中部電力カーリング部
松村千秋インタビュー(前編)

中部電力が連覇を狙う日本選手権が佳境を迎えている。若きチームのまとめ役を果たすのは、この春で入社10年目を迎えるサードの松村千秋。”カーリング一家”に育った彼女の、カーリングへの思いについて話を聞いた--。

--松村選手は、まさしく”カーリング一家”の生まれ。父・保さんと母・なぎささんはいまだ現役で、2月末から始まるミックスダブルス日本選手権に出場します。姉の綾音さんも、かつてユニバーシアード日本代表を経験。兄の雄太さんは、男子の日本代表である北海道コンサドーレ札幌のスキップとして活躍中。弟の勇人さんも、長野県CA(Ignites長野)のスキップとして奮闘しています。そうなると、小さい頃からカーリングに親しんできたのでしょうね。

「そうですね。父と母の練習について行って、一緒に氷に乗って石を投げたり……というのは、小さい頃から経験していたと思います。物心ついた時にはそういう状態だったので、(カーリングを始めた)正確な時期は覚えていません。氷に乗って楽しかった、という記憶だけがある感じです」

--1998年長野五輪の時、松村選手は5歳。それをご覧になって、カーリングを本格的に始めた、ということはないですか。

「申し訳ないですが、長野五輪のことはまったく(覚えていない)です。競技として本格的に始めたのは、10歳の時です」

--10歳の子どもにとっては、カーリングのルールや戦術は少し難解なような気もしますが、その頃からカーリングは楽しかったですか。

「楽しかった、というのは間違いないです。じゃあ『何が楽しかった?』と聞かれると、よくわからないんですよね。ほんと、何なんだろう……。以前、それについて、えみずさん(フィフス兼マネジャーの清水絵美。彼女も兄弟が現役で活躍する”カーリング一家”)とも話したことがあるんですけどね……。

 とにかく当時は、家族がみんなやっていて、それぞれが大きな大会に出場していたので、『私も同じようにやればできるのかな』と勝手に思っていましたね。試合と大会は、ずっと楽しかったです」

--ジュニア時代の大会における戦績はいかがでしたか。

「ジュニア時代は優勝経験とか、まったくないんですよね。ひとつ上の学年が、藤澤五月選手(ロコ・ソラーレ)や吉村紗也香選手(北海道銀行フォルティウス)、石垣真央選手(富士急)ら北見出身の優れた選手がたくさんいる『黄金世代』で、軽井沢にも土屋海選手(チーム東京/サングリア)がいる御代田ジュニアという強いチームがあったので、(全国大会などで)勝つのは難しかったです。中学校3年生の時に一度、えみずさんと同じチーム(軽井沢中学)で日本ジュニア選手権(2007年)に出ているのですが、4位でした」

--土屋選手に関しては、『黄金世代』の選手たちからも「すごかった」という話をよく聞きます。今回、その土屋選手がいるチームがワイルドカードで日本選手権出場を果たしました。

「そうなんです。プレーしていなかった時期もあったと聞きましたが、アイスに戻って来てくれて、日本選手権でまた会えるのは、うれしいですね。今大会の楽しみが増えました」

--ジュニア時代はなかなか勝てなかったようですが、その頃、他のスポーツをやったりもしていたのでしょうか。

「小さい頃からバスケットボールが好きだったので、中学校、高校はバスケ部に所属していました。ちょうどその頃に背が伸びて、他のメンバーもそれほど背が高くなかったので、ほとんどのポジションを経験しました。でも、センターは相手選手とぶつかることが多いので、痛くて、嫌だったかも。最終的には、フォワードをやっていました」

--当時は、カーリングと並行してやっていたのですか。

「基本的には、バスケ9割という生活をしていました。カーリングは、母が(在籍チームの)コーチだったので、週に何日かシートを予約していて、部活の練習で疲れて帰ってきても、『行くよ!』と言われて……。正直(カーリングの練習に)行くのが嫌だった日もありました(苦笑)」

--学生時代は、なかなか勝てなかったカーリングよりも、むしろバスケットボールに夢中。それでも、2011年に中部電力に入社して、カーリング部に所属することになります。その経緯を教えてもらえますか。

「中部電力カーリング部ができたのが2009年で、その翌シーズンの日本選手権(2011年2月)では優勝しているんですよね。そうしたなか、チームではフィフスの選手を探していて、ちょうどそのタイミングで、私が高校卒業を迎えたんです。(チームには)えみずさんも所属していたし、(当時)コーチの長岡はと美さんも小さい頃から家族ぐるみで付き合いがあったし、同級生で地元でカーリングをしている人も少なかったので、ジュニア時代に結果を残していなくても、(フィフスとして自分を)スムーズに選んでもらえたのかな、という感じです」

