を現しただけで拍手と歓声を浴びた。
湘南ベルマーレを旅立ってから2年目。敵として初めてShonan BMWスタジアム平塚に乗り込んだアビスパ福岡のDF亀川諒史は、時間の経過とともに摩訶不思議な感覚を抱いていた。
「一緒にやってきた選手が本当に数多くいたので、何か紅白戦をしているような気持ちが自分のなかにわいてきていました」
亀川諒史 参考画像 (c) Getty Images
■古巣・湘南ベルマーレとの試合
約3分の2を終えたセカンドステージの順位は、アビスパの17位に対してベルマーレは最下位の18位。年間総合順位はその逆。アビスパが5連敗ならば、ベルマーレは泥沼の9連敗にあえいでいた。
図らずも“裏天王山”として注目された9月17日の直接対決は、開始34秒にいきなり動く。ペナルティーエリア内の右に攻め込んだアビスパのMF三門雄大が上げたクロスが、MF下田北斗の左手に当たった。
すかさず鳴り響く佐藤隆治主審のホイッスル。FW金森健志がゴール左隅にPKを決めて先制する。迎えた15分。ベルマーレベンチの目の前で、アビスパで成長した跡を亀川が見せつけた。
MFダニルソンから左タッチライン際でパスを受ける。ベルマーレのキャプテン、FW高山薫がプレッシャーをかけようと、猛然とスプリントをかけてくる。それでも、亀川は冷静沈着だった。
「ベルマーレの選手は、球際に激しく来るのがわかっていたので。食いつかせてかわせれば、一気に置いていけるという分析が自分のなかにありました。イメージ通りにできたと思います」
ボールごと刈り取ろうとスライディングタックルを仕掛けてきた高山を、ぎりぎりまで引きつける。次の瞬間、亀川は右足でボールを引っかけるようにしてかわし、右足を高山と接触させながらも前へ抜け出す。
ボールを支配下に収めながら、対面の右ワイド・藤田征也との間合いを詰める。数的優位な状況を作り出そうと、ボランチ・石川俊輝も迫ってくる。このとき、亀川はゴールの匂いを嗅ぎ取っていた。
「僕のところにふたりが取りに来ようとしていたので、その間にうまくパスを出せれば。そうすれば、(平井)将生さんがターンできるスペースが見えていたので」
亀川諒史 参考画像 (c) Getty Images
■どれだけ成長したのかは自分ではなかなかわからない
右足のアウトサイドで出されたパスが、計算通りに藤田と石川の間を抜けていく。フリーの状態でトラップしたFW平井が時計回りにターン。ペナルティーエリアの外側から、迷うことなく右足を振り抜く。
距離にして約20メートル。美しい弧を描いた弾道は、懸命にダイブしたGKタンドウ・ベラピの右手を弾き、ゴールの右隅へ吸い込まれる。笑顔を弾けさせながら、亀川は平井のもとへ駆け寄っていった。
「どれだけ成長したのか、というのは自分ではなかなかわからないですけど…ああいうプレーは福岡に来てずっと続けてきましたし、古巣との試合でアシストという結果を出せたのはすごくよかったと思います。(藤田)征也君の特徴も自分のなかではわかっていたつもりなので、うまく対応できました。
これまでも先制しても追いつかれる、あるいは逆転されるという状況が多かったので、あの2点目はチームにとってもすごく大きかった。後半になっても、いままでのような状況を変えよう、これでやられたらこれまで繰り返してきたことと一緒だ、という思いがみんなのなかにありました」
9試合ぶりの白星をグイッと引き寄せるアシストをマークした場面。亀川が存在感を見せつけたタッチライン際のテクニカルエリアでは、ベルマーレの曹貴裁監督が腕組みをしながら戦況を見つめていた。
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■サポーターに湘南ベルマーレの曹監督が反論
山梨・帝京第三高校から加入した2012シーズン。年代別の代表どころか全国大会にも無縁だった亀川を、文字通り体を張って守りながら急成長させたのが、そのシーズンから指揮を執る曹監督だった。
たとえば2013年4月10日。ジュビロ磐田とのヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)のグループリーグで苦杯をなめた直後。サポーターから浴びせられた言葉に、曹監督は思わず応戦している。
「亀川ってやる気があるんですか?」
この試合で亀川は左ワイドで先発フル出場している。対面の右ワイドでマッチアップしたのはワールドカップに二度出場している百戦錬磨のベテランで、いま現在はチームメートの駒野友一だった。
駒野がかけてくるプレッシャーの前に守備で忙殺され、ほとんどオーバーラップを仕掛けられなかった90分間。J1の舞台で結果を出せていなかったこともあり、サポーターも不満を募らせていたのだろう。
その怒りの矛先が亀川に向けられた。その場は何とか収まったが、サポーターから呼び出された曹監督はチームバスが横づけされているエリアまで出向き、亀川をやり玉にあげる声に真っ向から反論している。
「対面が日本代表選手という状況で、まだ19歳の選手にやる気を出してほしいって、何をやらせればいいんですか。今日のアイツは守備で精いっぱいだったかもしれないけど、その上で攻撃までできたら日本代表に入れるじゃないですか。僕に対して『なぜあの位置で亀川を使うのか』と怒りをぶつけ、批判するのはいいけれども、亀川に対して怒りをぶつけるのは話が違う。アイツは一生懸命やっています」
亀川諒史 参考画像 (c) Getty Images
