鳴り物入りで早大に入学し、1年時には日本学生対校選手権(全日本インカレ)で4位に入るなどの活躍を見せた新迫志希(スポ4=広島・世羅)。2、3年時はけがもあり思うように走れない苦しい時期が続いたが、今年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)では、区間4位でシード権を確実にする走りを見せ、有終の美を飾った。そんな新迫は今、箱根や4年間の競技生活を振り返り、何を思うのか――。

※この取材は1月24日に行われたものです。

「今の自分の全力を出し切った」


昨年と同じ9区を区間4位で走破した

――箱根が終わってからはどのように過ごされていましたか

 人生でやったことがないようなことをやってます。髪の色染めたり、パーマかけたり、日々充実させています(笑)。

――帰省はされたのですか

 いや、してないですね。

――箱根の走りに対し、ご友人や恩師からメッセージなどはありましたか

 たくさんありましたね。よく走ったね、だったり、最後いいかたちで終われたね、という言葉をたくさんいただきました。

――箱根が終わって3週間ほど経ちましたが、今の体の状態はいかがですか

 今の方がいい気がしてますね。プレッシャーもありましたし、やっぱり結構準備して持っていくとどうしても調子がなかなか合わなかったので。それでもしっかり走れたのはよかったので、今は休みでまた上がっていくための期間にしてます。

――いま練習はされていますか

 しています、自分で一人で走っています。グランドには顔を出してないのですが、自宅の周りで走ってます。

――今後のレースのご予定はありますか

 特にはないですね。3月にまた社会人のチームに行って練習に合流するので、そこから試合が決まる感じですかね。

――箱根について伺います。集中練習の消化具合はいかがでしたか

 4年間で一番充実したものになっていました。しっかりやらなくてはいけないところはやって、抜いてもいいところは抜けたので、練習としてはかなりいいものだったと思います。

――9区を任されると決まったのはいつ頃でしたか

 (区間)エントリーの当日ですね。他の選手が入ってたんですけど、もう9区はお前で行くということは言われてました。

――その時の心境は

 また9区かと思ったくらいで、特に思うことはありませんでした。自分の力を最大限出せる区間だとは思っていたので、どこになっても準備はできていましたし、また9区かよ、くらいでしたね。

――チームの往路の走りはどのようにご覧になっていましたか

 3区が心配だったのはもちろんなんですけど、4区の千明(龍之佑・スポ2=群馬・東農大二)もそんなに爆発はしていなかったし、やっぱり山で出遅れてしまったのが痛かったですね。

――当日の調子はいかがでしたか

 良かったですね。やっぱり気持ちも高ぶっていましたし、ものすごく集中できていたので、焦りとかはなかったです。

――復路の展開はご覧になっていましたか

 はい。6区から7区始まるくらいまでちょっと情報が入っていて、7区の鈴木(創士、スポ1=静岡・浜松日体)がかなりいい走りをしてると聞いていて、そこで去年とまた別のレース展開になったので、そこはありがたかったですね。

――当日のレースプランについて相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)から指示はありましたか

 指示はあったんですけど、自分に任せてくれていましたね。

――具体的にどのような指示でしたか

 とにかく自分の力を出し切って、前の駒澤大学になんとか追いついてくれということだったので。タイムなどの指示はなかったです。

――昨年の9区の経験を踏まえて、何か走りで意識したことはありましたか

 きついポイントは自分の中で決めていたので、そこをどう我慢するかと、本当に9区は我慢の区間なので、最後まで持たせることですね。そこが一番しんどかったですね。

――具体的にどのあたりですか

 15から20(キロ)と、20から23(キロ)ですね。15から20までは、どうしても足が重くなったり、スピードが落ちたりしますし、普段のハーフは21で終わるんですけど、23もあるんで、あと2キロが、やたら長いですね。

――昨年はとにかく楽しむということを意気込みにされていましたが、今年はどのような意気込みで臨みましたか

 今年はもう、出し切ろうと考えてました。とにかくやってきた練習を信じて、4年間で最後のレースだったので、とにかく後悔のないように終わろうと思っていました。

――全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の際は後半のスタミナに不安があったそうですが、箱根のスタート時は不安はありましたか

 なかったですね。もうやりきる、という気持ちしかなかったので。不安はなかったです。

――その自信は気持ちからでしょうか、練習からきたものですか

 両方ですね。練習がうまく消化できていたので、気持ちの面でも大丈夫というのはあったかもしれないです。

――復路では唯一の4年生となりましたが、それについては何か感じていらっしゃいましたか

 全然感じていないです(笑)。強いて言うなら、最後の10区で当日までメンバーが分からなかったので、4年生のタスキリレーがあるかもしれないと思ったのですが、そこはなかったので。かといって気持ちが落ちるわけではなかったのですが、4年生2人って言うのはちょっと寂しいなとは思いました。

