13年のスケート人生。


観客に挨拶をし、スタート位置につく川島

―どのようなラストイヤーでしたか。
やっと終わったなっていう感じ。長かったから安心というか。バレンタインカップはエキシビションなので、大きい試合はこの前の国体で終わって。でもやっと終わったなって思うけど実感はないというか。

―スケート中心の生活がなくなってしまう寂しさはまだ感じていないですか。
バレンタインカップあるしと思って2月の後半まではスケートの練習入れていて、まだスケートしている生活が終わってないからあんまり寂しさを感じていない。

―スケートが無くなったらかなり生活が変わりますね。
すごい変わると思う。全然まだ想像出来なくて。今まで遊べなかった分すごい予定を詰めたから、それで忙しくしている間に入社になって。入社してちょっと仕事が落ち着いた頃にきっと「あ、スケートやりたいな」って思いそうだなって。

―社会人でスケートを再開することないのでしょうか。
趣味で滑るっていうのしか出来ないと思う。

―「大学でもスケートを続けることに迷いはなかったけど大学1・2年生の時は普通の大学生の生活(バイトや旅行)が羨ましくて何で続けちゃったんだろうと思った」とおっしゃっていましたね。やっぱりここまで長くスケートを続けるためにはいろんなものを我慢してきたと思うのですが、どんなことを我慢してきましたか。
大学に入ってからで言えば、普通の大学生の生活は出来なくて。やっぱり夜は練習があるから、みんなハタチになって飲みに行ったり、夜に遊びに行くっていうのは出来なかったかな。あとは旅行には行けなかった。行けても1泊2日で。朝練してから行って、帰ってきてから夜練行くっていう。

―上手くいかない時期や結果が付いてこない時期もあったと思いますが、それでもスケートを続けられたのはやっぱりスケートが好きだからでしょうか。
うん、たぶん、根底には好きっていうのはあると思う。でも決断力が無いからスパッとやめることも出来ない。せっかくやってきたのにっていうのは違うかもしれないけど、辛い時に辞めるのは逃げみたいな気がして嫌で、でも良い時って辞めようってならないし。自分がどん底の時は辞めたいって思うけど本心では辞めたくはなくて。もし辞めちゃったらこれから先の人生で後悔しそうだったから。今は続けてよかったと思うかな。

―辛い時期に支えとなったものは何ですか。
1番はお母さんかな。支えでもありプレッシャーでもあり。すごい厳しかったから。私の親は「中途半端なことをしているなら辞めろ」みたいな。しょっちゅう「やらせてください」って泣いてた。なんか怒られて辞めるのは嫌だから。厳しかったからこそ上手くなったっていうのもある。支えになったかはわからないけど1番近くにいてくれた。
高校の時は、新体操をやっていた子とすごく仲良くて、話も合うし、お互い「インターハイあるから頑張ろうね」みたいな。休み時間にその子の練習に付き添ったりとか、毎日体重を申告し合ったりとか。

―長いスケート人生の中で「やっておけばよかったな」と思うことはありますか。
あんまりない。なんだかんだ節目節目で自分の中で満足する結果も出してこれたし、大きい怪我とかもそんなにしなかったし。悔いはないかな。

ラストダンスは思い出の曲で。


ポーズを決める川島

―「中学生の時に出場した全中がきっかけで踊る楽しさを知った」とおっしゃっていましたね。その楽しさを知ってから川島さんのスケートにどのような変化がありましたか。
元々、人に道を聞くのも出来ないような人見知りというか。ごはん食べに行って「ほら、店員さんに言ってごらん」って言われても声掛けられないみたいな。スケートを始めたときもあんまり笑うことが出来なくて表現力ゼロに等しかった。本当に酷くて。中学3年生で踊る楽しさを知ってからは顔の表情を付けるとか。全中に出るってなった時は、先生との個人レッスンがジャンプばっかりだったのが、振り付けもちゃんと見るようになって、そこから自分で表情を付けるようになって。