--いい巡り合わせでもあったのでしょうが、中部電力は当時、2014年のソチ五輪出場を最大目標に掲げていました。10代最後の貴重な時間をカーリングに捧げることについて、迷いはありませんでしたか。

「もちろん、ありました。小さい頃に『ポテコ』という柴犬を飼っていたこともあって、ずっと犬好きで、将来はトリマーやドッグトレーナーになりたいと思っていたんです。だから、高校を卒業したら、高崎にある専門学校に進学しようと考えていたんです。

 でもそんな時、中部電力から声をかけてもらって。それから、いろいろな人の意見やアドバイスを聞いているうちに、少しずつ(中部電力で)挑戦してもいいかな、という気持ちになっていきました。とくに高校3年生の時の担任の先生から、女性で柔道部の顧問をしている黒帯の怖い先生だったんですけど、『好きなものを仕事にすると、イメージと違った時に苦しむこともあるよ』とアドバイスをもらって。それが決め手というか、そのことは今でも覚えています」

--迷った末の入部とはいえ、そこから本格的にソチ五輪出場を目指していくことになります。そこまでの道のりは、自分の中でしっかりと見えていましたか。

「今考えると、そこまで明確なものはありませんでした。ただ、私が入社する少し前までは、今のように強いチームがたくさんあるわけではなくて、(2006年トリノ五輪、2010年バンクーバー五輪の日本代表である)チーム青森に勝てば、オリンピックに出られるという状況だったこともあって、しっかり練習に取り組めば『チャンスはある』と思っていました。実際は、甘かったですけど……」

--少し嫌な質問かもしれませんが、2013年に行なわれたソチ五輪の国内トライアル(中部電力、北海道銀行、ロコ・ソラーレ、札幌国際大学の4チームによる代表決定戦)、そして2017年に行なわれた平昌五輪の国内トライアル(ロコ・ソラーレと中部電力による代表決定戦)と、両方に出場し、いずれも悔しい思いをしているのは、松村選手と清水マネジャーだけ。それぞれのトライアルについて、振り返っていただけますか。

「ソチ五輪のトライアルについては、私がチームに入って試合に出るようになって間もないこともあって、自分のプレーのことだけで精一杯でした。もちろん、負けてしまったことは悔しかったですけど、『もっとうまくなれる』という気持ちもあり、どこか不完全燃焼でした。

 そういう意味では、平昌五輪のトライアルのほうが、気持ち的にはしんどかったです。多くの人が(北見市)常呂まで応援に来てくれていたので、負けてしまったあとに、その応援席に挨拶に行ったのですが、もうその時点で泣いていましたから。ロッカールームに戻って、また泣いて……」

--平昌五輪のトライアルは、2017年9月に行なわれました。次の五輪のことを考えるとなると、4年後になります。そこで、心が折れるようなことはなかったですか。

「心の持ちようは、本当に難しかったですね。シーズンが始まったばかりで、五輪に出られないことが決まって……。次の五輪となると、4年どころか、5年近く先の話ですから……。けれど、そのためには、もちろん強化していかなくてはいけないし、サポートしてくれる会社のためにも『がんばろう』という気持ちはありました。年が明けて2月には、日本選手権もありますしね。

 ただ、トライアルが終わって1週間後にスイス遠征があったんですけど、あの時は正直、『この遠征って、何のためなんだろう』っていう疑問が、どうしても頭の中で浮かんだりして……。気持ちを切り替えるのには、結構時間がかかりました」



中部電力のサードを務める松村千秋

--その苦悩からわずか1年、昨年の日本選手権で中部電力は見事に全勝優勝を果たします。松村選手の中でも、うまく気持ちを切り替えることができた、ということでしょうか。

「自分の中では、『1年ずつがんばろう。そう思うしかないな』と整理をつけました。オリンピックはまた4年後になってしまいましたが、日本選手権とその先にある世界選手権は毎年あるし、そこで結果と経験を積み重ねていけば、またオリンピックが見えてくるかもしれないな、と。

 あとは、えみずさんが(2017-2018シーズンで)現役選手から退いたことは、チームにとっても、私にとっても、本当に大きな出来事でした。その後も、チームのサポートに徹してくれて、私は彼女に救われたのかもしれません」

(つづく)

松村千秋(まつむら・ちあき)
1992年10月26日、長野県出身。本人を含めて、家族6人全員がプレーヤーである”カーリング一家”で育つ。中部電力には、2011年に入社。藤澤五月(現ロコ・ソラーレ)らとともに日本選手権4連覇(2011年~2014年)を遂げるなど、チームの黄金期を支えた。現在は、最年長選手としてチームの精神的支柱となり、2019年日本選手権優勝にも絶大な貢献を果たした。趣味はカフェ巡り。「えみずさんと一緒に、軽井沢町内のカフェを攻めています」