自分は『普通の人間』  全日本学生選手権(インカレ)表彰、U23日本代表、世界大会出場。歴代の早大漕艇部主将には、華々しい経歴を持った人が何人もいる。言い換えれば、漕艇部の主将とは、圧倒的な実力も持ち主であるということである。しかし、藤井拓…

自分は『普通の人間』

 全日本学生選手権(インカレ)表彰、U23日本代表、世界大会出場。歴代の早大漕艇部主将には、華々しい経歴を持った人が何人もいる。言い換えれば、漕艇部の主将とは、圧倒的な実力も持ち主であるということである。しかし、藤井拓弥(社=山梨・吉田)は自分のことを「普通の人間」と捉える。日本代表でもなければ、インカレで表彰台に立ったこともない「普通の人間」。歴代の主将とは一線を画す藤井の4年間を振り返る。

 中学からボートを始めた藤井は、高校までなかなか思うような成績を残すことができなかった。その悔しさを晴らしてボートに真剣に取り組むために、早大漕艇部に入部した。そんな藤井にとって、印象に残るレースが訪れる。2年時に出場した早慶レガッタだ。第二エイトのクルーに選出されるが、今までエイトに乗った経験は皆無。ましてや2本のオールで漕ぐスカル種目を中心にやっていたため、1本のオールで漕ぐスイープ種目そのものにも慣れていない。そんな状況であったため、エイトに乗れる技術を身につけるべく、当時の4年生に必死についていった。とにかくがむしゃらにボートに打ち込んだと言う。レースはスタートで飛び出す作戦が功を奏し、第二エイトとしては墨田川で久々の勝利を掴むことができた。この時のことを「邪念なしにボートだけに打ち込んで、結果が出たことが本当にうれしかった」と振り返った。

  同じく大学2年時の全日本選手権(全日本)も藤井を大きく変える大会となった。舵手なしフォアのクルーに選出された藤井であったが、スイープの経験を早慶レガッタで得たとは言え、まだまだ理解不足な点があった。そんな藤井に対して、同じクルーである4年生たちは手取り足取りスイープについて教えてくれた。当時の4年生にとってこの大会が学生最後のレース。対校エイトのシートを掴むことができず、悔しい気持ちを抱えているはず。それでも悔しさをバネに変えて、このクルーで勝つために必死になって教えてくれた。藤井はそんな4年生のために勝ちたいと思うようになった。「今までは自分のために頑張ってきたが、初めて人のために頑張りたいと感じた」と振り返る。大会は5着入賞に終わったが、これからは自分が先輩たちのように引っ張っていかなければならないという責任感が藤井の中で芽生えた。


早慶レガッタで勝利し手を振る藤井

 3年生以降は日頃の努力が実り、主力として対校エイトに選ばれるようになった。そんなボートに真剣な姿を評価され、早大漕艇部の主将になった。今までの主将たちのような周囲を圧倒する成績を残していない藤井は、「自分が人の上に立つには、練習の質や量を高めることはもちろん、誰に対しても恥ずかしくない行動をする必要がある」と考え、精力的に自主トレにも励んだ。

 主将として部全体をまとめつつ、対校エイトのクルーリーダーとしてスピードを追求していく。4年生の藤井は2つの役割を担った。4月の早慶レガッタでは対校エイト3連覇を達成したものの、5月の全日本、9月のインカレはA決勝に進むことができなかった。――エイトは難しい。藤井はそう呟いた。8人の漕手、1人の舵手が1つになるには多くの要素がいる。それは、技術的なことはもちろん、今までの経験値や精神的なことである。究極の団体スポーツと言われる所以を藤井はこの1年で身をもって実感した。

 早大での4年間を振り返ると、不思議とうれしかったことよりもきつかったことの方が思い出す。「きつかったことが、自分の成長につながったり、人間性を変えるきっかけになったりした」と藤井は言う。表彰台に立つことはできなかったが、真剣にボートに取り組んだ藤井の姿は、きっと後輩たちが継いでいくだろう。潜在能力が高い後輩たちに対しては、「とにかく自信を持って頑張って欲しい」とエールを送る。エイトの最後尾からクルーを見ながら引っ張ってきた主将。その言葉に嘘はない。

(記事 関飛人、写真 加藤千咲氏)