――タスキを受けた時点で、前の駒澤大学とは1分以上差がついていました。どのような気持ちでスタートされましたか

 いや、あー、と思いましたね(笑)。 これを追いつくのかと思って。やっぱりシード圏内も結構危なかったので、本当に駒大しか見ていなかったですね。どうやって追いついて、突き放そうかしか考えてなかったので、そこは逆にいい意味で集中できてたのかなって思います。

――その前の東洋大学や後ろの大学は気にされていなかったのですか

 気にしていなかったですね。結局駒澤に追いつくと、東洋にも必ず追いつけると思っていたので、前だけを見ました。

――序盤は単独走が続いたと思います。その時の心境は

 単独走があまり好きではないので、かといって追いついても自分が追いついているわけですから相手は必ず遅いし、抜くとまた必ず自分が引っ張らなくちゃいけないので。そう考えながら走ると、きついなと思って(笑)。でも、宍倉(健浩、スポ3=東京・早実)に楽して走ってもらいたかったので、前に進むしかなかったですし、どのように追いついて突き放すか、が問題でしたね。

――ご自身のペースについてどう感じていましたか

 最初の5キロの入りは良かったんですけど、やっぱりコースがコースなので、上り下りのところでプラマイゼロになっちゃって。ペースはイーブンペースで最後まで押せていたんですけど、後半(残り)3キロどうしてもきつくなって落ちちゃったので、そこくらいですかね。

――設定タイムは決めていましたか

 いや、決めてないです。

――駒澤大学はどのあたりで見えてきましたか

 10キロ過ぎてからですね。でも10キロ過ぎてなかなか追いつけなかったので、向こうも頑張ってるんだなと思って。

――その前の東洋大学は見えましたか

 見えていました。駒澤に追いついてから見えましたね。15から20(キロ)くらいで。

――15キロ地点の給水は400メートル障害の小山佳奈選手(スポ3=神奈川・橘)でしたね。ご自身で頼んだのですか

 (頼んだ)のもあるし、小山から頼まれたのもあって。やっぱり嬉しかったですね。

――どのような声をかけられましたか

 頑張ってください! しか。 おう、って思いましたね(笑)。

――それに対して何か答えましたか

 してないです。そんな余裕なかったんで、とりあえず笑って、たぶん腕上げたくらいだと思います。

――ちょうどその時に駒澤大学をかわしていましたが、そこで抜こうと意識はしていたのですか

 いや、してないですね。たまたま追いついて抜けたので。そこからは駒澤の選手もかなり粘って自分に食らいついてきたんで、なかなかそこで、うまくいかないなと思いましたね。

――そこからはずっと並走していたのですか

 いや、ほぼ自分が引っ張って、自分がきつくなったポイントで駒澤の選手が抜いて、ラスト2キロくらいで僕がまた抜いて、そこでタスキを渡しました。

――並走してペースが上がることはありましたか

 ないですね。ただ抜かれた時に、一回ガクッと落ちたかもしれないです。やばい、と思って。

――並走してから心境の変化はありましたか

 とにかく楽をしたかったんで、引っ張ってくれと思いました。向こうのタイムがかなり遅かったので、普通速く走ってたら1分なんか追いつかないじゃないですか、なのでこれはちょっとかわしきらないとやばいなと思っていました。

――最終的には3秒差でした

 いやもう、振り切ったことしか考えてなかったです。あとはもう知らねえという感じで(笑)。 任せた、って思いました。

――どのあたりで離したという感覚がありましたか

 もうほんと最後、22から23(キロ)のところですね。ラスト400(メートル)でたぶん巻いたのかな。それくらい近かったですね。

――運営管理車の相楽監督から何か声はかけられましたか

 ありましたね。4年間やってきたことは間違ってなかったっていうのを伝えてくれたし、なんかたまにはいいこと言うんだなと思って(笑)。久しぶりというか、初めてちゃんと聞き取れましたね。

――初めてというのは駅伝で、ということですか

 そうですね。あと、頼もしいと思ったのも初めてでした(笑)。

――駅伝の時は監督の声は聞こえないのですか

 聞こえないですね。やっぱり集中してるのもあるし、余裕がなくなってる時はなおさら聞こえないし。あと周りの応援もすごいので、なかなか通らないと聞こえないです。

――箱根駅伝は沿道の声援もひときわ大きいと思いますが、レース中にも感じましたか

 今回の箱根駅伝は全く、騒いでいるだけというか。頑張れ、とかくらいしか聞こえなかったですね。友達もけっこう応援しに来てくれたんですけど、まったく気づけなかったです。