ープログラムの曲名はなんですか。
ショートが「彼方の光」という曲で、フリーが「ふたりでスローダンスを」という曲です。

ープログラムにはどのような思いが込められているんですか。
引退の年で先生もその曲を選ぶのもすごい考えてくれて。ショートの曲は、小6のときにエキシビションで滑った曲。自分が好きで滑った曲で、当時は全然踊らない子だったからすごい挑戦だった。私の今教わっている先生は最後の曲選びはすごい大切にしてくれる先生だから、何個か候補あるうちに「やっぱり思い出のある曲の方がいいんじゃない?」ってなってその曲になりました。その好きな曲がボーカル入りもOKなルールになったから、せっかくだからそれ使ったらって言ってこの曲になって。
大学から埼玉で練習し始めて、高校は栃木の先生に教えてもらっていて。今教わっている埼玉の先生が栃木の先生との間柄もすごい大切にしてくれていて。フリーの曲は栃木で習っていた時の先生が引退の時に使っていた曲なんですよ。有名で結構フィギュアで使われる曲なんですけどCDがもう世の中になくて、先生が探し回ってやっとあって。オーストラリアかどっかから取り寄せて取りに行ったらまさかのレコードだった。そのレコードをCDに直してくれる業者に頼んで作ってくれた音源で。だからなんかすごい思い入れがあって、普段でも聞いていても結構込み上げてくる感じの曲です。
曲選びは先生が滑っていた曲を使おうってなって。ステップはサークルとかがわざわざ入っているんですよ。ステップそんなに時間ないのにサークル2個わざわざ描いてて。サークル2個、ダブルスリーやってって。なんか引退生のプログラムでやってみたかったらしくて。「ここから始まったんだよ」みたいな。私の表現力的にまだ全然伝わってないかもしれないけど。

―最後の舞台であるバレンタインカップ、どんな姿で終えたいですか。
インカレも国体もショート落ちでフリーを滑れなかったから、バレンタインカップのエキシビはフリーの曲でやるんだけど、先生がちょっと内容変えて。ステップをサークル、サークル、バックサークル、バックサークル、スリージャンプ、スタンドスピンみたいな。本当に「ここから始まりました」みたいな要素を入れる。でも前半は、トリプル2発とダブルアクセルを入ってるから。たぶん6分間練習とかヘラヘラしてる暇ないと思う。国体がもう少し良ければまた違ったんだろうけど。最後まで気を抜かずにやりたいです。

楽しむ気持ちを大切に。

ー後輩に向けてメッセージを残すとしたら。
初心者で始めてる子が多いからもっと部活に出て教えてあげたりしたかったんでけど、その子たちは私よりもスケート楽しいって気持ちがあると思うから。私も好きだけど、ずっと続けてると「はあ…」みたいなところあるじゃん。きっと私よりも純粋に楽しくっていう気持ちがまだいっぱい残っているだろうから、楽しんでやって欲しいなって。

私にとってスケートは、「嫌いになれない好きなこと」。


ビールマンスピンをする川島

ー川島さんにとってスケートとは何ですか。
ええ、なんだろう…。めちゃくちゃ生活の一部っていうか、スケートで生活が回ってたからな…。嫌いになれない好きなこと。スケートをしていく中で、嬉しいこととか楽しいこととがあるからもちろん悔いはないし、やってよかったなって気持ちしかないけど、でも全部を見たら日々練習をし、泣いて、結果も出なくて、みたいな。楽しいこととの割合で言ったら苦しいことの方が多いから。苦しいことの方が多いけど、続けてこられたのは好きだからかな。
あとは自分の1つのアイデンティティーでもあった。全然全日本選手権に出られるようなレベルでもなかったけど、1つ自分が自信持てる部分。特に大学に入ってからは、一生懸命何かをやってる子とか留学してる子とかがいる中で、「でも私はスケートをやっている」っていう1つ頑張ってることがあるっていうのは自信に繋がったかな。

(2月11日 取材・編集 大上文)