日本人は“限定”という言葉に弱いと言われる。今回取り上げるのは、新旧ミニの限定車のカタログで、その策略に素直に(見事に!?)ハマった筆者の話を交えつつお届けする。◆セブン/パークレーン/チェックメイト2002年3月2日(日本語で“ミニ”の日…

日本人は“限定”という言葉に弱いと言われる。今回取り上げるのは、新旧ミニの限定車のカタログで、その策略に素直に(見事に!?)ハマった筆者の話を交えつつお届けする。

◆セブン/パークレーン/チェックメイト

2002年3月2日(日本語で“ミニ”の日)に登場したR50。BMWにより“Mini”から“MINI”へと新たにブランディングされた新生ミニは、ミニのキャラクターを生かしたプレミアムコンパクトとして人気を博した。

その『ミニ』の限定車として設定されたのが、写真のカタログの「セブン/パークレーン/チェックメイト」。クラシックミニに設定のあった仕様名でもあるが、3車同時にそれぞれの異なる個性を打ち出しての登場だった。そしてカタログも実に楽しげな仕立てで、写真のように、ガレージのシャッターを“めくる”と、中からミニが現れる……という仕掛け。

何を隠そう、仕事でこのカタログを資料に原稿を書いているうち、この仕掛けにヤラれ、当時の筆者は、3車のうちの「パークレーン」を買ってしまったのだった。ロイヤルグレーのボディ色とシルバールーフの組み合わせ、パイピングの施されたレザーシートは、カラフルな『ミニ』とはまた別の落ち着いた味わいで、筆者のような(!?)モノやコトにこだわりを持つそんなユーザーの心を射止めたクルマだった。


◆35周年記念車ほか

最初のADO15から40年以上の長寿を誇ったクラシック・ミニ。時代ごとにさまざまな仕様、派生車種も登場した。とはいえ本流の『ミニ』は日本では最後まで(今でも)高人気で、“延命”が叶ったのもそのためと言われたほど。そして現役時代、とくにローバージャパン時代にはたびたび特別仕様車がリリースされた。

「35クラシック」「ミニ・クーパー35thアニバーサリー」はその中のモデルで、とくに“クラシック”は、チャコールグレイの専用ボディ色と本革シートを組み合わせた渋めの1台。何を隠そう……の前置きで書かせていただくと、実は筆者も気に入って乗っていた1台で、R50同様、筆者は新旧ミニの両方で、濃いグレーのボディ色+本革シートのミニの限定車に縁があった……という訳だ。

クーパーの限定車のほうは、アーモンドグリーン(もう1色は赤)とポーシェレイン・グリーンの本革シートで、こちらもマニアの心を鷲掴みにする仕様。また1997年に600台限定で登場した「スポーツパック・リミテッド」は、大胆なワイドスパッツに13インチタイヤを履き、ボディ色には当時発売されていたMG Fのブリティッシュ・レーシング・グリーンのほか、ボルケイノオレンジ、アマランス(紫)を設定。エンジンは1.3リットル。スポーツサスペンション、4連式フロントフォグランプも専用だった。

もう1台、「タータン」は、その名のとおりスコットランド伝統のタータンチェックをシートやドアトリムにあしらった限定車インパネのウッドパネルも特別に装備し、イギリス車らしさをアピールしていた。


◆クラシック・ミニ時代のバリエーション

R50のカタログでご紹介した「パークレーン」は、もともとクラシック・ミニ時代にも限定車としてリリースされていた。コーヒー/ベージュ/ブラックのシートや、PARK LANEのロゴマークが特徴。このカタログはオースチン・ローバージャパン時代の2つ折りのもの。

もう1台が「メイフェア」で、クラシック・ミニ時代の上級モデルでもあった。ベロア地のシートなどが特徴。実はメイフェアには家族が乗っていたことがあり、我が家ではこれまで新旧併せて3台の『ミニ』に乗っていたことになる。

MINI パークレーン《撮影 島崎七生人》

MINI パークレーン《撮影 島崎七生人》

MINI パークレーン《撮影 島崎七生人》

MINI パークレーン《撮影 島崎七生人》

MINI 3種の限定車《撮影 島崎七生人》

MINI 3種の限定車《撮影 島崎七生人》

クラシックmini《撮影 島崎七生人》

クラシックmini《撮影 島崎七生人》

クラシックmini《撮影 島崎七生人》

クラシックmini《撮影 島崎七生人》

クラシックmini《撮影 島崎七生人》

クラシックmini《撮影 島崎七生人》

クラシックmini タータン《撮影 島崎七生人》

クラシックmini タータン《撮影 島崎七生人》

クラシックmini パークレーン《撮影 島崎七生人》

クラシックmini パークレーン《撮影 島崎七生人》

クラシックmini メイフェア《撮影 島崎七生人》

クラシックmini メイフェア《撮影 島崎七生人》