PLAYBACK! オリンピック名勝負---蘇る記憶 第20回

いよいよ今年7月に開幕する東京オリンピック。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。

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 2004年8月22日夜に行なわれた、アテネ五輪陸上競技男子ハンマー投げ決勝。5投目を終えた室伏広治は、フィールドに仰向けに寝転がり、何も考えずに空を見ていた。

 競技場の強いカクテル光線にさえぎられて、何も見えない空。だがずっと見ていると、星の光がひとつだけ見えた。



2004年アテネ五輪ハンマー投げ優勝の室伏広治。大会後の日本のスーパー陸上で金メダルが授与された

「集中する時に僕は、ほかの人が注目していないものを大事にするんです。そこにはエネルギーが集まっていると思うから。誰も見ていない空を見ていると、僕はひとりになれるし、集中できる。でも、そのときに星の光がひとつだけ、僕の視界に飛び込んできたんです。探していたわけでもないのに、必要なものは向こうから飛び込んでくる。誰も見ていない星の光を見ていて、『いける』と確信しました」

 最後の6投目。室伏が放ったハンマーは空へ高く飛び出すと、80mラインを大きく越えた。それまでの最高はアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)の83m19。室伏はそれを上回って金メダルを決めたかにも見えた。だが、結果は82m91。28cm届かず、2位にとどまった。

 記録が出た瞬間、室伏は地面を叩いて悔しがった。父親の重信氏も「回転を追う方向が非常によく、力を全部出して持っていけたので、いったなと思いました。試合では、力を出し切れるものが一投でもあればいい。それをもっと早く、疲れのないうちに出せていればよかったのですが……」と、悔しそうな表情で話した。

 このアテネ五輪の男子ハンマー投げ決勝は、室伏に加え、前年の03年世界選手権優勝のイワン・ティホン(ベラルーシ)と同2位のアヌシュ、この3人の優勝争いになると見られていた。先手を取ったのはアヌシュだった。3投目には83m19と、投げるごとに記録を伸ばした。

 それに対して室伏は3投目までのベスト記録は、2投目に出した81m60。一方、ティホンは1投目と2投目が防御フェンスに当たるファールとなり、3投目は78m55と勢いに乗り損ねていた。

「まずはその日の調子を早くつかんで、自分の投擲に持っていくことを考えていました。ただ、細かい部分と大きな部分をつなぎ合わせたところで投げているから、そこの細かい部分の修正ポイントを見つけていくのが難しいんです」

 そう話していた室伏だが、4投目になると表情も引き締まり、82m35まで記録を伸ばして追い上げ態勢に入った。

 5投目は、3回転目からそれまでよりググっと加速するようになった。惜しくも左側の防御ネットに当たってファールになったが、それは吉兆のようにも見えた。この年から取り組んでいた、ハンマーヘッドの加速を意識する技術改良の成果が出ていたからだ。本人は「気持ちが急ぎすぎた」と反省するが、6月のアメリカの大会では同じようなミスが出た次の投擲で、その時点でのシーズン世界1位となる82m65をマークしていた。

 このミスを修正し、集中力をさらに高めて臨んだのが、優勝へわずかに届かなかった6投目だったのだ。

 試合後の室伏は、落ち着いた表情で次のように話した。

「もうちょっとのところでした。でも、ステップをきちんと踏んで最後まで試合をすることを考えていたので、落ち着いて最後まで自分の投擲を実行できたという面ではよかったと思います。6投目は自分でも『いった!』と思ったけど、去年の暮れから新しく取り組んでいる技術の面ではまだ途中の段階なので、やることはたくさんあります。この4年間で大きく成長したと思うけれども、これからの2~3年でさらに記録を伸ばせる手ごたえはあります」

 父・重信氏は「ハンマー投げでは同じ動きを続けていくことはたいへん難しいし、『これだ!』という動きも必ず崩れてしまうので、常に新しいものを取り入れながらやっていかなければいけない。そのような競技で、世界選手権と五輪で立て続けにメダルを獲っていること自体がすごい」と評価した。

 00年5月の大阪国際グランプリで、初の80m台となる80m23を投げた室伏は、雨中の戦いとなったシドニー五輪では9位にとどまったが、その直後の、グランプリ(GP)ポイント上位の選手のみが出場できるGPファイナルで、80m32を投げて2位に入った。身長187cm、体重89 kg(当時)とこの種目では小柄ながら、世界トップの仲間入りを果たした。

 さらに01年5月には当時世界歴代7位の83m47を投げ、8月の世界選手権では82m92で2位、02年にはGPファイナルで優勝した。03年に大阪国際グランプリで優勝した際には、6投すべてが81m超えという安定感を見せつけ、6月29日のプラハ国際では当時世界歴代3位の84m86を記録していた。