――今まではずっと駅伝では声援が聞こえていたのですか

 はい。

――今回は沿道よりも後ろの監督車の方が聞こえたと

 そうですね。あと、母ちゃんだけ気づきました。12キロくらいのところで、ちょうど左側にカーブで入るんですけど、その時になぜかぱっと沿道を見たら母ちゃんがいて、あれっと思って(笑)。 たまたま気づきましたね。

――声は聞こえましたか

 いや、聞こえなかったです。

――お父さまは一緒にいらしていたのですか

 一緒にいたんですけど、気づけなかったです。

――最後のタスキリレーのあと、少し笑顔が見られたように感じたのですが

 いやもう、やっと終わったなと思ったし、これで今の自分の全力を出し切ったと思えたので。もう悔いはないし、狙ったものには届かなかったんですけど、競技人生がそこで終わるわけじゃないので、次のステージに向かってまた頑張っていこうという気持ちにすぐなれましたね。

――狙ったものとは

 やっぱり区間賞は狙ってましたね。

――ではタイムや区間順位など結果についてはどう受け止めていますか

 どうしても流れもあるし、コンディションの問題もあるので何とも言えないですけど、その日の僕の状態でマックスは出せたと思ってるので。満足はしてないですが、出し切ったので、良かったです。

――今回のご自身の走りで反省点はありますか

 やっぱり後半の落ちかなと思いましたね。どうしても一回追いついて抜かされた時に集中が切れちゃったんで、そこでもう一回頑張れたら、とは思いました。

――後半というのは10キロ以降ではなく、15キロ以降の部分ですか

 そうですね。

――チームの総合7位という結果についてはいかがですか

 まあ結果論になってしまいますけど、まだまだいけたんじゃないかなとは思いますね。

――どういう点が足りなかったと考えますか

 まず特殊区間で二桁はちょっと、やばいですね。うちも爆発力がある人間が何人もいるわけじゃないし、そこで出遅れちゃうとそこで2分3分やられて、合計で5、6分やられてるので。3区ももったいなかったなとは思いますけどね。

――今大会、チーム内で印象に残っている選手はいますか

 うーん、やっぱり、中谷(雄飛、スポ2=長野・佐久長聖)と太田智樹(スポ4=静岡・浜松日体)と創士、あと直希(スポ2=静岡・浜松日体)もか。この4人がしっかり頑張ってくれましたね。

――好走した4人が印象的だったということですか

 そうですね。やっぱり流れを作る1・2区間と、7区でまた流れを戻した区間、そして8区で流れをそのまま僕に渡してくれた区間なので、どうしても流れを自分たちのところに持ってこないと、今回の駅伝は戦えなかったですね。

――流れという点で、ご自身の区間では振り返るといかがですか

 まあシード権を確実にはできたんですけど、もともと目標はそこじゃなかったので。3位となるとまたちょっとあの位置じゃきついなって思いましたね。

――相楽監督から、ずっと厚い信頼を置かれていました。その期待にどのくらい応えられたと思いますか

 うーん、7割8割くらいですかね。やっぱり最後、もっといってほしかったと思うし。かなり信用も信頼もされてたので、最低限の仕事はできたんですけど、最高の仕事はまだ足りなかったかなとは思います。

有終の美、そして次のステージへ


駒大を振り切って宍倉にタスキを託した

――ここからは、4年間を振り返っていただこうと思います。まず早大を志望した理由は何でしたか

 直感というか、ここに行ってみたいなって思ったので。それに任せてきました。あまり深い意味はないです。初めて話をいただいた時から早稲田にしようかなと思ったので。

――早大に入学して、印象の変化などはありましたか

 印象の変化はすごくあります。やっぱり最初は上級生の方がすごく厳しかったので、そこに慣れるというか、そこでも自分は戦える選手にならなくちゃいけないと思いました。ただ学年が上がるにつれて、どうしても時代の変化があって、厳しいままじゃだめだし、厳しくしたら下級生がどんどん離れていっちゃうというか。その変化はありましたね。今すごくゆるいと思います。

――それは練習の面ですか、あるいは生活の面で

 いや、練習はできる時はしっかりやってますけど、生活面においては、今の方がかなりゆるいですね。別にゆるいことが悪いわけではないので、そこに対して何かネガティブな考えとかは全くないです。ただたまにやらなくちゃいけない時にできないことがあったので、そこはちょっと履き違えてる子が何人かいたかなとは思いますね。

――4年生の最高学年として、どのような面で引っ張っていこうと思っていましたか

 最初はちょっと4年生らしくとか思ってたんですけど、どうも自分はそっちじゃないなと思って、夏合宿終わったあたりから練習でしっかり示そうと思って、ほぼ練習でしたね。何か言ったわけでもないし。生活は、プライベートなので自由にやってくれ、ただ練習は切り替えてしっかり引っ張る、という感じでやってました。