Jリーグ新記録となる開幕9連勝を飾った、2014年4月26日の横浜FC戦後の公式会見。左ではなく右ワイドで先発させた亀川を前半限りでベンチへ下げたさい配について、曹監督は自ら言及してもいる。
「ちょっとしたアクシデントで、亀川に慣れないポジションをやらせたことは全面的に僕の責任だと思っている。アイツを責める気はないけど、だからといってもうダメという話でもない。今日の経験を僕も生かすし、アイツにも前向きにとらえてほしい」
この試合でベルマーレは精彩を欠く亀川の背後を突かれ、9試合目にして初めて先制されていた。指揮官の言葉を伝え聞いた亀川は、いまにも泣きそうな表情を浮かべながら捲土重来を期している。
「左でも右でもできる、というのが自分のストロングポイントなのに。監督に責任はありません。監督に信頼されて送り出された以上は、ピッチでプレーするのは選手。ハーフタイムには特に何も言われていませんけど、交代の理由はわかっています。ここで気持ちが落ちてしまったらシーズンは終わりになってしまうので、切り替えて練習からまたアピールしていきたい」
■アビスパ福岡からオファーをもらう
2014シーズンのベルマーレは、最終的に101もの勝ち点を獲得。J2戦線を席巻した独走劇で1シーズンでのJ1復帰を決めたチームのなかで、亀川の胸中には悔しさと無念さが渦巻いていた。
そこへ届いた、アビスパからの期限付き移籍のオファー。元日本代表キャプテンの井原正巳新監督のもと、再びJ2での戦いに身を投じることに不思議と迷いはなかった。
「ベルマーレがJ1昇格を決めたなかで、僕自身はなかなかチームに絡めなかった。実際に半分ほどしか試合に出られなかったこともあり、チームに貢献したうえで、もう一度J1昇格を味わいたいと思いました」
アビスパでは4バックの左サイドバック、3バックでは左ワイドを主戦場としてリーグ戦で38試合に出場。チームの3位躍進に貢献し、J1昇格プレーオフを勝ち抜いた直後に、亀川の心境に変化が生じる。
期限付き移籍を完全移籍に切り替えたい、というオファーをアビスパからはもらった。1年間におよんだ武者修行の成果を高く評価するベルマーレからは、当然のように復帰を要請された。
アビスパで感じた充実感は、4シーズン目を迎えたプロ生活で初めて味わうものだった。その一方で、プロへの扉を開けてくれたベルマーレへの感謝の思いも募る。熟慮を重ねた亀川は、前者を選択する。
「昨シーズンはほぼ全試合に出させてもらって、昇格に貢献できたという思いが自分のなかにありました。アビスパのサポーターの皆さんからは、本当に必要とされているんだ、という熱い気持ちも伝わってきました。そのなかで、このチームでもう一度、今度はJ1を戦いたいという気持ちになったんです」
迎えた今シーズン。リオデジャネイロ五輪に臨む手倉森ジャパンに招集され、チームを留守にした6試合と出場停止だった1試合を除いて、亀川は22試合に先発。すべてでフル出場を果たしてきた過程で、アグレッシブな守備とハードワークを駆使した攻撃参加に磨きをかけてきた。
リオデジャネイロ五輪、スウェーデン戦の亀川諒史 参考画像 (c) Getty Images
ブラジルの地でも、唯一の勝利をあげたスウェーデン代表とのグループリーグ最終戦で先発フル出場。さらに自信を膨らませ、思い出深い“敵地”に初めて乗り込む9月17日を心待ちにしてきた。
「今年はオリンピックを戦いましたけど、ベルマーレでプロ生活をスタートさせていなかったら、おそらくあの舞台には立てなかった。ベルマーレでの3年間は活躍している姿をあまり見せられなかったので、違うユニフォームでしたけど、今日はプレーを通していろいろな方々への感謝の気持ちと、少しでも成長したんだよという証を見せられればと思って来ました」
試合はアビスパが前半の2ゴールを守り、雨が降る夜空へ勝ちどきをとどろかせた。依然としてJ2への降格圏に甘んじているが、年間総合順位でも最下位から脱出。わずかながら奇跡への望みを紡いだ。
「今日負けてしまえば正直、どん底というか、ほとんど(残留への)可能性がなくなる状況だったので。まだまだ可能性があるんだぞ、ということを示すためにも絶対に勝ち点3が必要でした」
試合後にシャワーを浴び終えた亀川は、ベルマーレのロッカールームへと向かっている。曹監督やかつてのチームメートたちに挨拶するはずだったが、目的を果たせずに戻ってきた。
セカンドステージに続いて、年間総合順位でも最下位に転落。泥沼の連敗がついに二桁に達してしまったベルマーレを支配していた雰囲気は、とてもじゃないが相手チームの選手が近づけるそれではなかった。
「お互いにチーム状態が悪いなかですけど、僕自身はこのピッチで勝てたことで、本当にいろいろな思いが込みあげてきました。素直に勝利を喜びたいと思います」
アビスパへの完全移籍を決めた亀川は、ふたつの誓いを立てている。アビスパの所属選手として五輪の舞台に立つことと、チームをJ1に残留させること。センチメンタルな思いを封印して未来へと向けられた視線から、不退転の覚悟が伝わってきた。最後の最後まで絶対にあきらめない、と。

亀川諒史 参考画像(2016年8月10日)(c) Getty Images

亀川諒史 参考画像(2016年7月30日)(c) Getty Images

亀川諒史 参考画像(2016年3月28日)(c) Getty Images

亀川諒史 参考画像(2016年5月11日)(c) Getty Images