 ハンマー投げの世界記録は、現在も1986年にマークされたセルゲイ・リトビノフ(ソ連/当時)の86m74だ。しかし、室伏がこの時に記録した84m台のスローは、92年にイゴール・アスタプコビッチ(ベラルーシ)がマークして以来で、かつてはドーピング検査が甘かったことも考えれば、これは当時の実質的な世界記録と言ってよかった。また、この時の体重96㎏は、室伏が技術を究めることでたどり着いた頂でもあった。

 その勢いを駆って8月の世界選手権では初制覇を期待されたが、チェコから帰国後に腰を痛めたことに加え、大会直前には投擲練習中に転倒して右ひじを強打。出場が危ぶまれたこの出来事の影響もあって、結果は80m12の3位にとどまっていた。

 ライバルたちの誰もが、室伏のすごさを認めていた。だが、頂点までもう一歩、という状態がいつも続いていた。そしてそれは、アテネ五輪でも再現されることになったと思われた。

 ところが、状況は試合後に動き始めた。アヌシュの尿検査にまつわる疑惑の新聞報道が流れたのを機に、日本陸連がJOCを通じてIOCに疑惑解明を申し込んだのだ。翌23日の男子円盤投げでは、優勝したローベルト・ファゼカシュ(ハンガリー)が競技後のドーピング検査で規定量の尿が出ず、検体の再提出を拒否して失格になっていた。アヌシュもファゼカシュと同じコーチに指導されている選手だった。

 アヌシュの場合も、試合終了直前になって係員に付き添われてトイレに行くという不審な行動をとっていた。彼もまた再検査を拒否したが、その後に検体のすり替えが判明して失格となり、29日には室伏の繰り上げ優勝が決定した。

 帰国を延ばしていた室伏は、現地のメインプレスセンターで記者会見に臨んだ。

「これまで精いっぱい努力して毎日の練習に耐えてきた結果が、このような形になったことをうれしく思います。本当は表彰台の上で金メダルを直接受け取りたかった、というのが本音です。自分も金メダルを望んでいますが、その金メダルよりも重要なものがたくさんあるのではないか、と思いました」

 そして、表彰式で銀メダルを受け取った際に「真実、という言葉がすごく印象に残った」と、メダル裏側に古代ギリシャ語で刻まれた詩人・ピンダロスの”真実の母オリンピアよ……”で始まる詩を紹介した。

 真実の母オリンピアよ。
 あなたの子どもたちが競技で勝利を勝ちえたとき、
 永遠の栄誉(黄金)を与えよ。
 それを証明できるのは真実の母オリンピア。

 そして硬い表情のまま、続けてこう述べた。

「ハンマー投げの仲間が、こういう形でドーピング検査に通らなかったことは非常に残念だと思います。ハンマー投げだけではなく、男子円盤投げと女子砲丸投げでも失格になった選手がいます。投擲種目がこのような結果になったことは、悔しいというよりむしろ、ちょっと寂しい気持ちです」

 アテネ五輪の翌年、05年の室伏は日本選手権のみの出場だったが、06年にはワールドアスレチックファイナルやワールドカップなど、出場した8試合すべてで優勝した。その後は蓄積した体の疲労にも悩むようになり、競技と並行して体を痛めない効果的なトレーニングの探求も始めるようになった。

 07年の世界選手権は6位、08年北京五輪では5位に終わった。大会後に2位のワディム・デフヤトフスキー(ベラルーシ)と3位のティホン(同)のドーピング違反が発覚したため、室伏は3位に繰り上がったが、その後に両選手の処分が撤回されたため、結果的にはメダル獲得を逃すことになった。

 その後、人間が生まれつき持つ運動能力に注目するファンダメンタルトレーニングに行き着き、理学療法士のロバート・オオハシ氏たちとチームを組んで実践した。11年の世界選手権では81m24を2回投げ、36歳325日で世界選手権における男子最年長優勝。翌12年ロンドン五輪では、銅メダルを獲得した。

 このロンドン五輪では優勝記録が80m59で、次の16年リオデジャネイロ五輪の優勝は78m68。ドーピング検査技術が向上して厳格になったことで記録は低くなり、17年以降は80mを超える選手毎年2~3人にとどまっている。世界大会でも、80m台に乗ればほぼ優勝という状況だ。

 ライバルたちがドーピング検査で失格になり、あるいは疑惑を持たれるなどして姿を消してゆくなか、室伏は初めて80m台に乗せた00年から11年までの12年間のうち、シーズンベストが80mを超えなかったのは、日本選手権出場のみだった2回の五輪翌年のみ(05年、09年)。

 トップレベルを長期間維持し続けた室伏広治。記録が低迷している今だからこそ、その実績のすごさ、その価値の高さが、ますます際立つものになっている。