――4年生になり、競技面で意識に変化はありましたか

 ありますね。4年生が一番、競技に対するモチベーションとかも、自分の身体に対するケアとかもしっかりしてたと思います。

――競走部での4年間を振り返っていかがですか

 まあ、楽しかったですよ。いろいろなことがありましたけど、いろいろな経験もできたし、なかなかいい時期が多かったとは言えないですけど、その悪い時期を今の糧にできてるので、すごくいい経験ができたと思ってます。後輩にも、いろいろなことがあると思うのですが、しっかり逃げないようにというか、苦しいときは必ず立ち向かってほしいなと思いますね。

――後輩たちにどのようなことが残せたと思いますか

 終わり良ければすべて良し、ということ以外は特には(笑)。最後だけ良ければいいという気持ちでやってほしくはないんですけど、でも、いろいろなことがあった分最後は輝けるとは思うので。

――その言葉は事前対談でも口にされていましたが、いつごろから意識するようになったのですか

 どうだろう、全日本終わったくらいからですかね。

――箱根に向けてやっていく中でそう考え始めたと

 そうですね。ひたすら練習だったし、なんとしても結果が残したいと思ったので。そこで終わればもう、自分はもう何の文句もないと思ってました。

――新迫選手にとってエンジのユニホームはどのようなものでしたか

 目立ちますよねやっぱり、エンジは。かっこいいとは思いますし、プライドとか誇りとか全部捨てて、自分が一番輝けるユニホームだと思ってるので。早稲田にいるから俺たちは、みたいなのは関係なくて。たぶんどこの大学のユニホーム着ても自分のユニホームが一番かっこいいと思うので、それだけは忘れないように。変なプライドとか捨てて、みんなに走ってほしいと思います。

――他の選手などでよく、エンジへの憧れや誇り、という言葉を聞くのですが、そうではないのですね

 そうですね、そんなの邪魔じゃないですかやっぱり、自分が競技する中で。着たいから着る、それだけだし、かっこいいから着る、それだけだし。でも着て何をするかは自分次第なので、それを着てどう結果を残して輝けるかはほんと、後輩たちがどうなるか、これから楽しみにしてます。

――今、特に感謝を伝えたい方はいらっしゃいますか

 そうですね、多すぎて誰に伝えていいのか分からないですけど、1人だとしたら、やっぱり相楽監督ですかね。

――監督に一言いうとすれば

 えー、一言。これ載るんだったら言いたいですよね(笑)。なんだろう、監督になってくれですかね。(笑)。 いい指導者なんですけど、なかなか、心配性な方なので。けっこう悩むことが多い監督なので、その分優しいんですけど、優しいが故のマイナスな面というか、もうちょっと決めてくれたらいいのになと思います。でも、4年間お世話になりました、って伝えたいですね。

――同期の皆さんに対して一言お願いします

 箱根では一緒に走れなかったんですけど、箱根終わった後の早稲田駅伝でみんながすごい楽しかったって言ってくれて。4年間いろんなことがあったけど、まあ良かったよな、みたいな話になって。ああ、いい同期を持ったなと思いましたね。そこで号泣しちゃって(笑)、みんなもらい泣きしてくれました。なんで泣いてんだろうと思いましたけど、でもその言葉を聞けて本当に良かったと思っています。みんな何かしら抱えてはいたので。自分一人で走ってるわけではないし、みんな何かと戦ってうまくいかないってのがほとんどなので、最後にその言葉を聞けてよかったです。

――今後も実業団で競技を続けられるということですが、決め手は何でしたか

 まだ競技としてやり残したことはたくさんありますし、まだ走りたいっていう気持ちもあるので。自分がどの競技レベルで戦えるかはまだ分からないんですけど、そこは自分のモチベーション次第なので、とにかく一年一年大事にやっていきたいと思っています。

――今後の目標はありますか

 決めてますね。日本選手権はずっと出たいと思っていたので、まずはそこを目指して、そこだけを目指して今はやっていきたいです。

――種目は決めていますか

 トラックで出れたらいいと思ってるので、とりあえず1500(メートル)と5000(メートル)と1万(メートル)、全部狙っていきたいと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 朝岡里奈)

◆新迫志希(しんさこ・しき)

1997年(平9)年4月28日生まれ。163センチ、49キロ。広島・世羅高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分47秒97。1万メートル28分55秒78。ハーフマラソン1時間4分03秒。2019年箱根駅伝9区1時間11分(区間9位)。2020年箱根駅伝9区1時間9分17秒(区間4位)。